Sterling silver

Sterling silver

9月25日はスターリングシルバーの日だそうです。1880年(明治13年)創業の日本初の銀製品専門店である株式会社宮本商行が制定したそうです。スターリングシルバーの純度1000分の925の「925」から9月25日としたもので、スターリングシルバーとは、92.5%が銀、7.5%が銅などの割り金をした合金のことです。銀の美しい光沢を保ちながら加工しやすい柔らかさを兼ね備えているのが特徴です。100%が銀の「純銀」は柔らか過ぎるため、傷付きやすく、加工には不向きで、酸化しやすく、すぐに黒ずむ性質があります。銀製品は歯磨きで磨くときれいになりますが、なかなか面倒です。そこでスターリングシルバーにように割り金と呼ばれる他の金属を配合して合金という形で利用されるようになりました。現代では価格が安く錆びないステンレスにとって代わられて、銀の食器類はあまりみなくなりました。
長い歴史のあるイギリスの銀貨のことをスターリング・ポンド(pound sterling)といい、これはイギリスの通貨「ポンド」の正式名称でもあります。sterlingという単語には「本物の」「信頼できる」などの意味があり、これはイギリスの銀貨が法定の純度を保っていることからきています。Sterlingだけで英貨という意味にもなります。
欧米では「銀のスプーンをくわえて生まれてきた子どもは幸せになる」(Born with a silver spoon in one’s mouth)ということわざがあり、幸福への願いを込めて誕生祝いや洗礼の折に銀のスプーンを贈る風習がありますが、少なくなってきたようです。外国の土産屋にはコレクター用のスプーンがおいてありますが、多くはいまでもスターリングシルバーのスプーンに陶製の飾りがついています。現地の特徴が描いてあるので今でも人気がありますが、最近はマグネットに押され気味です。
銀は昔は世界共通の通貨で、とくに日本は石見銀山などから算出する豊富な銀が外国貿易に使われました。「銀行」というのはその名残りでもあります。「銀行」という名前の由来は明治 5年(1872)制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳したことが始まりだそうです。当時はお金には金も銀もあり、それを扱う店であり、中国語で「店」を意味する「行」を重ねて「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりましたが、結局語呂のよい「銀行」の採用が決まったそうです。中華圏では今でも金行という貴金属店があります。Bankの語源は15世紀にイタリアの両替商が使用したBANCO(カウンター)がフランス語に入り、古ゲルマン語から英語に変遷しました。Bankと銀行はそれぞれの歴史があります。銀は昔の日本語ではシロガネと呼ばれていて白銀という語に残っています。銀は価格の乱高下があり投機の対象になることもありました。

銀貨

International Day of Sign Language

International Day of Sign Language

1951年9月23日に世界ろう連盟が設立されたのを記念して、2017年国連総会でこの日をInternational Day of Sign Languageとする決議が行われました。日本の全日本ろうあ連盟ではこれを「手話言語の国際デー」と訳しています。日本では3月3日を「耳の日」として手話関連の行事が行われるため、世界の手話の日はあまり知られていません。手話と手話言語はどう違うの、という疑問があるのは当然です。いろいろな見解があるのですが、ざっくり言えば同じと考えて差し支えないです。
「手話はろう者の言語である」という定義が一般的ですが、定義する上では「ろう者とは」「言語とは」が問題です。聴覚障碍者には大別して聾者と難聴者があります。漢字の聾者はいろいろな事情から「ろう者」と平仮名と漢字交じりで書くことが主張されていますが、ここでは紙幅の都合もあり漢字にします。このように聾者をめぐる諸問題は複雑な社会背景がありますが、今日は手話の日なので手話に限定した話題にします。また23日は日本では昨日ですが、時差があり欧米では今日行事があります。
言語についての定義は難しく、日本では国や民族と同一視されることが多いです。フランス語、フランス人は別々には考えません。しかし世界のほとんどの国は他民族国家で複数の言語が使われています。その意味では概ね民族と言語は一致します。しかしアメリカのような国では共通語としてアメリカ英語が使われていますが、地域によってスペイン語も公用語とされていたり、もっと多くの民族語が公用語とされている地域もあります。公用語というのも定義がむずかしいのですが、政府の書類や裁判などで使用できる言語という実用的なものです。手話を公用語としている国もあります。
手話の場合、聾者は民族ではなく、かといって聴覚障碍者がすべて手話を使うわけでもありません。そこで欧米では「手話を使う人を聾者とする」という逆定義がなされています。そうすると耳が聞こえている人(聴者)で手話を使う人も聾者なのか、という疑問がでてきます。とくに親に聾者がいて子供の頃から手話でコミュニケーションしていると自然に手話を習得します。こういう子供をコーダCODA(Children OF DEAF ADULT)と呼び「聾者の仲間」と考える人々もいます。
手話は概ね国ごとに違いますが、これは教育との関係が深いのです。ろう教育が普及していない国では民族により、極端な場合は住んでいる村ごとに手話が違うことが知られています。日本国内でもかなり地域方言があり、世代による違いも大きいので、テレビ放送の手話がよく理解できない人もいます。手話通訳者はテレビ放送のような手話だけでなく、地域や個人に合わせた手話通訳が必要で、高度な技術を要求される場合もあります。こうした複雑な事情を理解していただくのが手話の日の意義です。

手話

Autumnal Equinox

Autumnal Equinox

9月23日は秋分の日、彼岸の中日です。秋分の日を英語ではAutumnal Equinoxといいます。秋はautumnですが発音がオータムのせいか最後のnを忘れる人が多いです。形容詞形がautumnalなのでこれを覚えておくと間違いが少なくなります。春分は英語でvernal equinoxです。春springにはspringy(春めいた)という形容詞形がありますが、vernalというあまりなじみのない形容詞を使うのは理由があります。それはautumnalもvernalもラテン語が語源となっていて、学問的な用語はギリシア語語源かラテン語語源がほとんどです。Springは古英語なので普段はこちらを用います。Equinoxはこれもラテン語のaequus “equal” + nox “night”の複合語で「(昼と)夜が等しい」という意味を表しています。日本では秋は旧暦だと立秋からで、実際はまだ暑い時期なのですが、欧米では秋分から冬至までを秋としているので、緯度の高い欧州では実際にかなり涼しくなります。場所によっては冬並みに寒い地域もあります。
秋分や春分について、日本の理科教育では影の長さで説明していることが多いようです。夏至の太陽は高く従って影が短いのに対し冬至では太陽の位置が低いので影が長くなります。そこで棒を立てて一日の影の長さを計測してグラフにし、その変化を記録すると、東西を横軸にして、夏は上向きの双曲線、冬は下向きの双曲線を描き秋分と春分は直線状になることがわかります。これにより春分と秋分は昼と夜の長さが同じであることを示します。そしてこれは北半球での現象であることを追加で説明しています。実に丁寧かつ理論的な説明ですが、中学生の何人がわかるのか想像ができにくいです。英語の説明だと例えばブリタニカでは「秋分とは太陽が赤道の真上にあり、昼と夜が同じ長さである年の2つの瞬間。また、黄道(太陽の年間経路)と天の赤道が交差する空の2つの点のいずれか。北半球では、秋分は9月22日か23日頃に降り、太陽は天の赤道を南に横切る。南半球では、太陽が天の赤道を越えて北に移動する3月20日または21日に春分が発生します。季節の天文学的定義によると、秋分は冬至(北半球では12月21日または22日、南半球では6月20日または21日)まで続く秋の始まりでもあります。」(Google翻訳)と説明しています。そして影の長さではなく太陽の周りを公転する地軸の傾いた地球の楕円軌道の図でequinoxの時に距離が最も近く北半球と南半球では春と秋が逆転することを説明しています。
https://www.britannica.com/science/autumnal-equinox
どちらがより科学的かという議論は無意味だと思いますが、こうした現象についての考え方の違いが文化になっている点は興味深いです。科学的知識は世界共通ですが、解釈や教育は文化が反映することも知っておきたいものです。

彼岸花

秋の社日

秋の社日

グレゴリオ暦9月22日は旧暦葉月二十七日で「社日(しゃにち)」です。社日というのは二十四節気以外の雑節の1つで社日は春と秋にあります。雑節には古代中国由来のものと日本独自のものがあり、社日は古中国由来です。社とは土地の守護神、土の神を意味します。漢字のつくりに土があることからも想像できます。現代では神社、会社、社会と幅広く使われる字なので意味が曖昧になっています。社日は春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日です。つちのえなのは土との関連です。戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸(みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とすると定められていますが、前の戊の日とする決め方もあるそうです。
社日には産土神(うぶすなかみ)に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝します。春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)ということはご紹介しましたが、それを拡張して秋にも呑むこともあるそうで、酒が呑めれば適当に解釈しているのかもしれません。ちょっと耳が遠くなってきたな、と思う方は試してみてはいかがでしょうか。信じるも信じないもあなた次第。だめで元々です。とくに銘柄指定はないようで利き酒というくらいなので、がんばって酒のいうことを聞いてみるのもいいでしょう。
五穀豊穣という秋の収穫に感謝するということですが、五穀とは何かということについて概ね米麦粟豆黍(きび)または稗(ひえ)ということになっています。米麦粟までは一致していますが、その他はいろいろ説があるようです。豆はとくにいろいろあります。現代では黍や稗は常食にはないので、五穀米で間に合わせています。蕎麦は穀類に入っていませんが、それもよいと思います。私見では海産物も入れてよいのではないかと思います。一見、土には関係ないですが、近代では山と海の相関も重要視され、山の手入れが海産物に影響するとわかってきていますから、海産物も土からの恵みと思うのです。近年は山で海の魚を養殖することも増えてきており、自然だけでなく人の努力にも感謝するのがよいのではないでしょうか。食料の多くを輸入に頼り、生産者の顔も見えにくくなった現代こそ、自家栽培や知り合いからのもらいものは貴重です。産土神は自分の産まれた土地の神様で引っ越ししても一生自分を守護してくれる神様だそうです。故郷の食べ物もよし、他所の土地の名物もよし、秋の収穫物は豊富ですから、海山の恵みをありがたくいただき、土と人の働きからできた米をさらに手間をかけて作られた酒をありがたくいただくには最適なのが社日だと思います。
秋の日の酒は静かに呑むべかりけり。

社日

International Day of Peace

International Day of Peace

9月21日は世界平和の日で、1981年に国連が定めた比較的新しい記念日です。この日に関連して2016年SDGsが「「持続可能な開発目標、平和への砦の構築」というスローガンとして提案されたことはあまり広報されていません。つまり世界がpeaceと考えている意味と日本の平和では概念が異なっていることが明確です。
日本のウイキペディアは平和を「国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味し、元来、戦争は宣戦布告に始まり平和(講和)条約をもって終了し、これにより平和が到来するとされてきた」と解説し、戦争がない状態が平和と考えるのが一般的な日本人だと思います。しかし英語版のwikipediaではPeace is a concept of societal friendship and harmony in the absence of hostility and violence.( 平和は敵意や暴力のない社会的な友情と調和の概念です。google訳)としています。この意味だと今の日本がpeacefulな状態と言えるでしょうか。
またピースサインという日本指を立てるジェスチャーがありますが、日本では写真を撮る時のポーズでしかなく、ウイキペディアが解説するような「勝利・反戦・平和という意味を持ち」とはなっていないように思えます。これはVサインのことで、形が同じため誤認されていると思われます。裏返しのピースサインは当然反意を示し欧米では「侮蔑や卑猥の意味に変わる」のですが、現代日本の若者が裏返しや下向きのサインを楽しそうにしている画像を見かけます。YouTubeやTiktokのような世界中の人が見る動画配信だと誤解されそうで不安を覚えます。
日本語の平和は現代用語で、古来は「落着き、長閑(のどか)、静穏、平安、太平、無風」などの表現で表されていた、どちらかというと心の状態を示していました。英語のpeaceも語源的にはユダヤの挨拶であるshalomやハワイのalohaなどが意味する平穏なこと、安寧なことを喜ぶことから来ています。韓国語のアンニョンハシムニカも「安寧でいらっしゃいますか?」という意味です。
クリスマスソングのSilent Night(聖しこの夜)でもSleep in heavenly peaceとあるように、元来は宗教的なニュアンスが多かったのです。宗教的なニュアンスで考えるならば、仏教の涅槃(ねはん)がそれに該当するかもしれません。ヒンドゥー教のビシュヌ神は平和を司る神であり、この平和というのも精神的な意味です。どの宗教も心の平安を求めているのは共通です。戦いがないのはその1つにすぎません。
現代語の平和は無戦争状態に限定した狭義となっていて、平和主義と唱える人々も限定的な意味での平和を主張しています。本当の平和とは何か、古来からの意味を改めて考えてみるのも世界平和の日にふさわしいのではないでしょうか。

世界平和

彼岸の入り

彼岸の入り

今年は9月23日が秋分の日で旧暦の葉月二十八日です。その前後3日間を含めた1週間が彼岸ですから、9月20日が彼岸の入り、26日が彼岸の明け、23日を中日と呼びます。この1週間を仏教では彼岸会(ひがんえ)といい仏事が行われます。彼岸の意味や習慣は当日にご紹介するとして、改めて旧暦と新暦の違いを説明しておきます。
まず現在広く使われているのはグレゴリオ暦といいます。これは太陽の運行を中心においているので太陽暦です。それに対し明治5年に廃止されたのが旧暦ですが、何度も改訂されてきたので改暦直前の暦を天保暦といいます。これは太陽と月の運行を中心においているので太陽太陰暦あるいは陰暦といいます。1年が365日なのは誰でも知っていますが、これは地球が太陽の周りを1周するのを公転とよびそれを1年とする、と理科の時間に習います。そういう動画や模型を見たことがあると思います。しかしピッタリと365日ではなく、年により若干の差がありますが計算上365.242190402日となっています。公転方向は反時計回りです。さらに地球は自転していますが、その周期つまり1日は24時間とされていますが、厳密には23時間56分4秒です。そして太陽も自転しています。自転周期は25.38日とされています。地球の自転も太陽の自転も反時計回りで、地球の公転も反時計回りというのが事実です。なかなかイメージしにくいかもしれませんが、フィギアスケート選手が回転しながら円を描いているような感じで、それを円の中心で撮っているカメラマンもクルクル回っているような感じです。もし選手の顔を撮ろうとすればかなり大変でしょう。つまり1日も1年も一瞬でしかないのです。
さて月ですが、月も自転しており周期は約27.3日で地球の周りを同じ周期で公転しています。それでいつも月は同じ面を地球に向けているわけです。言い換えると地球上の見る場所によって見る面が違っています。これは偶然の現象ではなく、潮汐力の結果だろうと物理学では考えています。太陽太陰暦では月の公転を1ヵ月としているのですが1ヵ月を30日としているため、現実にはずれてきます。それだけでなく、1年を12ヶ月としたため360日となりざっくりとして5日のズレがでてきます。6年たつと1ヵ月分のズレがでるので閏月(うるうづき)で調整しているのが太陽太陰暦です。昔はそれでもそれほど大きな生活に不便はなかったようです。むしろ月の満ち欠けが正確にわかる方が漁業や出産には都合がよかったわけです。1週間が7日というのは太陽や月とはまったく関係のないキリスト教の聖書の思想が反映しています。旧暦では1ヵ月を10日に分けて旬(じゅん)とし、初旬、中旬、下旬にもそれぞれ名前をつけていました。季節感のある名前なので時々ご紹介してきました。

太陽と月

count

count

カウンターといえばまず横に細長いテーブルを連想されると思います。元の英語のcounterもそういう用法が一番多いと思います。そのcounterは「対抗する」という意味もあり、counter cultureなどが最近話題になります。とくにアメリカでは従前の伝統的な社会に反抗する文化をそう呼んでいます。昔はヒッピー、今はBLMなどです。ボクシングファンならカウンターパンチというのをご存じでしょう。これは相手の逆を突くという意味です。しかしcounterにはさらに意味があり、counter partnerのように「相手方」という意味もあります。たとえば日米同盟会議において日本側の外務省高官に対して先方の国務省高官がcounter partnerであって必ずしも対立を意味しません。日本語でいう同格というニュアンスがあります。
日本は世界でも珍しい同盟国の少ない国で、同盟国は米国のみ。準同盟国が豪英仏加印の5カ国、計6カ国しかありません。つまりcounter partnerの少ない、お友達の少ない寂しい状態です。アメリカはお友達になりたい国が多いのでNATOを始めアジア、オセアニアに同盟国があります。ロシアは現在孤立しているような報道が多いのですが、それでもCSTOという同盟があり、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギル、タジキスタン、イラン、中国、ベネズエラの8カ国です。日本は何かというと国際化とか国連とか言い出す割に同盟の少ない国ということです。
Counterの元であるcountは数を数えるのが原義で、商取引や銀行などで金勘定をするテーブルや窓口がカウンターの語源です。会計をaccountというのは同じ意味です。英語のcounterの語源は2つあり1つは古仏語のcontouerでこれが数える方、もう1つは古仏語のcontreから来ています。この2つの違いは文法に反映しており数える、あるいはテーブルのcounterは名詞と動詞、対抗の方のcounterは形容詞です。複合語のcounter tableとcounter partnerでは品詞の違いが見えにくくなっています。文法に弱いアメリカ人にはほぼ違いがわかりません。なお大文字のCountは伯爵です。こちらの語源はcounteですから、元が違います。英語も借入語が多く、借り入れた段階でごちゃごちゃになっています。日本語でlock, rockがロックになってごちゃごちゃになるのも当たり前の現象といえます。Countから派生した語にaccountの他にencount遭遇するというのがあります。この語源は古仏語のencontreで対抗的な意味がありfightというニュアンスもあるので日本語の遭遇とは少し違うことも知っておくとよいです。直面する、でくわす、衝突すると訳されることがしばしばあります。
本日は英国女王エリザベス二世の葬儀です。数少ない同盟国元首ですのでしめやかにご冥福をお祈りしたいところです。

同盟

シマクトゥバの日

シマクトゥバの日

9月18日は沖縄県が平成18年に「しまくとぅばの日に関する条例」により制定しました。方言に関する記念日が条例により定められるのはこれが初めてだそうです。今年は沖縄返還50周年でNHKの朝ドラも沖縄が舞台になっていましたが評判はよくないようです。シマクトゥバというのは島言葉のことで沖縄方言を意味します。すぐ近くの奄美では島口(しまぐち)というので、文化圏としても違うことがわかります。なぜか沖縄方言についてテレビのバラエティなどでは「よくわからない言葉」として津軽方言と一緒におもしろがられるネタにされています。方言は言語学的には3つに分類され、地域方言と個人方言と社会方言があり、いわゆる〇〇弁といわれているものが地域方言で言語学では地域変種と呼ぶのが普通です。社会方言にはいろいろあり、幼児語、男性語、女性語、若者言葉、最近のギャル語やバイト敬語、昔の女房言葉や
廓詞(くるわことば)、やや特殊なオネエ言葉や老人言葉、オジサン語、オバサン語など数多くの「言語変種」があります。個人方言としては芸能人などの独特な表現、たとえばタモリ語、のりピー語がありましたが、今も作られています。地域変種も時代によって変遷していきます。島言葉も昔と今では変化しています。
沖縄方言あるいは琉球語が日本語の方言であるということは一定の音韻変化規則があるからです。一般法則として沖縄語の母音はアイウイウで、エがイにオがウに変化します。コトバkotobaがkutubaに変化したわけです。そして代表的な子音変化としてkがchに替わります。Okinawaがuchinaaになりウチナーとなったわけです。無論例外がありますが、この基本則を知っておくと沖縄方言は概ね共通語に変換でき理解できます。有名になったサーターアンダギも砂糖脂揚げが変化したもので、アンダは豚の背脂のことだそうです。Satou+anda+ageが変化したのです。メンソーレは古語のマヒリサブラヘ(参り候ラヘ)が変化したものです。「ちむどんどん」のチムは肝kimoが規則通りに変化したもので肝が転じて心の意味になりました。共通語も「肝が太い」とか「肝が冷える」などの表現があり、必ずしも心臓が心を表しているとは限りません。方言はこうした音韻変化に加えて音調変化いわゆるイントネーションの変化もあります。関西方言は関東方言と語彙の音韻は同じでもイントーションが違っていて、聞くとすぐに関西弁だとすぐわかります。沖縄方言もイントネーションが変化しているので役者さんたちは方言のドラマでは苦労されています。語彙は割と簡単にセリフとして覚えられるのですが、イントネーションは学習がむずかしいのです。実はこのイントネーション学習は外国語でも同じことが言えるのです。地元民が他所の人の方言の真似に違和感を感じることの正体はイントネーションの違いです。

沖縄

Constitution

Constitution

アメリカ合衆国憲法(United States Constitution)は1787年9月17日に作成され、1788年に発効し、現在も機能している世界最古の成文憲法です。欧州のどこかの国が最初のような気がするかもしれませんが、米国が最初です。改正が何度もなされているので原法典は「1787年アメリカ合衆国憲法」とも呼ばれて尊重されています。アメリカ合衆国は連邦制のため各州もそれぞれが独自の州憲法を有しています。
歴史的には英国植民地であった時代を経て1776年に各植民地代表者による大陸会議が独立宣言を発し共和政体を採用する13の邦statesが誕生しました。独立時の13州は連合規約を結んで地方分権的性格の強い緩やかな連合組織である諸邦連合 (the United States of America) を形成しました。日本ではこれを合衆国と訳しました。この諸邦連合は中央政府である連合会議 (Congress) に課税権・通商規制権限・常備軍保持が認められず極めて弱体であったため財政は行き詰まり治安の混乱にも対処できない状態でした。そのためペンシルベニア州フィラデルフィアでの連合会議での議論の結果1787年連合規約の改定の計画を承認し、憲法を制定するという提案を決めました。
憲法制定会議では中央集権的で強力な連邦政府の樹立を推す連邦派(Federalist後の連邦党)と反対する反連邦派(Anti-federalist後の民主共和党)の対立や農業を中心産業とする南部と商工業を中心とする北部の対立、大きな邦と小さな邦との間の対立など数多くの対立を抱えていました。「アメリカ合衆国憲法の父」ジェームズ・マディソンの原案は大きな州の利益に重点が置かれていたのでロジャー・シャーマンが妥協案を示し、下院は人口に比例した代議員数、上院は各邦を代表する各邦同数の代議員とし、大統領は選挙人によって選ばれるという現行の米国の議会の形になりました。
1789年第1回合衆国議会はアメリカ合衆国憲法に権利章典 (Bill of Rights) と呼ばれる第1修正から第10修正を付け加える件を審議し可決しました。この修正は1791年修正に必要な数の州議会の批准を得て発効しました。
憲法は13邦の歴史を持つアメリカの共和制から引き出されてきた伝統であり、憲法にある適正手続条項は1215年のマグナ・カルタに遡る慣習法に基づいており、中世の英国に由来する法の支配の思想の影響が大きいとされています。最も影響を与えた思想は専制政治を防ぐため互いに行使する力の平衡を保つ必要性を強調したモンテスキューの三権分立です。権利章典の修正条項には憲法が制定される過程で憲法の支持者達が反対者に対する取引として約束したもので英国の権利章典が米国の権利章典に影響を与え、陪審制による裁判、武器を携帯する権利、残酷な罰を禁じています。
日本の現行憲法は米国製と言われていますが、内容はかなり異なっています。

フィラデルフィア

Cancel culture

Cancel culture

キャンセルカルチャーとはwikipediaによると

「主にソーシャルメディア上で、過去の言動などを理由に人物を追放する、現代における排斥の形態の1つである。典型的には、芸能人や政治家といった著名人を対象に、過去の犯罪や不祥事、不適切な言動とその記録を掘り起こし、大衆に拡散、炎上を誘って社会的地位を失わせる運動や、それを良しとする風潮を指す 。2010年代中頃からアメリカ合衆国を中心に全世界に拡大した。」

とあります。確かに現代アメリカではBig Techによる検閲が問題になってきており、今度の総選挙や数年前の大統領選挙における情報戦が問題になっています。
しかし日本においてはSNSよりはテレビなどのマスメディアによるキャンセルカルチャーが目立つように思えます。またそれがキャンセルカルチャーだという指摘は一部の有識者にはあるものの、肝心のマスメディアには指摘が表れてきていません。むしろまだキャンセルカルチャーに奔走している様相を示しており、ワイドショーを中心として報道番組までが便乗しています。その標的は主として芸能人が多いのですが、政治家にも多く、官僚や時には一般人も標的になることがあります。排斥する理由には不倫、暴力事件、パワハラ、セクハラなどが多いのですが、時には日本独特のモラハラまで登場することがあります。モラルハザードというのは本来、保険や金融の世界における道徳(モラル)や倫理(エシックス)が問題なのですが、日本では家庭内の問題にまで拡張されて使われています。日本のキャンセルカルチャーはアメリカとは異なり、週刊誌報道をテレビが取り上げ、大騒ぎして社会からの排斥を扇動するパターンが多く見受けられます。アメリカにもタブロイド紙や地方紙はいわゆるイエロージャーナリズムとして捏造記事や扇情的な記事を売りにしているものが多く存在しますが、日本ではイエロージャーナリズムを批判する人は少なく、むしろすべて「情報」として無批判に受け入れる風潮が蔓延しているといえます。そして怪しげな自称ジャーナリストも多く存在します。アメリカでは日本のテレビのような電波放送によるマスメディアはほぼ消滅し、ケーブル放送も激減、インターネットによる視聴が圧倒的なためSNSと同じ土俵での競争になっています。ドラマや映画もインターネットの専門チャンネルを利用しています。日本ではネット放送は増えているものの、未だテレビ放送は続いており、一方ではSNSが浸透していて、テレビ=高齢者、SNS=若者、といった構図が解説されています。日本の特徴はニュースソースや記事がテレビ=新聞であることです。アメリカでは法律によりメディアが複数を所有することはできません。日本は情報媒体が独特の発達をしてきた歴史があり、それが文化となっているため、キャンセルカルチャーもまた独特の発達をしているといえます。

キャンセルカルチャー