Clean Coal

Clean Coal

9月5日はクリーンコールの日です。通商産業省(現在の経済産業省)の呼びかけにより日本鉄鋼連盟・電気事業連合会・日本石炭協会等8団体が1992年に制定しました。ウクライナ問題でロシアの天然ガスLNGの供給が激減し、欧州はエネルギー不足が深刻で急遽原子力や石炭火力による発電が必要になってきました。つい最近まで環境問題とか脱炭素とか大騒ぎしていたのに掌を返して石炭を求め始めました。クリーンコールclean coal(きれいな石炭)技術では日本がリードしているのですが環境運動家たちは日本の石炭技術を環境汚染につながるとして認めてこようとはしませんでした。TDKのサイトの説明では「現在商用発電として主流の石炭火力発電は、燃焼効率を上げるために、石炭を細かい粉状に加工した超微粉炭を燃やしています。さらに、環境に配慮した新しい石炭火力発電技術として注目されているのがIGCC(石炭ガス化複合発電)です。IGCCは石炭を燃やして直接ボイラーを動かすのではなく、ガス化炉で可燃ガス化してガスタービンを使って発電します。同時に、ガスタービンの排熱を利用してボイラーを動かし、蒸気タービンでも発電するコンバインドサイクルを活用することで、さらに効率を上げます。石炭をガス化するには超微粒炭に空気や酸素を吹き付け加熱します。すると、メタン(CH4)などの炭化水素ガスや水蒸気などが発生し炭素(C)が残ります。炭素と吹き付けられた酸素が反応することで二酸化炭素(CO2)と一酸化炭素(CO)が発生します。さらに周囲にある水蒸気と炭素が反応して一酸化炭素、二酸化炭素、水素が発生します。石炭の微粒子が徐々にガス化していき、最終的にガスがどのような組成になるかは、圧力と温度に依存し、圧力3メガパスカル(約30気圧)・1,200℃以上で反応させると最終的に一酸化炭素と水素の混合気体になります。この気体を燃焼して、ガスタービンを回します。従来の石炭火力発電と比較すると、IGCCは、コンバインドサイクルの利用により、エネルギー効率向上して、1kwhあたりのCO2排出量はおよそ10〜20%程度削減できます。また、CO2を燃焼前に分離回収することにより、さらにCO2排出量は削減できます。石炭のガス化によって発生する可燃性ガスの中には水素ガスが含まれています。IGCCのガスタービンの手前に燃料電池を置き、石炭から発生する水素ガスで燃料電池による発電を行う方式を、「IGFC」(石炭ガス化燃料電池複合発電)といいます。IGFCではまず水素ガスを使った燃料電池による発電を行います。次に燃料電池では反応しきれずに排出される水素ガスを燃焼してガスタービンを回します。さらにそのガスタービンの排熱で蒸気タービンを回すという、「三度おいしい方式」なのです。世界はこの技術を理解し採用すれば太陽光や風力のような不安定な自然エネルギー発電は不要なのです。

電気

クシの日

クシの日

9月4日はクシの日です。クシにも串と櫛があります。今回は櫛についてです。櫛のことを英語でcombコームといいますが、最後のbは発音されません。Silent bというのですが、なぜ綴りにあるのでしょうか。実は他にも発音しないのに綴りにある文字がありますが、knowのk、write のw、listenのtなど英語の勉強の時、不思議に思われませんでしたか?最後に発音されないbが来る単語は意外にあって、climb登る,lamb子羊, thumb親指, plumber配管工, tomb墓など比較的日常語彙があります。そしてmの後に来ているという共通点がわかります。これらの語の起源は古代英語のさらに前の西ゲルマン語です。英語としては古い語彙なのです。なぜbがあるかというと大昔は発音していたのです。現代では発音しないのが標準ですが、発音しても母語話者なら意味はわかるらしいです。もっともすごく発音しにくいですし、日本語のように母音を入れてコームブではだめです。子音だけmbと発音できる日本人は稀有でしょう。同様に発音しないk,w,sなどは発音しても問題はないです。ただし母音を入れてはいけません。実際、oftenは日本ではオーフンとしか習いませんが、oftnのようにtを発音する地域はかなりあります。少数ですがlistnとtを発音する人もいます。
櫛のcombは知っていてもhoneycombと同じ語源ということを知らない人が多いと思います。日本語ではハニカムというのが普通で専門用語などでハニカム構造という使い方をしています。ハニカム構造というのは正六角形を隙間なくぎっちりを詰めた蜂の巣のような構造をいいます。少ない材料で強度の高い板などを作る時の構造です。ハニカムとは蜂の巣のことで、英語では蜂の櫛という表現をするのです。日本語の櫛は髪をとかす道具しか意味しませんが、英語では鶏のトサカとか波がしらという意味もあり、尖ったものが連続していればcombということになります。またそのまま動詞にもなり、櫛けずる、櫛を入れる、髪をとかす、という表現の時はcomb1語で表現します。また髪のもつれをすいて真っすぐにする、という意味から派生して、徹底して探し出すという意味もあります。知らないと次の文の意味がわかりませんね。
They combed the village for the lost child. 彼らは迷子を見つけようとして村をくまなく捜索した.
専門用語で周波数コムというのもあり、櫛の歯のように波が定期的に並ぶことを言うのですが、近年、光周波数コムをレーザー光で作りだす技術がいろいろ開発され、その応用として周波数コムを天文学における分光学的観測を拡張する技術astro-combとして発展させていることに関心が集まっているそうです。櫛という表現の比喩なのですが、イメージが湧きやすい応用範囲の広い語です。

櫛

対日戦勝記念日2

対日戦勝記念日2

9月3日に対日戦勝記念日をする国もあります。米国は9月2日の戦艦ミズーリ上での調印式を実況中継したラジオ放送が終わった後、トルーマンがラジオで演説し、9月2日を正式にVJデーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したので第二次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになっています。
ソ連は降伏調印の翌日の9月3日を対日戦勝記念日としていました。ソ連は8月9日に対日戦を開始し、降伏調印式が行なわれている9月2日にも歯舞諸島攻略作戦を発動し、9月5日に千島全島占領をしました。それで9月2日を戦勝記念日とは言えず、翌3日に戦勝記念式典を開いて体裁を整えたのでした。しかしソ連崩壊後の2010年7月に、政権を受け継いだロシア連邦共和国議会が9月2日を第二次世界大戦が終結した日と制定する法案を可決しました。これによりロシアは第二次世界大戦を連合国として戦った国としてアピールし対日戦で行なったあらゆる行為を帳消して北方領土の実効支配を正当化しています。
 中華民国は中国大陸での戦闘の主役であり連合国の一員としてポツダム宣言にも加わりました。日本帝国陸軍支那派遣軍は9月9日に南京で正式な降伏調印をし国民党軍に降伏しました。しかし国民党政府は9月2日は戦闘の区切りであり翌9月3日から3日間を抗日戦争勝利記念の休暇としたことから中華民国では9月3日が記念日となっています。
 中華人民共和国の成立は1949年ですから戦勝国とするには無理があります。そこで9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、全国人民代表者会議で日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日と決定したのは2014年です。以後この日に軍事パレードを含む派手な戦勝記念日行事を行ない既成事実化を図っています。
 朝鮮半島では大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ともに1945年時点で国家として存在していないため、対日戦勝記念日はありません。日本が終戦記念日としている8月15日を韓国では光復節、北朝鮮では解放記念日としています。
 イギリスは8月15日をVJ Dayとしています。
 ベトナムは日本が降伏文書に調印した9月2日にフランスから独立しベトナム民主共和国(旧南ベトナム)の樹立が宣言されました。統一によってベトナム民主共和国を継承したベトナム社会主義共和国(旧北ベトナム)ではVJデーに当たる9月2日は国慶節とされており対日戦争はしていないのでVJとはなっていません。
 国連United Nationsは連合国と訳すべきで、日本を含む枢軸国に対する戦勝国というのが本来の意味です。

平和

対日戦勝記念日

対日戦勝記念日

9月2日は日本以外の国で対日戦勝記念日となっています。つまり日本が正式に敗戦したのはこの日なのです。といっても世界が同時に対日戦勝記念をしているわけではありません。そもそも時差があって同日にはならないのです。Wikipediaからの引用をします。

対日戦勝記念日(たいにちせんしょうきねんび)とは、連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日である。英語: Victory over Japan Day, VJ Day, Victory in the Pacific Day, VP Day とも言うが、略称としては VJ Day が一般的である。
伝統的な戦時国際法においては、休戦協定の合意は口頭による同意によればよく、文書の手交を要件としない。このため休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。対日戦勝記念日とされる場合、通常は、日本政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年(昭和20年)9月2日を指す。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト社会主義共和国連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。
1945年8月14日、日本政府は連合国に対してポツダム宣言を受諾する旨を、スイス政府経由でアメリカ合衆国大統領トルーマンに電信した。翌8月15日正午、昭和天皇の玉音放送によって、このことが国民に向けて公表され、日本軍に対して『停戦命令』を発布した。同年9月2日、昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発し、降伏文書への署名及びその履行等を命じた。これに基づき、同日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが降伏文書に署名した。

日本が終戦記念日としているのは玉音放送の日なのです。そしてその後は米軍が進駐し占領下に入りました。英語でOccupied Japanというので占領です。1951年9月8日に第二次世界大戦・太平洋戦争後に関連して連合国諸国と日本との間に締結されたのがサンフランシスコ平和条約で、この公布が翌年の1952年(昭和27年)4月28日でこの日に晴れて占領が解除され、日本は再び独立国となりました。その意味では4月28日を終戦記念日または再独立記念日として大々的に祝典を開くべきかもしれません。終戦というのは戦いを止めるということなのですが、実際に戦争が終わるのは平和条約の締結です。その意味ではソ連=ロシアとはいまだに平和条約を締結していないので休戦中というのが正しいかもしれません。

平和

防災

防災

9日1日は防災の日です。関東大震災(1923)の被害ということと二百十日(にひゃくとうか)という2つの要素からこの日を制定したのですが、その後阪神淡路大震災や東日本大震災という大震災が起きて、近年は風水害も頻発しており、日本は災害の多い国だと改めて思います。
防災というと日本人の誰もがある程度の知識を共有しています。防災を英語にするとprevention of disasterとなるのですが、これは日本独特の考え方であることは案外知られていません。防災マニュアルというのも自治体などが交付していますが、外国人にはイマイチ理解しにくいようです。欧米では同じようなものをevacuation guideといい、防災マニュアルはevacuation guidelinesと呼んでいます。直訳すると避難ガイドラインです。
イバキュエイションと言われるとよくわからない人が多いと思いますが、サバイバル英語として最低は知っておきたい単語です。もしEmergency, everyone should evacuate immediately.といわれた自力脱出してください。普通は緊急ブザーがなるので非常時だということはわかりますが、その後どうしていいのかわからないと思います。意味は「緊急事態です。直ちに避難してください」ということで、「救出を待たずに自力で」避難することを求めています。「津波てんでんこ」と同じくボヤっとしていると生きていけないのです。海外旅行をしていると意外にEvacuate!というアナウンスを聞くことがあり、日本人観光客がポカンとしてる場面に会いました。この機会にぜひ覚えておいてほしい英語です。
日本の災害マニュアルにも書いてありますが、避難の原則は自助・共助・公助です。日本では近所の声掛けとか共助が強調されることが多いのですが、それは自助できた後の話です。自治体や国の公助はさらに後です。自衛隊の救助は最終段階なのです。自力避難が大原則で、どうしても自力避難が困難な人つまり要支援避難(援護)者(官僚用語)のみが最優先で公助を受けるわけです。この用語の意味は「避難時に援護が必要なので支援を要する人」という意味です。現在は援護を削除していますが、一部ではまだ使われています。厳しい言い方になりますが、よく避難警報を無視して居残っていて自衛隊に救助されている人がテレビニュースで報道されていますが、二次被害の可能性もあるので本来はしてはいけないことです。国民はまず自助を心がけるべきで、次に共助としての避難訓練などに参加して知識を得ることが大切です。防災グッズを揃えておくのは自助努力です大いに奨励されるべきことです。
ちなみに不肖私も防災士のはしくれで日頃防災には努めております。

防災の日

遣唐使

遣唐使

舒明天皇二年(630)葉月五日、第1回遣唐使が派遣されました。犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)・薬師恵日(くすしのえにち)が派遣されました。二人の冠位は大仁(だいじん)ですから、上から三番目で後の正五位に相当するそうです。臣下ですが、そこそこ高位の人だといえます。聖徳太子が定めたとされる(異説あり)冠位十二階は徳・仁・礼・信・義・智にそれぞれ大小を付けたもので、大徳は希少ですから、今なら政務官というところでしょうが、実質は数が少ないので次官級というのが正しいのかもしれません。薬師(くすし)というのは今の医者のことで、恵日は高麗からの帰化人の末裔だそうです。犬上御田鍬は皇別と呼ばれる皇室から分かれた氏族の末裔です。最後の遣隋使でもあるので、隋が滅び唐になった歴史的転換の実情を目撃したといえます。
隋と唐の都は長安(今は西安)で同じ場所です。隋の時代は大興と呼んでいました。長安は王朝により呼び名が変わりますが、最初は西周(BC770)の都豊邑(ほうゆう)から始まり現在の西安(しーあん)まで2800年続く古都です。位置は北緯34度、東経108度で、渭水(いすい)という黄河の支流の中流域の沿岸にあります。緯度としては日本の瀬戸内海の諸都市や京都・奈良・大阪など西日本がほぼ該当します。東日本は北緯35度以上になります。現在の中国大陸のほぼ真ん中にあり、平城京や平安京が見本としたことはよく知られています。平均気温が冬は零度近く、夏は30度以上になり降水量もあって四季がはっきりしている点は日本とも似ています。距離は羽田と西安空港が2,800kmで時差1時間だそうです。
遣隋使や遣唐使は大阪住吉(難波津)から瀬戸内海を通って筑紫の那の津(福岡)まで行き、そこから大陸の港に行くのですが、北路と南路があり、多くは南路でまず揚子江河口の揚州に着き、陸路で楚州、洛陽を通って長安に行ったそうです。航路は約10日、陸路は駅伝制を使ったと想像されますが、馬や車でどのくらいかかったのか、よくわかりません。回数も諸説ありますが、遣隋使と遣唐使合わせて20回位と推定されています。朝貢品を持参しますから、二人だけで行くはずがなく従者を含めて120人以上で多い時は600人ということもあったとか。一隻では到底乗り切れませんから、2隻から4隻の船団でした。難破などの危険もあるので救助の意味もあって複数船で航行するのが常識です。大勢だとそれだけ足並みも遅いので、日数もかかりますし、宿泊も大変だったことでしょう。朝貢品は延喜式によると銀・絁(あしぎぬ、絹織物)・糸・綿といった品々で全国から集まる「調」を使って贈り物にしたということです。帰りの土産は文物や経典、蜜柑、茶、薬などでした。

遣唐使船

普遍主義

普遍主義

現在の経済や政治で話題になっているのがグローバリズムですが、その思想の根底にあるのが普遍主義universalismです。普遍主義の対立概念は個人主義individualismと解説する本が多いのですが、相対主義relativismと考える分野もあります。基本的な考え方として普遍主義はいろいろな事物の共通点を強調し統一的な原理によってそれらが支配されていると考えます。極端な考えとして、キリスト教やイスラム教やユダヤ教のような一神教では神がすべてを支配しているので、それこそが理性的であり合理的だと主張します。いわゆる神の無謬性という、普遍的原理には一点の曇りもないという思想です。その原理とは何か、については議論があり、考え方の違いから宗派の違いが生まれてきます。つまり普遍的といいつつ多様性を認めるという矛盾を認めるか、他の議論を排除する排他的信仰になっていきます。この排他的普遍主義が現在の世界の多くを占めています。
普遍主義に対抗する相対主義では事物個々の違いに着目しますから、多様な現実の説明とは矛盾しませんし、排他的ではないので争いは少ないのですが、統一化は難しく自然科学的思考とは相性が悪いです。自然科学では事物の共通点を見つけ、その定式化によって論理を導いていきます。数学がその典型です。
「ここにリンゴが10個あります。1つ100円なら全部でいくらですか。(ただし消費税などの要素はないものとします)」という単純な算数が成り立つのは普遍性を前提としています。現実の八百屋さんではリンゴによって大小があったり、痛み具合とか傷とかがあるので、個別に単価を変えるか、まとめて10個千円のような売り方になります。つまり普遍性というのは現実を離れた抽象的な記号化が前提で、その抽象化する作業を分類または範疇化といいます。リンゴの例でいうなら、リンゴという商品名や単価がそれです。
大きな範疇として国を考えてみます。国は政治的範疇で、それを規定するのは領土、国民、政府などの存在です。国民というのも範疇で、概ね民族とは一致しません。その民族も社会的範疇です。こうしてみると普遍的原理が深く社会や生活に関わっていることがわかりますが、一方で国や世界を統一的原理で支配することは不可能です。かつては宗教によって統一しようという時代もありましたが成功しませんでした。共産主義という経済原理によって統一しようという試みも成功していません。グローバリズムという名前に変えても結局は普遍的原理がないまま世界統一を目標として失敗に終わっています。自然科学でもまだ完全な普遍的原理は見つかっていません。最近のウイルスとの戦いがそれを証明しました。

北斗星君と道教

北斗星君と道教

旧暦八月三日は北斗星君聖誕祭です。といってわかる方は相当な宗教オタクです。まず旧暦といっても中国の暦法なので日本の旧暦とは違いがあります。旧暦は別名太陽太陰暦で太陽と月の運行を基準として、それに季節を勘案しているので、ざっくりいうと中国と日本では緯度も経度も違うので若干の違いが生じます。日本の旧暦だと新暦8月29日で農歴でも同じですが、9月にお祭りすることもあるらしいです。
北斗星君は道教における神様のひとつで南斗星君と一対になっていて、「死」を司っており、死んだ人間の生前の行いを調べて、地獄での行き先を決定するという、日本でいう所の閻魔のような役目を持つ(wikipedia)とされています。南斗星君は生を司ります。神様に誕生日がある、というのも不思議な気がしますが、この日に聖誕祭が中華文化圏の中国大陸や台湾の一部、シンガポール、日本の中華街などで行われます。
北斗星君は道教の神様ですから、まず道教を知らねばなりません。道教は中国の伝統的な宗教で儒教と並ぶものですが、古くから漢民族の間で信仰され、儒教や仏教などとも混淆していると言われています。反対に日本の宗教にも影響を与えています。七福神の福禄寿や七夕の織姫や竜王は道教の神様です。また四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)や四霊(麒麟、鳳凰、霊亀、応竜)、九尾の狐、竜王も道教における妖怪(?)なのです。仏教でもなく神道でもないこれらの神様や動物(?)は道教由来が多いのです。無論道教だけでなくインドのヒンドゥ教の神様も入っていますが、その話はまた別の機会にします。道教を簡単に説明するのは大変でここでは深入りしませんが、漢民族の伝統や文化、宗教を知る上では重要です。共産主義革命により宗教は禁じられてはいますが、習俗としては残っています。とくに文化大革命のなかった台湾その他のアジア地域の中華文化圏では今でも広く信仰されています。
道教というと日本では映画のせいかキョンシーが有名で、漢字では殭屍と書きゾンビみたいなものです。香港映画のせいか広東語のキョンシーとして広がっていますが、中国の普通話ではジャアンシーと読むそうです。ここに映画に出てくる道士は道教の僧侶です。日本では「霊幻道士」によって広まったのですが誤解もあります。
北斗星君は老人で閻魔様同様、「地獄の沙汰も金次第」とかで、捧げ物をすると寿命を書き換えてくれたり、地獄に落ちるのを止めてくれるそうなので、身に覚えのある人は熱心に信仰するようです。やましい気持ちがなくても、普通に果物やお菓子、粽(ちまき)、お金などをお供えしてお祝いするそうです。仏教と違い肉食禁止ではないので、肉料理が供えられることもあるみたいです。地域差もありお供えも様々で検索してみると中華式の御馳走がいろいろ出てきます。

道教

葉月二日、大雨時行

葉月二日、大雨時行

大雨時行(おおあめときどきふる)は大暑の末候、七十二侯の1つで、突然、夕立などの夏の激しい大雨が降る頃とされています。ゲリラ豪雨とか線状降水帯とか用語は時々で変わっても昔からこの時期には突然の大雨が降っていました。この時期の食べ物としては西瓜が旬とされていたのですが、今では時期が少しずれています。魚は太刀魚です。どちらかというと九州や四国が産地ですが、温暖化の影響で今はかなり北の方でもとれるようです。ほぼ一年中とれますが、今が脂の乗る旬です。塩焼きや煮つけが多いのですが、蒲焼もおいしいそうです。鰻よりも好きという人もいます。太刀魚は獲れた時は銀色に輝いており名前の由来はその姿が太刀そっくりということなのですが、市場に出回る時には皮も剥げて銀色ではなくなっています。バター焼きやムニエルにも合い、調理法もいろいろあります。国産は少なく東南アジアからの輸入が多いとのことです。この時期の花としては百日紅(さるすべり)がきれいです。ピンクのもの、白いもの、紫のものがあり、庭木としても人気があります。次々に可愛い花が咲くので百日紅という漢字が当てられていますが、さるすべりの名前の由来は木の幹がツルツルしていることが由来のようです。寒さにも強いので育てやすく、花言葉は「あなたを信じる」ですが、じっと待ち続けている様子から来ているのかもしれません。
葉月の語源は例によって諸説あり、「葉落ち月(はおちづき)」が「葉月(はづき)」に転じたという説があります。新暦の9月にあたる葉月は落葉や紅葉が始まる時期ですから、そんな気もします。また北の方ではシベリアから雁が越冬のために渡ってくる月であるため「初雁月(はつかりづき)」が転じて「はづき」になったという説もあります。稲の穂が張る月である「穂張り月(ほはりづき)」「張り月(はりづき)」が転じたという説もあります。葉月の異名には季節感のあるものがあります。仲秋(ちゅうしゅう)というのは陰暦の7月から9月が秋であり、8月の葉月が、秋の真ん中に来るからです。したがって仲秋の名月は葉月十五日の満月です。2022年は9月10日です。雁来月(がりくづき、がんらいげつ)というのは文字通りシベリアから渡り鳥の雁が来る月だからです。反対に燕去月(つばめさりづき)という燕が南方へ去っていく月というのもあります。渡り鳥は確かに季節を教えてくれます。観月とか壮月という呼び名もあるそうです。竹春(ちくしゅん)ともいうそうです。南風月(はえづき)は南方からの強い風つまり台風の季節であることから「南風月」とも呼ばれました。南風をはえ、東風をこち、と呼ぶのですが、北風と西風には読み名がないようです。「ならい」という異名は北風でも西風でも冬の風のことだそうです。

大雨時行

八朔

八朔

八朔といえばみかんを連想される方が多いと思います。八朔とは本来、八月朔日つまり八月一日のことです。八朔は特別な日でこの頃に早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからありました。このことから田の実節句(たのみのせっく)という別名もあります。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったそうです。また天正十八年’(1590)徳川家康が初めて江戸城に入ったことから、江戸幕府では正月に次ぐ大事な行事として諸大名は登城し将軍に祝辞をのべる習慣でした。諸大名は白帷子(しろかたびら)に長袴で控え将軍も白帷子に長袴姿で御目見(おめみえ)します。つまり白帷子は八朔のシンボルでした。
これを真似て吉原では八朔を大々的に祝う風習があり、遊女はみな白無垢を着て仲の町で花魁(おいらん)道中を行ったそうで、その様子が浮世絵に残っています。京都の祇園などの花街では八朔に芸妓や舞妓が黒紋付の正装で、普段お世話になっているお茶屋や踊りや地歌、三味線などのお師匠さんのお宅にあいさつに回るのが伝統行事になっているのですが、今は新暦8月1日になっているそうです。この日に祇園に行くと必ず舞妓さんに会えるので観光客も集まります。
地域によっては八朔祭というのもあり、有名なのが熊本県上益城郡山都町の八朔祭りで、自然素材で作った巨大な造り物にお囃子がついて、町内を練り歩きます。毎年、旧暦八朔に近い9月第1土曜日日曜日の2日間にわたって開催されています。とくに祭りに合わせて放水する国の重要文化財、通潤橋(つうじゅんきょう)の姿は見事だそうで、夜には通潤橋の近くで花火も打ち上げられると聞きました。通潤橋は一種の水路なのですが、放水が有名です。福井県美浜町では穀豊穣と子孫繁栄を願って、鼓や笛のお囃子と一緒に樽神輿を担いだ行列が田代公会堂から日吉神社まで進みます。この行列に続いて男性のシンボルをかたどったご神体(木製二尺)を持った天狗が進み、見物客の女性をご神体でつつきます。その女性は子宝に恵まれるとされています。福岡県遠賀郡芦屋町では「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわれているそうです。香川県丸亀市では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だんご馬」を作る風習があるそうで、その昔、讃岐国領主生駒氏の家臣で江戸の愛宕山の馬による階段上りで有名な曲垣平九郎に因んでいるそうです。香川県三豊市仁尾町や兵庫県たつの市御津町など、本来は旧暦3月3日に行われる雛祭りを八朔に延期する風習を持つ地域も存在するそうです。
みかんのハッサクという名前がついたのは明治19年(1886)で八朔の頃から食べられたからという伝承ですが、実際にはこの時期にはまだ果実は小さく食用には適さないたため12月~2月ごろに収穫され、1、2ヶ月ほど冷暗所で熟成させ酸味を落ち着かせたのち出荷されるので、冬から春にかけて出回り八朔の時期とはあっていません。

八朔