遣唐使

遣唐使

舒明天皇二年(630)葉月五日、第1回遣唐使が派遣されました。犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)・薬師恵日(くすしのえにち)が派遣されました。二人の冠位は大仁(だいじん)ですから、上から三番目で後の正五位に相当するそうです。臣下ですが、そこそこ高位の人だといえます。聖徳太子が定めたとされる(異説あり)冠位十二階は徳・仁・礼・信・義・智にそれぞれ大小を付けたもので、大徳は希少ですから、今なら政務官というところでしょうが、実質は数が少ないので次官級というのが正しいのかもしれません。薬師(くすし)というのは今の医者のことで、恵日は高麗からの帰化人の末裔だそうです。犬上御田鍬は皇別と呼ばれる皇室から分かれた氏族の末裔です。最後の遣隋使でもあるので、隋が滅び唐になった歴史的転換の実情を目撃したといえます。
隋と唐の都は長安(今は西安)で同じ場所です。隋の時代は大興と呼んでいました。長安は王朝により呼び名が変わりますが、最初は西周(BC770)の都豊邑(ほうゆう)から始まり現在の西安(しーあん)まで2800年続く古都です。位置は北緯34度、東経108度で、渭水(いすい)という黄河の支流の中流域の沿岸にあります。緯度としては日本の瀬戸内海の諸都市や京都・奈良・大阪など西日本がほぼ該当します。東日本は北緯35度以上になります。現在の中国大陸のほぼ真ん中にあり、平城京や平安京が見本としたことはよく知られています。平均気温が冬は零度近く、夏は30度以上になり降水量もあって四季がはっきりしている点は日本とも似ています。距離は羽田と西安空港が2,800kmで時差1時間だそうです。
遣隋使や遣唐使は大阪住吉(難波津)から瀬戸内海を通って筑紫の那の津(福岡)まで行き、そこから大陸の港に行くのですが、北路と南路があり、多くは南路でまず揚子江河口の揚州に着き、陸路で楚州、洛陽を通って長安に行ったそうです。航路は約10日、陸路は駅伝制を使ったと想像されますが、馬や車でどのくらいかかったのか、よくわかりません。回数も諸説ありますが、遣隋使と遣唐使合わせて20回位と推定されています。朝貢品を持参しますから、二人だけで行くはずがなく従者を含めて120人以上で多い時は600人ということもあったとか。一隻では到底乗り切れませんから、2隻から4隻の船団でした。難破などの危険もあるので救助の意味もあって複数船で航行するのが常識です。大勢だとそれだけ足並みも遅いので、日数もかかりますし、宿泊も大変だったことでしょう。朝貢品は延喜式によると銀・絁(あしぎぬ、絹織物)・糸・綿といった品々で全国から集まる「調」を使って贈り物にしたということです。帰りの土産は文物や経典、蜜柑、茶、薬などでした。

遣唐使船

普遍主義

普遍主義

現在の経済や政治で話題になっているのがグローバリズムですが、その思想の根底にあるのが普遍主義universalismです。普遍主義の対立概念は個人主義individualismと解説する本が多いのですが、相対主義relativismと考える分野もあります。基本的な考え方として普遍主義はいろいろな事物の共通点を強調し統一的な原理によってそれらが支配されていると考えます。極端な考えとして、キリスト教やイスラム教やユダヤ教のような一神教では神がすべてを支配しているので、それこそが理性的であり合理的だと主張します。いわゆる神の無謬性という、普遍的原理には一点の曇りもないという思想です。その原理とは何か、については議論があり、考え方の違いから宗派の違いが生まれてきます。つまり普遍的といいつつ多様性を認めるという矛盾を認めるか、他の議論を排除する排他的信仰になっていきます。この排他的普遍主義が現在の世界の多くを占めています。
普遍主義に対抗する相対主義では事物個々の違いに着目しますから、多様な現実の説明とは矛盾しませんし、排他的ではないので争いは少ないのですが、統一化は難しく自然科学的思考とは相性が悪いです。自然科学では事物の共通点を見つけ、その定式化によって論理を導いていきます。数学がその典型です。
「ここにリンゴが10個あります。1つ100円なら全部でいくらですか。(ただし消費税などの要素はないものとします)」という単純な算数が成り立つのは普遍性を前提としています。現実の八百屋さんではリンゴによって大小があったり、痛み具合とか傷とかがあるので、個別に単価を変えるか、まとめて10個千円のような売り方になります。つまり普遍性というのは現実を離れた抽象的な記号化が前提で、その抽象化する作業を分類または範疇化といいます。リンゴの例でいうなら、リンゴという商品名や単価がそれです。
大きな範疇として国を考えてみます。国は政治的範疇で、それを規定するのは領土、国民、政府などの存在です。国民というのも範疇で、概ね民族とは一致しません。その民族も社会的範疇です。こうしてみると普遍的原理が深く社会や生活に関わっていることがわかりますが、一方で国や世界を統一的原理で支配することは不可能です。かつては宗教によって統一しようという時代もありましたが成功しませんでした。共産主義という経済原理によって統一しようという試みも成功していません。グローバリズムという名前に変えても結局は普遍的原理がないまま世界統一を目標として失敗に終わっています。自然科学でもまだ完全な普遍的原理は見つかっていません。最近のウイルスとの戦いがそれを証明しました。

北斗星君と道教

北斗星君と道教

旧暦八月三日は北斗星君聖誕祭です。といってわかる方は相当な宗教オタクです。まず旧暦といっても中国の暦法なので日本の旧暦とは違いがあります。旧暦は別名太陽太陰暦で太陽と月の運行を基準として、それに季節を勘案しているので、ざっくりいうと中国と日本では緯度も経度も違うので若干の違いが生じます。日本の旧暦だと新暦8月29日で農歴でも同じですが、9月にお祭りすることもあるらしいです。
北斗星君は道教における神様のひとつで南斗星君と一対になっていて、「死」を司っており、死んだ人間の生前の行いを調べて、地獄での行き先を決定するという、日本でいう所の閻魔のような役目を持つ(wikipedia)とされています。南斗星君は生を司ります。神様に誕生日がある、というのも不思議な気がしますが、この日に聖誕祭が中華文化圏の中国大陸や台湾の一部、シンガポール、日本の中華街などで行われます。
北斗星君は道教の神様ですから、まず道教を知らねばなりません。道教は中国の伝統的な宗教で儒教と並ぶものですが、古くから漢民族の間で信仰され、儒教や仏教などとも混淆していると言われています。反対に日本の宗教にも影響を与えています。七福神の福禄寿や七夕の織姫や竜王は道教の神様です。また四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)や四霊(麒麟、鳳凰、霊亀、応竜)、九尾の狐、竜王も道教における妖怪(?)なのです。仏教でもなく神道でもないこれらの神様や動物(?)は道教由来が多いのです。無論道教だけでなくインドのヒンドゥ教の神様も入っていますが、その話はまた別の機会にします。道教を簡単に説明するのは大変でここでは深入りしませんが、漢民族の伝統や文化、宗教を知る上では重要です。共産主義革命により宗教は禁じられてはいますが、習俗としては残っています。とくに文化大革命のなかった台湾その他のアジア地域の中華文化圏では今でも広く信仰されています。
道教というと日本では映画のせいかキョンシーが有名で、漢字では殭屍と書きゾンビみたいなものです。香港映画のせいか広東語のキョンシーとして広がっていますが、中国の普通話ではジャアンシーと読むそうです。ここに映画に出てくる道士は道教の僧侶です。日本では「霊幻道士」によって広まったのですが誤解もあります。
北斗星君は老人で閻魔様同様、「地獄の沙汰も金次第」とかで、捧げ物をすると寿命を書き換えてくれたり、地獄に落ちるのを止めてくれるそうなので、身に覚えのある人は熱心に信仰するようです。やましい気持ちがなくても、普通に果物やお菓子、粽(ちまき)、お金などをお供えしてお祝いするそうです。仏教と違い肉食禁止ではないので、肉料理が供えられることもあるみたいです。地域差もありお供えも様々で検索してみると中華式の御馳走がいろいろ出てきます。

道教

葉月二日、大雨時行

葉月二日、大雨時行

大雨時行(おおあめときどきふる)は大暑の末候、七十二侯の1つで、突然、夕立などの夏の激しい大雨が降る頃とされています。ゲリラ豪雨とか線状降水帯とか用語は時々で変わっても昔からこの時期には突然の大雨が降っていました。この時期の食べ物としては西瓜が旬とされていたのですが、今では時期が少しずれています。魚は太刀魚です。どちらかというと九州や四国が産地ですが、温暖化の影響で今はかなり北の方でもとれるようです。ほぼ一年中とれますが、今が脂の乗る旬です。塩焼きや煮つけが多いのですが、蒲焼もおいしいそうです。鰻よりも好きという人もいます。太刀魚は獲れた時は銀色に輝いており名前の由来はその姿が太刀そっくりということなのですが、市場に出回る時には皮も剥げて銀色ではなくなっています。バター焼きやムニエルにも合い、調理法もいろいろあります。国産は少なく東南アジアからの輸入が多いとのことです。この時期の花としては百日紅(さるすべり)がきれいです。ピンクのもの、白いもの、紫のものがあり、庭木としても人気があります。次々に可愛い花が咲くので百日紅という漢字が当てられていますが、さるすべりの名前の由来は木の幹がツルツルしていることが由来のようです。寒さにも強いので育てやすく、花言葉は「あなたを信じる」ですが、じっと待ち続けている様子から来ているのかもしれません。
葉月の語源は例によって諸説あり、「葉落ち月(はおちづき)」が「葉月(はづき)」に転じたという説があります。新暦の9月にあたる葉月は落葉や紅葉が始まる時期ですから、そんな気もします。また北の方ではシベリアから雁が越冬のために渡ってくる月であるため「初雁月(はつかりづき)」が転じて「はづき」になったという説もあります。稲の穂が張る月である「穂張り月(ほはりづき)」「張り月(はりづき)」が転じたという説もあります。葉月の異名には季節感のあるものがあります。仲秋(ちゅうしゅう)というのは陰暦の7月から9月が秋であり、8月の葉月が、秋の真ん中に来るからです。したがって仲秋の名月は葉月十五日の満月です。2022年は9月10日です。雁来月(がりくづき、がんらいげつ)というのは文字通りシベリアから渡り鳥の雁が来る月だからです。反対に燕去月(つばめさりづき)という燕が南方へ去っていく月というのもあります。渡り鳥は確かに季節を教えてくれます。観月とか壮月という呼び名もあるそうです。竹春(ちくしゅん)ともいうそうです。南風月(はえづき)は南方からの強い風つまり台風の季節であることから「南風月」とも呼ばれました。南風をはえ、東風をこち、と呼ぶのですが、北風と西風には読み名がないようです。「ならい」という異名は北風でも西風でも冬の風のことだそうです。

大雨時行

八朔

八朔

八朔といえばみかんを連想される方が多いと思います。八朔とは本来、八月朔日つまり八月一日のことです。八朔は特別な日でこの頃に早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからありました。このことから田の実節句(たのみのせっく)という別名もあります。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったそうです。また天正十八年’(1590)徳川家康が初めて江戸城に入ったことから、江戸幕府では正月に次ぐ大事な行事として諸大名は登城し将軍に祝辞をのべる習慣でした。諸大名は白帷子(しろかたびら)に長袴で控え将軍も白帷子に長袴姿で御目見(おめみえ)します。つまり白帷子は八朔のシンボルでした。
これを真似て吉原では八朔を大々的に祝う風習があり、遊女はみな白無垢を着て仲の町で花魁(おいらん)道中を行ったそうで、その様子が浮世絵に残っています。京都の祇園などの花街では八朔に芸妓や舞妓が黒紋付の正装で、普段お世話になっているお茶屋や踊りや地歌、三味線などのお師匠さんのお宅にあいさつに回るのが伝統行事になっているのですが、今は新暦8月1日になっているそうです。この日に祇園に行くと必ず舞妓さんに会えるので観光客も集まります。
地域によっては八朔祭というのもあり、有名なのが熊本県上益城郡山都町の八朔祭りで、自然素材で作った巨大な造り物にお囃子がついて、町内を練り歩きます。毎年、旧暦八朔に近い9月第1土曜日日曜日の2日間にわたって開催されています。とくに祭りに合わせて放水する国の重要文化財、通潤橋(つうじゅんきょう)の姿は見事だそうで、夜には通潤橋の近くで花火も打ち上げられると聞きました。通潤橋は一種の水路なのですが、放水が有名です。福井県美浜町では穀豊穣と子孫繁栄を願って、鼓や笛のお囃子と一緒に樽神輿を担いだ行列が田代公会堂から日吉神社まで進みます。この行列に続いて男性のシンボルをかたどったご神体(木製二尺)を持った天狗が進み、見物客の女性をご神体でつつきます。その女性は子宝に恵まれるとされています。福岡県遠賀郡芦屋町では「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわれているそうです。香川県丸亀市では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だんご馬」を作る風習があるそうで、その昔、讃岐国領主生駒氏の家臣で江戸の愛宕山の馬による階段上りで有名な曲垣平九郎に因んでいるそうです。香川県三豊市仁尾町や兵庫県たつの市御津町など、本来は旧暦3月3日に行われる雛祭りを八朔に延期する風習を持つ地域も存在するそうです。
みかんのハッサクという名前がついたのは明治19年(1886)で八朔の頃から食べられたからという伝承ですが、実際にはこの時期にはまだ果実は小さく食用には適さないたため12月~2月ごろに収穫され、1、2ヶ月ほど冷暗所で熟成させ酸味を落ち着かせたのち出荷されるので、冬から春にかけて出回り八朔の時期とはあっていません。

八朔

修正終身雇用3 - ポスコロ5 -

修正終身雇用3 - ポスコロ5 -

農業から機械化へ、そして情報化へと産業の高次化が進化のようにとられられていますが、問題は産業の高次化が人間の生活に必要かどうかです。農業生産は今も必要で食べ物がなくなれば人類は死滅します。機械の鉄を食べるわけにはいきません。まして情報は食べようがありません。産業の発展は豊かさの本質ともいえる、飢餓がないこと、家族や世代が継続していくことで、産業の高次化はその豊かさと相反しています。実際、情報産業従事者の多くが地方移住をし始め「人間らしい生活」を求めていく傾向が高まっています。それは産業の高次化の危うさを本能的に実感しているからではないでしょうか。米国でも情報産業で金を得た人は田舎暮らしをしたり小さなコミューン作りをしています。つまり何のために仕事をするか、という根本的な問いへの答えがここにあります。
このように現代社会と歴史を考察すると、少しずつ歯車を戻していくことが幸福につながるという原理が見つかります。元の原始生活に戻るというストイックで修行のような極端な戻りは宗教家に任せるとして、一般人は少しだけ昔の生活に戻してみる、ということが幸福感につながると思います。生活用品のリサイクルや環境に配慮したリサイクルだけでなく、これまで捨ててきた習慣もリサイクルし、日本では少し前まで習慣としてきた自然とともに生きる旧暦の生活習慣や、ほんの数十年前まで当たり前だった年功序列や終身雇用を少しだけリフォームして再利用するのはどうでしょうか。SDGsという外国製のキャッチフレーズに従うのではなく、少し前まで馴染んでいた習慣であり、先達がまだ生きているので、教わることもできます。
とはいえそのままリサイクルはできませんから多少のリフォームが必要です。新しいアイデアで新しい使い道を探し出すこともイノベーションです。終身雇用制度も旧来のまま導入しても効果は薄いでしょう。昔の制度は採用→企業内研修→年功序列→昇進淘汰→定年→老後年金という流れでした。採用以前の教育を企業がすることはなく、基本能力は国民負担による学校に任せて、採用後に自社に都合のよいように研修をしていくことで戦力化しました。今の企業は即戦力といい不要になれば解雇という米国型労働力消費主義になっています。米国の場合はそれでも賃金は世界一であり、労働の流動化という終身雇用とは正反対の労働市場制をとっています。日本が同じことをすれば、資本力がはるかに高い米国企業に負けることは明白です。あるいは国家資本制度の中国とも競争できません。日本独自の労働制度に特化することで初めて競争力がつきます。日本人は真面目diligentで器用skilfulで柔和softだとどこの国でもいわれます。米国人や中国人のように攻撃的aggressiveで競争的competitiveできついhardではないので好かれることが多いです。そうした長所を活かすような雇用形態を改めて構築することが必要な時期です。コロナ禍という厳しい時代が終わるので、コロナ禍後、ポスコロを真剣に模索するべき時期です。温故知新にはまだまだいろいろな制度改革がありますが、とりあえず労働環境を考えてみました。

田舎暮らし

修正終身雇用2 ― ポスコロ4 ―

修正終身雇用2 ― ポスコロ4 ―

労働力は安いほど良い、という経営思想は正しいでしょうか。商品販売において、仕入れは安いほど良いという思想の経営者が多いですが、安かろう悪かろう、という商売が儲かっているとはかぎりません。安い労働力の極点は奴隷労働ですから、この思想は植民地主義と同じです。植民地主義の時代の生産力がどのようなものであったかは歴史が示しています。産業革命がなぜ起こったかを考えればわかることですが、奴隷労働に近い家内工業の生産性の低さを改善するために機械生産による大量生産の必要性があったわけで、米国史を見れば南部の奴隷労働の綿花産業が北部の機械工業の鉄鋼産業へとシフトすることで米国経済の発展があったことが明確です。日本の明治維新から昭和にかけても農民人口を機械労働人口にシフトさせることで生産性を高めていきました。現在でもIT化という省力化が進んでいますが、こうした労働人口の推移には教育が不可欠です。教育は国政にとって税の支出であり投資です。安い労働力は低い教育成果の結果です。日本は将来の安定を求める国民に教育費を負担させてきました。日本の私学が世界に比べて異様に多いのはそのためです。諸外国では教育費は国庫負担が常識です。教育費の国民負担は国民が貧しくなれば限界がきます。労働者の能力資質が安かろう悪かろうになっていくことになります。
こうした現状を打開する政策としては、まず国策として教育に投資することで、企業に無担保無利子融資をするくらいなら、国民にそれを実施すれば必ず投資効果が表れます。一方で企業の定年再雇用には制限をかけます。雇用は企業と労働者の契約ですが、再雇用は一方的に企業が有利になっており公平な雇用契約とはいえません。再雇用についてはこれまで通りの賃金を保証しなければ不公平です。そうなるとどの企業も再雇用はしない、というのは経営側の理屈です。必要な人材は雇用しますから、再雇用はリストラのさらに酷くなった状態といえます。一方で役員はどうなのでしょうか。ピラミッドの頂点である役員は定年がなく、給与体系も役員報酬という別会計、別税制になっています。この税制の思想としては、役員は経営責任があり会社の利益から分配を受けるということで労働者の給与のような経費にはならないということです。資本主義では役員は株主と重複しており、株主の中に株主配当のみの外部資本家と役員報酬も受ける内部資本家がいるというしくみです。この税制の根本は資本家と労働者を対峙させる思想であり、英国エリザベス朝が始めた株式資本主義の思想が今も続いているわけです。しかし王族と貴族が資本を独占する時代は市民革命とともに終わり、株式は公開により市場化され民衆化されることで流動性は増しましたが、一方で王族や貴族に代わる新たな金融王という存在が市場支配するようになったのが現在です。武力の代わりに金融を武器とした経済支配勢力です。この支配勢力は労働者の教育に関心がありません。王侯貴族が武力を利用していた時代は人力が重要なので富国強兵が必須でしたが、金融支配勢力に必要なのは武力でなく情報です。産業革命によって集約的労働力が機械化にシフトしたように、人力よりは情報処理化にシフトしたわけです。

終身雇用

修正終身雇用 ― ポスコロ3 ―

修正終身雇用 ― ポスコロ3 ―

かつての日本の景気を支えた労働環境について、ポスト・コロナの今こそ、再考すべき制度がいくつもあります。その1つが終身雇用制度です。昔の労働者は定年までは雇用が保証されており、定年後は年金で暮らせるという安心感がありました。だからこそ、一生懸命勉強して、いい大学に入り、いい会社に就職するという夢があったわけです。ところが現在の環境はいつ解雇になるか不安であり、年金は開始年齢がどんどん遅くなり、しかも年金は減らされるばかりです。安心して働くこともできず、長期財政計画もできないので長期ローンも不安です。そして雇用は非正規と派遣が増えて、その非正規雇用者からも雇用保険をとるような仕組みにしてしまったのは労働政策の失策といえます。一見、非正規雇用労働者を守るような制度に見えて、実は正規雇用労働者との待遇上の差異が減少し、結局は正規雇用労働者の賃金上昇を抑えるだけの結果になりました。一方で、年金財政の負担が大きくなったことで年金額を減らし、開始年齢を遅らせるという政策にしたことで、労働者は老後が不安になるばかりです。年金は現役世代が支えるという仕組みは人口増加の政策で、人口減少が起これば破綻することは明白です。保険加入者が減っていけば保険料収入が減り保証額が減るのは誰にでもわかることです。無理やり加入者を増やしても保険料が安い上に、さらに保険制度が怪しくなっていくだけの保険経営です。さらに不味いのは福祉目的税と称して消費税を導入し赤字を埋めようと図ったことです。消費税を福祉目的にしている国は日本だけです。そして実際には消費税は目的税ではなく一般税にしていますから、本当に福祉目的にしか使われているかどうか調べようがありません。まもなくやってくると想像される消費税増税の際にはまた同じく福祉目的を強調することでしょう。
かつてのような不安のない老後にするための政策は実に簡単で、定年を先延ばしにして年金支払いを増大させることです。雇用の安定と老後保証です。現在の政策は一見、その方向に動いているように見えますが、実際には企業は定年をほぼ延長せず、再雇用という賃下げを実施、それも社員全員が対象でなく企業が選別できるしくみです。再雇用と賃下げという制度の理由はあいまいで、若手登用の機会というような説明になっています。しかし再雇用したら、その分は若手登用になりません。人口動態では人口減少が明らかなので、若者にとって出世競争においては昔より有利で、競争相手が少ない分、上昇できる確率ははるかに高くなっています。若手登用の機会は高齢者の人数を減らさなくても増えているわけです。雇用側者からすれば世代交代すれば若手の労働力が安く使えて有利に見えるのですが、経験の浅い若手労働力は生産力上昇にはつながりません。そこで同じ安い労働力なら外国人労働力というグローバリズムがここにも顔をだします。
諸外国においては短期雇用が普通なので、終身雇用をしていた日本企業の強みがそこにあったのですが、グローバリズムに支配されるようになって強みを捨て他国と同様な競争をした結果、他国と同様の不景気のスパイラルに陥って超長期デフレから脱却できなくなってしまいました。

処暑

処暑

文月二十六日は二十四節気の1つ処暑です。先日、立秋が過ぎたのにまた夏ですか、と思われる人も多いと思いますが、昔の人の季節感は秋だから涼しい、という感じではなかったのです。処暑とは「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」つまり暑さもここらが峠で、これから徐々に退いていきます、という意味です。処というのは「お休み処」という看板を今でも見るようにトコロと読みますが、場所ということではなく、そこに居る、留まっている、という意味の漢字です。今ではあまり重要視されなくなってきていますが、処女というのは「家に居る=嫁に行っていない」というのが原義で、嫁入り前と同義です。しかし処暑というのはずっとそこにいるということではなく、ずっと登りだった暑さもここらがピークです、ということなのです。
処暑は七十二侯として5日毎に分類され、初候は綿柎開(めんぷ ひらく):綿を包む咢(がく)が開く、次候は天地始粛(てんち はじめて しじむ(しゅくす):ようやく暑さが鎮まる、末候は
禾乃登(か すなわち みのる): 稲が実る、となります。次候は処暑の5日後すなわち葉月二日からなので、2022年だと8月28日です。これだと納得できますね。今では綿花を見る機会はなかなかないですが、新暦8月下旬に見られると予想できます。また稲が実るのは新暦9月2日過ぎから、ということなので、今の9月に入れば早生(わせ)の新米が出てくると予想できます。
処暑に昔の感覚では暑い夏も終わるので、盂蘭盆会(お盆)も終わり、送り火や精霊流しで亡くなった人への慰霊も済んで、花火などをして、行く夏を惜しむ行事がありました。今では花火大会は人々が帰省するお盆に行うことが多いのですが、帰省というのは昔の藪入りであり、町に奉公に出ていた人々が実家に帰り、正月以来、半年ぶりに会う家族と過ごす期間です。処暑にはそれも終わり、また日常に戻るのですが、何となく寂しい、祭りの後のような寂寥感が残ります。盆踊りで出会った男女はしばしの別れです。そんな時期に花火大会があったのです。
しばらくすると果物が熟れるようになり、梨や桃、葡萄や無花果(いちじく)などが出回り、スダチなども出てきます。今は農家も早出し競争になって初夏や季節はずれに出荷して付加価値を付けるのが当たり前ですから、だんだん季節感が薄れていきました。しかし花の方は商品として出回るのは洋花中心なので、野の草花はほぼ季節通りに咲きます。今は少なくなった撫子(なでしこ)や桔梗(ききょう)、鳳仙花(ほうせんか)などが見られます。コンクリート舗装の都会では見つけることが難しいですが、田舎の庭や里山のふもとで見ることができます。また空の雲も入道雲がなくなり、流れるような筋雲になって、何となく空が高くなったような感じになります。年によって多少の違いはありますが、処暑になると秋になったという実感をえることができるようになるわけです。二十四侯は元が古代中国なので、日本よりも季節が早かったため立秋はまだ暑い最中にきてしまいますが、七十二侯は日本の現実にほぼ合わせているので実感と同じになります。夏バテした身体を休めて秋の収穫の労働に向けて、ひと時の休憩もまた格別です。

処暑

普遍主義の終焉 ― ポスコロ2 ―

普遍主義の終焉 ― ポスコロ2 ―

Covid-19は世界の国々の実情と文化に違いをくっきりと見せてくれる結果になりました。原因はまったく同じ疫病なのに、対応する政策とシステムが国ごとに違うことが明確になり、その根底には国民の思想と文化の違い、まさにその多様性が露呈しました。厳しいロックダウンの国が多い中、国民の自主性に任せる国は少数でした。日本では憲法云々という議論がありましたが、法を守るという遵法精神そのものが文化ですし、国民の自主性こそが民主主義といえます。日本人が民主主義のお手本としてきた英米はロックダウンが中心で、国のトップも感染するという結果です。首相も大統領も軽症で済み死亡していない、ということは特別な治療があったことが想像でき、それは特別な人々が上層部を形成していると見ることができます。英米はいまだに出自や人種による身分制度が残っており、だからこそ平等が強く叫ばれるのです。日本人は欧米に行くと差別を実感します。つまり日本社会は欧米ほど差別がひどくない、ということで、日本の中で差別を強調する人たちは海外事情をよく知らない人が多いといえそうです。
この差別意識の深層心理にあるのが普遍主義という理想論です。世界の人々が友達になり、みんな仲良くなれば平和になるという理想を述べる人が多いのですが、これは構成員全員が価値観を共有するということであり、それを実現しようとするのが宗教です。どこの宗教も自分たちの宗教が普遍化し世界統一することを理想としています。現在話題の旧統一教会も名称が変わっても統一は残しています。昔、日本にやってきた伴天連も同じ理想を描いていました。彼らの植民地思想は奴隷化を前提としつつも、統一が世界平和の基本という覇権主義につながっていきました。それで既存宗教を排斥します。現在でも統一こそ平和と主張する国がたくさんあります。
一方で多様化を唱える人がいます。これも宗教的信念と類似しています。現実はもともと多様であり主張する必要はないのですが、彼らの主張点は自分たちの存在を認めよ、ということです。現状で自分たちが無視されることへの反発であり、自分たちの価値観で統一されることへの反感はもっていません。視点を変えると、多様化主義者も普遍主義の一部といえます。
普遍主義universalismの反対は相対主義relativismです。一時期ユニバーサル・デザインということで誰もが使えるという思想が流行りましたが、突き詰めていくと個人個人に合うようなデザインをする、ということであり、実は個人用ということでユニバーサルという語義には合っていません。多目的というのも結果的に特定の人の使用が前提になっています。これらは主として建築関係の概念であって、建築家の独創的な設計に対峙する利用者目線の設計をユニバーサルと呼んだにすぎません。似たような発想に政治・経済のグローバリズムがあります。経済思想を統一化して輸出入を自由化し世界を統一化することを理想としたのですが、コロナ禍によって、それが不可能ということがわかりました。グローバリズムは覇権主義と表裏一体です。このため戦争が多発します。戦争はナショナリズムの結果という分析が正当かどうか再考すべき時期でしょう。

人々