霜月

霜月

今年の11月24日は旧暦霜月朔日です。日本列島は南北に細長いので、地方によってはもう初霜が降りた所もありますが、多くはこれからです。旧暦では月名に異名がありますが、霜月にもいろいろあります。仲冬(ちゅうとう)というのは、陰暦だと10月から12月が「冬」なので、11月が、冬の真ん中の月になるためです。神来月、神帰月(かみきづき)は先月の神無月に、出雲にお出かけになっていた日本各地の八百万の神々がお帰りになる月だからです。神楽月(かぐらづき)というのは、神様に舞や歌を奉納する「神楽(かぐら)」が、冬至の頃に盛んに行われていたからだそうです。雪待月(ゆきまちつき)は冬支度をして、雪を待つ月ということから「雪待月」です。風流な呼び名ですね。霜月(そうげつ)はあえて「そうげつ」と読んで、霜と月の光の情緒を表現する呼び名です。日本らしい優雅で美しい情景が浮かびます。

そのほかの別名・異称があり、建子月(けんしづき)というのは霜月が子の月で十二支の最初なので、1年がこの月から始まるという意味です。そこで江戸時代から霜月1日に歌舞伎の「顔見世」を行うようになったといわれています。

顔見世とは、年に1回役者が交代し、新しい顔ぶれで興行を行うことです。当時の歌舞伎界では役者の契約は1年間で、11月から10月までの定めでした。歌舞伎の正月ともいえる重要な行事となっていて、今日まで続いています。現在は所により10月や12月に顔見世興行の所もあります。劇場の正面に役者の名前が勘亭流で書かれた看板が掲げられ、その順番が二枚目(美男)、三枚目(道化)といった表現の語源になっています。

辜月(こげつ)という異名は語源が複雑で、あるサイトでは「易の考え方によれば、11月は陰が極まっていた10月が終わり、陽が兆し始める時期にあたる月である。この月は、十二支の最初の子の月にあたる月であるから、これまでの古い部分を改め、物事を新しいものに変えてゆくことを欲する月でもある。そのためこの月は「これから新しく生まれ変わるべき古い月」という意味を込めて「故月」と呼ばれていたのだが、その「故」の文字が同じ発音や部首を持つ「辜」の字と混用されてしまったために、結局「辜月」と表記されるようになったのである。」と説明されていますがhttp://rainbowvortex.blog.fc2.com/blog-entry-149.html)なんともわかりにくいです。
他に霜見月、陽復というのもあります。陽復は一陽来復つまり冬至のことです。

霜月

勤労とは何か

勤労とは何か

11月23日は勤労感謝の日です。この日は昔、新嘗祭という五穀豊穣を祝う祭事だったことは知られており、今でも全国各地の神社では神事として行われています。

勤労感謝の日となったのは1948年にGHQの命令で、新嘗祭を国民の祝日から分離することによります。ここでいう勤労とは何でしょうか。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」こととなっていて、とくに勤労の定義は示されていません。国語辞典によれば勤労とは「1 心身を労して仕事にはげむこと。2 賃金をもらって一定の仕事に従事すること。(goo辞書)とあり、1は抽象的で2は賃金をもらうこと、が重要視されています。では勤労と労働はどこが違うかというと、ある説明では「勤労は、職種はどうでもよく、事業者側にやとわれている人間である場合、働くこと自体を勤労と呼びます。」(https://meaning-difference.com/?p=32694)としています。つまり「雇われていること」が重要で、この定義が正しければ、勤労感謝とは雇われて働いていることを尊重しなさい、ということになってしまいます。自営業者や農業生産者は除外ということになります。

同じ説明では労働を「単に働く行為そのものを指し、事業者に雇われていようと自営業だろうと働こうとするさまを示せば、「労働」です。」としていて、「雇われているかどうかは無関係」としています。

勤労感謝の日は英語に訳すとLabor Thanksgiving Dayになるようで、laborは普通、労働と訳しているので、これだと労働感謝日ということになります。米国にはLabor Dayという休日があり、9月の第1月曜日となっていて、この日が夏休み最後の日になっています。GHQはこの日を意識して、日本の勤労感謝の日を命令したのだと想像できます。勤労も英語訳はlaborですから、GHQは勤労と労働の違いを認識しておらず、両者を分けているのは日本の思想といえます。

労働関係法では「事業者や使用者に雇われて労働する者を「労働者」としており、求職者、失業者も含みますが、船員は含まれないそうです。.職種を問わず事業主に雇用される者は「勤労者」と定義されていて、この中には船員、国家公務員、地方公務員も含むそうです。自営業者、家内労働者などの労働基準法において「労働者」に含まれない者は「勤労者」ではないとされています。」 もう訳がわかりません。

勤労

小雪

小雪

11月22日は二十四節気の小雪です。「小雪」をネット検索すると最初に女優さんのサイトが出てきます。いまはショウセツよりコユキの方が有名なのですね。二十四節気は旧暦の行事ですが、旧暦は太陽太陰暦なので太陰暦の行事よりも現在の新暦とのギャップが少ないのです。今年の小雪は11月22日から12月6日までの15日間です。

小雪の間は寒い日もありますが、日中は温かい日もあり、こういう日を小春日和といいます。そもそも小春というのは、勿論女性の名ではなく、旧暦の10月の別名です。

小雪の最初である初侯は虹蔵不見(にじかくれてみえず)といいますが「蔵」には潜むという意味があり、虹が見られなくなる頃という意味です。日差しも弱まり虹が出てもすぐに消えてしまいます。また空気も乾燥するので、虹も出にくいです。
次侯は朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)です。「朔風」とは北風のことで、木枯らしが木の葉を吹き払う頃ということです。
最後の末侯は橘始黄(たちばな はじめて きばむ)です。橘の実というのは今であまり見かけなくなりましたが、橘は日本固有の柑橘類です。葉が枯れない常緑樹なので、永遠の象徴とされ、その実は「不老不死」の実として『日本書記』にも登場します。京都御所紫宸殿の南庭に植えられ「右近の橘、左近の桜」とされ、お雛様の飾りにもされています。大きな神社もそれに習っている所もたくさんあります。

永遠であることが文化の永久に通じるとされ、文化勲章のデザインにも採用されています。文化勲章は文化勲章令という法律で戦前(昭和12年)定められた特別な勲章で、他の勲章には階級がありますが、文化勲章には階級がありません。文化勲章は、章、鈕、環、綬の各部から構成されていて、章は橘の五弁の花の中心に三つ巴の曲玉を配しており、鈕は橘の葉と実を、それぞれ緑色と淡緑色で表しています。環は金色で小形の楕円であり、綬の幅は3.7センチメートルで淡紫色と定められています。

橘は別名をヤマトタチバナといい、西日本の海岸近くに自生していることもあるそうです。家紋にも多く取り入れられ、基本の橘紋の他、三つ橘、五つ寄せ橘の他、一見橘に見えない陰橘というデザイン化されたものもあります。橘紋は十大家紋の1つで、黒田氏、井伊氏など大名から旗本にも用いられています。日蓮宗の寺紋は井桁に橘で開祖日蓮が井伊氏一族の出身であることに由来するそうです。石清水八幡宮は橘紋と三つ巴が神紋としています。京都の梅宮大社も橘紋を社紋としています。

小雪

World Television Day

World Television Day

11月21日は国連が定めた世界テレビの日だそうです。1996年12月の国連総会で制定されました。1996年のこの日に国連主催の「第1回世界テレビ・フォーラム」が開催され、テレビが人や世論の意志決定の過程において大きな影響を及ぼすようになったことから実施されたのだそうです。国連加盟国に対して、平和・安全・経済・社会開発・文化交流の拡充などの問題に焦点を当てたテレビ番組の世界的な交流を促すことにより、この日を記念するように呼びかけたのだそうですが、その27年前1969年インターネットが誕生しています。テレビの発明は1925年イギリス人のベアードということになっていますから、70年かかって普及したわけです。
テレビジョンの語源はtele遠く、vision見ること、ですから、遠くのものを見たいという人間の欲望が物理的制限があった望遠鏡の時代から比べると、空間を越えて見ることができるようになった画期的な発明だったといえます。
インターネットの普及は「インターネットの発展・普及を、1994年頃までの「インターネット黎明期」、1995から2000年頃までの「インターネット普及開始期」、2001から2010年頃までの「定額常時接続の普及期」、2011年以降の「スマートフォンへの移行期」の大きく4つの時代区分に分けて」(総務省HP)となっていて、スマートフォンの普及がキーになっているわけです。発明から42年と速度は上がっています。
テレビの場合は、長く共有の時代があり、街角テレビから各家庭へと変化し、今でも個人テレビ視聴はそれほど多くないと思われます。インターネットは視聴者が最初から個人を想定しており、PCつまりpersonal computer個人計算機から普及が始まってスマートフォンという完全に個人用ツールによって普及したわけですから、同じ情報共有でも受け手が複数と単数という違いの差があります。また機器の価格も相当差があり、それが普及速度と関係していると思われます。国連のテレビ・フォーラムが話題としていた「世論の意思決定の仮定において大きな影響」は意思決定があくまでも個人のものである、という前提に立てば、普及「黎明期」であったインターネットの存在を理解していなかったか、発展速度を甘くみていたということです。
日本の放送法は1950年(昭和25年)より施行されたのですが、これは日本放送協会(NHK)設立のためであり、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることにある」(同法第1条)とあって、国連の議題とは趣旨がまったく異なります。現在、テレビ放送のインターネット化が進んでいる状況ですが、国連の宣言以前に作られた放送法と国連宣言の趣旨の検討なく混淆化していくと法的な矛盾が生じるのは必至です。公共の福祉と世論意思決定の関係をどうするのでしょうか。

テレビ

国際子どもの日

国際子どもの日

日本の子どもの日は5月5日の端午の節句ですが、International Children’s Day国際子供の日は11月20日です。1954年、世界の子どもたちの相互理解と福祉の向上を目的として、国連によって制定されました。1959年11月20日には国連総会で「子どもの権利宣言」が採択され、その30年後の1989年の11月20日、すべての子どもに人権を保障する初めての国際条約『子どもの権利条約』が、国連総会で採択されました。この条約が生まれたことにより、世界中で子どもの保護への取り組みが進み、これまでに多くの成果が生まれました。(https://www.unicef.or.jp/wcd/)
世界の中には可哀そうな子どもがたくさんいます。
「年間520万人が5歳の誕生日を迎えられずに亡くなっている。(6秒に1人の5歳未満児が命を落としている。)」
「5,900万人が小学校に通えていない。(小学校に通う年齢の子どもの11人に1人に相当)」
「3億5,600万人近くの子ども(6人にひとり)が、極度の貧困状態(1日1.90米ドル未満)で暮らしている。」
「推定170万人の子ども(0〜14歳)がHIVと共に生きている。」
「1億6,000万人が、児童労働に従事している。(そのうち 7,900万人は、危険な状況・条件下で働いている)」(同上)
UNICEFはこういう子どもたちを支援をしています。個人や各国だけではどうにもならない状況なのですが、やはり個人や国が支援しないとどうにもならないのです。
ユニセフは東京事務所を開設していますが、別に日本ユニセフ協会というのがあり、「UNICEF東京事務所はユニセフ公的資金調達局の駐日事務所として、日本政府からの政府開発援助(ODA)による資金協力や、その他の連携促進などを行っています。民間(個人、団体、企業等)の窓口は日本ユニセフ協会、政府機関の窓口はUNICEF東京事務所と、それぞれの役割をふまえ、ユニセフ支援の輪を広げるために日頃から密に連携して活動しています。」と役割を分担しています。ユニセフのアンバサダー(大使)も黒柳徹子さんはユニセフ国際大使で、日本ユニセフ協会大使は長谷部誠さん、ユニセフ・アジア親善大使がアグネス・チャンさんと分かれています。世界でも著名人が大使であったり、イベント参加があったりしています。ユニセフへの寄付は税額控除の対象となり、約40%が所得税額から控除されます。マンスリーサポートが便利ですが、偽サイトもあるので注意してください。正しくはこちらです。https://www.unicef.or.jp/cooperate/coop_monthly2.html

世界の子ども

新宗教

新宗教

11月19日は旧暦神無月二十六日です。天保九年(1838)のこの日、天理教が開教しています。天理教はいわゆる教派神道(宗派神道)の1つで、江戸時代から明治時代にかけて起こった新宗教の1つです。Wikipediaの解説によれば、教派神道とは「江戸時代までの伊勢神宮・出雲大社・浅間神社(富士山)の講組織や、江戸時代から明治時代に起こった新宗教も含め、明治時代に神道を宣教する教派として段階的に公認されていった総計14の神道系教団のこと」だそうです。新宗教と似たような表現に新興宗教という表現もありますが、これは伝統宗教との対比で使われる表現なので、時期も内容も曖昧です。鎌倉時代に起きた宗派も既に長い年月が経っていますが、伝統宗派から見ると新興宗教となります。たとえば西洋のカトリックもヨーロッパからすると伝統宗教でプロテスタントが新興宗教となりますが、アフリカではアニミズムの宗教が先にあったので、それが伝統宗教で、カトリックは新興宗教ということになります。日本の場合は仏教の伝来以前にも宗教があり、その後各時代にいろいろな宗教が起きましたから、それぞれの立場から新興宗教ないし新宗教の分類が異なります。
戦前日本の宗教団体法で公認された宗教は、神道、仏教、キリスト教の三教のみであり、非公認の宗教団体は、行政上「類似宗教」と呼ばれていました。また日本の宗教学は近現代に誕生した宗教を指す価値中立的な用語として新宗教を用いているそうです。幕末・明治維新以降に成立した宗教のうち、既成の宗教組織を継承していないもの、また新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶという判断基準だそうです。その後の明治から大正にかけて新宗教の勢力は小規模なもので、現在も残る大教団は1930年に創価学会と霊友会、1938年に立正佼成会が創立され、戦後に急成長を遂げました。1970年代以降に台頭してきた宗教を新新宗教と呼ぶ学者もいて、幸福の科学、旧統一協会、オウム真理教などが急速に拡大しました。新新宗教については研究者によって意見が分かれ何をもって新しいとするかの具体的基準も明確に定まってはいない状態です。現代は宗教嫌いというか特定の宗派に所属することを嫌う人々が増え、無宗教を標榜する人が圧倒的になってきました。一方で、年末年始の参詣や祭り、葬儀など宗教行事への参加は続いており、御朱印ブームやおみくじブーム、テレビの星占いなど宗教類似行為は浸透しています。諸外国では宗教と民族がセットになっていて戦争になっていることも多い中、日本では共存共栄というのか、激しい争いというのはあまり見られません。政治と宗教の絡みが最近の話題ですが、定義も曖昧なまま国会で論議するという外国には見られない風景も日本文化なのかもしれません。

信仰

島原の乱

島原の乱

11月18日は世界一有名なネズミMickey Mouseのスクリーンデビューの日だそうですが、あちこちのサイトで紹介されるでしょうから、その話題は避けて、寛永14年神無月二十五日に起きた島原の乱についてです。今年は今日がその日にあたります。主人公ともいえる天草四郎は日本では切支丹の殉教者というイメージですが、カトリック教会は意外にも聖人扱いではなく殉教者とは認められていません。百姓一揆の首謀者ということです。「島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった江戸幕府のキリシタン弾圧に対する反乱。日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。」(wikipedia)が日本人のほぼ共通の理解ですが、欧米とはギャップがあります。Wikipedia英語版でも日本語版と同じ内容が短く記述されているだけで、あまり関心がなさそうです。日本では天草四郎が舞台や映画、テレビゲームなどの題材になっていて、像があちこちに建っているだけでなく、ミュージアムがあるほど関心が高い人物で、伝説化しています。カリスマ的な人気があり、さまざまな軌跡を起こしたともいわれていますが、これらは後世、イエスの奇跡をなぞった逸話ものだといわれています。島原の乱の当時はまだ17歳で一揆軍の総大将となりますが、実際の指揮能力はあるはずがなく、四郎を押し立てた庄屋や浪人たちが計画実行した乱で、原因は島原藩主松倉勝家の苛酷な年貢取り立てに反発した百姓の反乱に、切支丹弾圧で改宗を拒否した信徒への拷問や処刑に反発した人々が一斉に一揆を起こしたものです。当時の百姓というのは農民だけでなく漁民や商人、職人なども含まれていました。島原は元はキリシタン大名の有馬晴信の所領で、領民のキリスト教信仰も盛んでしたが、有馬氏が転封となって、代わりに松倉重政が入封し、重政は江戸城改築の公儀普請役を受けたり、ルソン島遠征を計画して先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりして費用がかかったため、領民から年貢を過重に取り立てたのです。次の島原藩主松倉勝家は島原の乱の失政を認めず、反乱軍がキリスト教を結束の核としていたとしてキリシタンの暴動と主張しました。江戸幕府も島原の乱をキリシタン弾圧の口実に利用したため「島原の乱=キリシタンの反乱(宗教戦争)」という見方が定着してしまいました。実際にはこの乱に有馬・小西両家に仕えた浪人などが加わっており、「キリシタンの宗教戦争と殉教物語」というイメージとは異なり、百姓一揆としての「鍬と竹槍、筵旗」とも違うことがわかっており、そのため島原の乱に参加したキリスト教徒は殉教者と認められず、首領の天草四郎も聖人の列に加えてもらえなかったということのようです。反乱軍は原城に籠城して善戦するも大軍勢に破れ、苛酷な処断により切支丹は壊滅、以後は隠れ切支丹となっていきました。

島原の乱

世界哲学の日

世界哲学の日

今年の11月17日(第3木曜日)は世界哲学の日World Philosophy Dayです。2002年11月21日に初めて実施され、目的は人類が直面している課題により効果的に対応するために哲学的分析・研究を促進すること、グローバル化や近代化への影響で生じる問題に対して哲学の重要性の認識を高めること、次世代のための哲学教育の重要性を強調することなどとなっていて、2005年のユネスコ総会で「世界哲学の日」を11月の第3木曜日に実施することが宣言されました。ちなみに日本には別の哲学の日があり4月27日になっています。由来は紀元前399年のこの日、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなったことです。ソクラテスの思想は弟子のプラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じて知られています。ソクラテスの妻であるクサンティッペが悪妻として有名であったことから同日4月27日は「悪妻の日」となっているそうです。(wikipedia)ソクラテスの命日が哲学の日の由来であることはすぐにわかりましたが、誰が制定したのかは検索できませんでした。もっともこうした謎を解くべくいろいろ調べて考察することが「知を愛すること」という哲学の原義ですから、わかるまで調べるのがいいのかもしれません。哲学というと難しい、という印象が広がっていますが、それは哲学者と称する専門家がむずかしい表現で説明したことによるもので、これはどの学問分野にもある専門用語だけで専門家同士が議論することが原因です。しかし哲学以外の学問分野は医学や社会学、経済学というように名前から漠然とでも想像できますが、哲学だけは何の学問なのか想像できないことも原因しています。言い換えると哲学そのものの定義が曖昧のままで研究対象が一定していなことです。英語のphilosophyは哲学以外に理念とか思想という訳語もあり、少しだけ身近に感じられます。学位にPh.D=Doctor of Philosophyというのがあり、訳語は哲学博士ではなく日本では博士(学術)となっていて、あらゆる分野を包括する分野になっています。日本の哲学者たちは何か高尚な考察を行っているような意識があるようですが、そのせいか日本の大学の哲学の講義は哲学史ばかりで、自分で思考する技術は教えません。欧米では哲学は教養科目として必修で学問するための必要なツールです。「何のため」という学問の目的を学ぶのですが、日本は「どうやって」ばかりを考える思考方法に偏っています。社会もhow toばかり考えてwhyを考える習慣がなくなり、将来計画とか社会貢献などが忘れ去られるという結果になってしまいました。受験勉強も合格のための詰め込みに集中するあまり、なぜそこを受験するかという目的を見失っている人が増えすぎました。落ちこぼれるとどうにもならなくなります。哲学せよ、日本人。

ソクラテス

国際寛容の日

国際寛容の日

11月16日はInternational Day for Tolerance寛容のための国際デーだそうです。定義は”Tolerance is respect, acceptance and appreciation of the rich diversity of our world’s cultures, our forms of expression and ways of being human.”(「寛容とは、世界の文化の豊かな多様性、表現方法、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、感謝することです。」ユネスコスクールhttps://www.unesco-school.mext.go.jp/events/international-day-of-tolerance-japan-11-16-2/)となっています。「1995年の国際寛容年を受けて、翌1996年に制定されました。」とのことです。「寛容な」という日本語に対応する英語はtolerantの他にopen-minded, permissive, lenient, generousなどいろいろあります。つまりは場面に応じて使い分けが必要な単語で、定義のような使い方が最も抽象的で無難ですが、具体性がないのが欠点ですが、そこは寛容に赦さねばならないのでしょう。そもそも国連がこうした決議をしなければならないのは世界の人々が寛容でないからです。平等を訴えるのは平等でないことがあるから、公正を訴えるのは公正でないことがあるから、といえます。日本人の場合、元々寛容な文化があり、今更訴えられてもどうしたら良いのか迷いませんか?日本社会では寛容かどうかは個人の資質としてとらえられることが多いと思います。寛容な人かどうかの判断です。強いていえば自分に対して寛容なのかどうかが問題でしょう。日本という国が世界の文化の多様性や表現方法、人間のあり方について他国にあれこれ言うという考えはまずないように思えます。多少隣国と揉めることはあっても他国のこととして干渉することは少ないと思います。ところが世界の多くの国では他国に干渉することが多いのです。他国を自国に従わせようとする国が多いので紛争や戦争が絶えないわけです。現在の世界がナショナリズムとグローバリズムが拮抗している状況で、ナショナリズムが自国中心になることはわかりやすいですが、グローバリズムが主張する国の価値判断を他国に押し付けているようなものになっていることはないでしょうか。グローバリストが寛容かどうか受け入れる前に検証の必要があると思います。寛容は自分に対して求めるべきもので、他人に求める時点で自分は寛容でなくなってしまいます。多様性の容認を押し付ける論理が自己矛盾になるのと同じです。多様性を認めない人もいることが多様性そのものです。多様性や寛容性といった抽象概念はなかなか理解がむずかしく具体例がないと判断できません。国連が決めたことだからと寛容性のない国や人を罰するようなことがあれば自己矛盾になります。しかしそれでは寛容な世界はなかなか形成されません。「寛容とは、普遍的な人権と他者の基本的自由を認めることです。」とユネスコスクールは説明しています。具体的にはどうなのでしょう。

寛容

七五三

七五三

11月15日は伝統行事七五三です。昔はよくあったのですが、数字だけを並べたネーミングです。アメリカ独立記念日は通称July 4thという日付で呼ぶのと同じで、誰にもピンとくる共有文化といえます。英語でseven-five-threeと言ってもコンビニの名前と誤認されるだけです。どうやらShichi-Go-Sanのように日本語のままのようです。しかし英米人は日本語の数字など知らないので、サンが人名の敬称であることは知っていて、誰かの名前だと思うだけです。日本人なら三歳・五歳・七歳の祝いであることは知っていますし、男子が五歳、女子が三歳と七歳という習慣ですが、今では性別もなくなりつつあります。本来は数え年三歳(満年齢2歳)を「髪置き」とし、主に女児が行い、数え年五歳(満年齢4歳)を「袴着(袴儀)」として男児が行い、数え年七歳(満年齢6歳)を「帯解き」(紐解き)として女児が行う習慣でした。江戸時代3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀式で、5歳で男子が袴を着用し始め、女子7歳で女子が付け紐から大人と同じ幅の広い帯を結び始める儀式でした。
服装が替わることで徐々に大人の仲間入りしていく自覚を持たせることが目的でした。
シチゴサンという表現が示すように七をシチと読む関東の風習です。由来は天和元年(1681)11月15日に館林城主である徳川徳松(徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされています。15日は二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされ、11月は収穫を終えて実りを神に感謝する月であり、また子(ね)の月という始まりの月の満月である15日というめでたい日に、氏神様へ感謝と子供の成長加護を祈るようになった江戸時代に始まった神事でした。従って旧暦の数え年で行うのが正式で、日付も本来なら旧暦ですが、明治以降に新暦に変更されました。着物も本来の決まった和装で両親も和装で神社に参拝します。記念写真を撮る習慣は無論、近代のものです。伝統も時代変化した結果であることがわかります。
千歳飴(ちとせあめ)は長寿を願う縁起物で、紅白のめでたい色に染められ鶴亀や松竹梅などが描かれた千歳飴袋に入れられています。現在ではキャンディメーカーがいろいろ出していますが、地元の老舗菓子屋が定められた手順で作った千歳飴を神社に納め、お祓いを受けてから店頭に並べるのが本来の姿です。
変わったところでは発祥の地、茨城県では長男の七五三を結婚式場を借りて盛大にお祝いすることもあるそうです。招待された客もそれに応じた装束とお祝いをもっていきます。服装を変える始まりは平安時代の公家の文化であったものが江戸時代に武家の文化となり庶民にも広がっていった関東中心の行事でしたが、今では日本全国に広がりどこの神社でもするようになりました。

七五三