ステルスマーケティング(ステマ)

ステルスマーケティング(ステマ)

ステルスマーケティングStealth Marketingとは消費者に広告と明記せずに隠して行う宣伝手法のことで、略してステマと呼ばれています。Stealthとは秘密とか偽装を意味し、steal盗む、の方は良く知られていますが、発音が変わるせいか、日本では普段は習うことの少ない特殊な英語でした。似たような語形変化と発音の変化でheal/healthがあります。ヒーリングとヘルスが同じ語から変化したということはあまり知られていないと思います。ステルスが盗むと同じ語源と思えば理解はしやすいでしょう。ステルスが有名になったのはステルス戦闘機からかもしれません。
日本ではステマを規制する法律がほぼなく、具体的な被害が出て初めて対処するだけですが、欧米では消費者を欺く不公正な商法として、かなり厳しい規制があります。日本でも具体的な被害例が挙げられていますが、一番わかりやすいのがNHKの商品名の規制です。以前は「味の素」が不可で「化学調味料」とか「うま味調味料」と料理番組で言い換えてましたが、今はそのものを入れなくなったので自然消滅しました。有名なのが山口百恵の「プレイバックパートⅡ」で「真ポルシェ」がいけないというので「真っ赤なクルマ」と歌詞を変えて歌わせた例です。
ところが最近のテレビはステマだらけ、というより規制なしの放置状態になっています。以前は商品名の所にボカシが入っていたのが、今はまったくなしの状態です。中継番組でボカシができない場合はやむをえないのですが、実際は録画番組でもボカシが入っているのは犯人の顔くらいです。これはネットで顔認証により特定される可能性があるため個人情報保護のため、ということでありステマとはまったく無関係です。
NHKの料理番組でいうと、調味料など商品名がわかるものは予めボウルやガラス小鉢に入れておくなどの工夫がされていますが、「有名シェフ」の制服の店名の刺繡はそのままなので、どこの店だかわかります。ドラマでは今でも商品名を隠すため、わざわざラベルを製作したり、チラシやポスターも製作している場合が多いのですが、民放ではそれもしていない例が目立ちます。昔の刑事ドラマではスポンサー以外の自動車を使わないなどの工夫がありましたが、今は制限していないようです。ノートパソコンなどもメーカーのエンブレムがあるのでメーカーがわかるのですが、とくに規制がないみたいです。放送局側は「敢えて隠しているわけではないからステマではない」という見解かもしれませんが、意図のあるなしではなく視聴者がいつのまにか刷り込まれてしまうという心理効果が問題なのです。そのステルス性についての議論がまったくされなくなったということはステマが溢れているということでもあり何らかの規制が必要だと思われます。最近は食べ歩きのバラエティやニュース番組が増えていますが、店名を隠している例はまずなく、事前に出演交渉済ですから、いわゆるヤラセと同じことです。番組宣伝も「お知らせ」とか「ご案内」と名前を変えただけで実際はステマです。日本ではCMに有名俳優が出ますが海外ではまずありません。広告塔の意味があるからです。日本独特(世界の非常識)といえます。

ステマ

薩英戦争

薩英戦争

文久三年(1863)文月二日薩摩藩と大英帝国は戦闘に入りました。そもそもの原因は前年の生麦事件の解決と補償を求めた英国と、実力で要求を拒否する薩摩藩が鹿児島湾で激突しました。
日本での評価はそれほどでもないのですが、海外の歴史家はかなり驚いたようです。日本国と英国の国同士の戦いなら普通のことですが、一地方の軍と大英帝国がほぼ互角に戦ったのは特異といわざるをえません。
生麦事件とは薩摩藩国父島津久光の行列を乱したとして英国人4名のうち3名を島津家家来が殺傷した事件で、当時の日本は不平等条約により治外法権でしたから、英国公使は幕府に対して謝罪と賠償金10万ポンドを要求し薩摩藩には幕府の統制が及んでいないとして、艦隊を薩摩に派遣して直接同藩と交渉し、犯人の処罰及び賠償金2万5千ポンドを要求することを通告しました。幕府はすったもんだの挙句賠償金を支払います。英国は薩摩藩との直接交渉のため軍艦7隻を鹿児島湾に入港させたものの交渉は不調に終わり、英国艦が薩摩藩船の拿捕したのをきっかけに薩摩藩がイギリス艦隊を砲撃、薩英戦争が勃発しました。
薩摩側は鹿児島市街の500戸以上が焼失するなど大きな被害を受け、一方の英国艦隊側にも損傷が大きく、艦隊は鹿児島湾を去り戦闘は収束しました。この戦争は双方に教訓となり、薩摩藩は英国の軍事力を目の当たりにして、英国からいろいろ学ぶことの重要性がでてきて、攘夷の声は急速に下火になり、藩論は開国へ向け大きく転換していきます。英国側もすでに幕府から多額の賠償金を得ているうえに、鹿児島城下の民家への艦砲射撃は必要以上の攻撃であったとし、またそれ以降の日本に対する姿勢を変え、薩摩と英国は接近していきました。
諸外国の反応としては、アヘン戦争において清国を破った英国の艦隊が引き上げるほど強力な反撃だったということで、日本という国を侮ってはならない、という機運になっていきます。また薩英戦争と同じ文久三年と翌元治元年に長州藩も英仏蘭米連合軍と下関戦争と馬関戦争をしており、長州藩は破れて西欧列強の力を知って、海外からの新知識や技術を積極的に導入し、軍備軍制を近代化する決意をしました。そして同様な近代化路線を進めていた薩摩藩と薩長同盟を締結し、共に倒幕への道を進むことになります。同じころ、薩摩も長州も英国に後に長州ファイブと薩摩スチューデントと呼ばれる若者を英国に派遣し、彼らが明治政府の土台を作っていったのですから、戦争しつつも相手のことを学ぼうという姿勢は強かったわけです。
江戸幕府側は昔からオランダとは通商関係があり、アメリカとは条約を結んでいたのに、フランスと接近していきました。英仏はそもそも長年対立しており、薩摩が英国になびいたのを見て、幕府に接近し、軍事支援をしていきました。結果的には日本は英仏の代理戦争のような状態で戊辰戦争を戦うことになるわけです。しかし当時の国際情勢は英仏対立だけではなく、独(プロシア)やロシア(帝政)など植民地化を狙う領土合戦の状況であったことも学んでおきたいです。

仙厳園

文月

文月

本日から文月(ふづき、ふみづき)には入ります。文月から秋の月になるのですが、まだまだ猛暑が続く夏真っ盛りという感じです。文月の由来は文被月(ふみひろげづき)つまり書物を広げる月ということで、字が上手になることを祈って、七夕の短冊に歌や願い事などを書くという風習と関わっているとされています。新暦の七夕は過ぎてしまいましたが、旧暦では六日後、今年は8月4日になります。今でも旧暦のまま七夕をする地域もあるそうです。例によって起源については諸説あり、稲穂が膨らんでくるので、穂含月(ほふみづき)が転じたとか、稲穂が見えてくるようになるので穂見月(ほみづき)が転じたという説もあるそうです。科学的に考えればどれか1つが正しく残りの説はあとから考えた民間語源ということになりますが、言葉の情緒性を重んじる文化としては、いろいろな呼び名で、その時期の自然現象を改めて知り、子供たちによい教訓になるといえます。子供たちの「ねえ、どうして?」という疑問に大人たちが応えてやり、人により答えが違うことに子供たちの疑問と好奇心がますます高まるという学習効果です。
文月の異名もたくさんあり、初秋(しょしゅう、はつあき)とか、お盆が来るので親の墓参りにいく月として親月(おやづき、しんげつ)、また今月の終わり頃には涼風も吹くようになることから、涼月(りょうげつ)という異名もあります。気が早いといえばそうですが、便りの冒頭に初秋の侯、涼月の侯と書いてあるのも風流です。愛逢月(めであいづき)といういうのは七夕に織姫と彦星が年に一度再会するので、愛し合う二人が逢う月ということから来ているそうです。サマーバレンタインなどという商魂丸出しのキャッチコピーより、ずっとロマンチックな感じがします。秋の始めには女郎花が咲くことから女郎花月(をみなえしづき)というのもあります。桐月(とうげつ)というのは桐の葉が落ちる秋の意味で、これも随分と気の早い解釈です。桐月という名前がかっこいのか、アニメキャラにも使われているみたいです。申の月というのもあり、これは古代中国の暦法で、いつも一定位置にある北辰(北極星)を見つけ出すのに便利な北斗七星の柄の先にある遥光(破軍星、剣先星)が一番下に来る11月を十二支の子を充て建子月とし、そこから順に干支を当てはめていくと7月が建申月(けんしんげつ)になるからです。一月から順に寅いん、卯ぼう、辰しん、巳し 、午ご、未び、 申しん、酉ゆう、戌じゅつ、亥がい、子し、丑ちゅう、という読みも覚えておくと便利です。
新暦7月29日はシチフクで福神漬の日だそうです。福神漬の由来は諸説ありますが、いろいろな野菜を漬けこんであるので七福神漬で7月29日が選ばれているそうです。今やカレーとの組み合わせの定番になっていますが、江戸時代に作られたものだそうで、明治時代の欧州航路の客船で供したのが最初で、後に帝国ホテル、資生堂、阪急梅田などがカレーに添えて出したのが広まったということらしいです。あの瓢箪形のものはナタマメで普段野菜としては食べませんが、薬用に用いられています。福神漬は栄養価もあり明治時代には缶詰にして軍に携行されたそうです。

文月

土潤溽暑

土潤溽暑

旧暦水無月晦日は土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)という七十二候の1つです。溽=むしあついと読みます。非常に蒸し暑い様を溽暑(じゅくしょ)といい、梅雨が終わり、夏真っ盛りになる頃の湿気の多い蒸すような暑さを意味します。こういう漢字と言葉は残しておきたい日本遺産ですね。土が潤うというのは、地面が湿気を帯びて蒸し蒸しする感覚を表現したもので、実際には強い太陽光で熱をもち乾燥します。この土の熱を「土熱れ(つちいきれ)」と表現しますが、今では道路のほとんどが舗装されて土が見えませんから、土熱れを感じることはなくなってしまいました。舗装された道路のコンクリートが熱くなるのは実感しますから、犬の散歩や子供には注意しないといけません。大人が顔で感じる暑さの数倍の熱さになっています。溽暑はそのまま季語になり、真夏を意味しています。今は天気予報で真夏日とか猛暑日、酷暑日などと分類していて、そちらの方が馴染みがあります。こちらは物理的に気温で分類しているので、実感とは多少のずれがあります。
七十二侯というのは二十四節気をさらに三分割したもので、季節のようすが文章のような表現になっていて、より具体的にイメージできるようになっている暦です。元は古代中国で作られたものですが、日本とは気候が違うので、日本で時々改訂されたものです。全部覚えていることなど不可能で、暦を見ながら、ああこんな時期なのだな、という感覚を味わうものです。日本の天気予報の時間には二十四節気を紹介することは多いのですが、なぜか七十二侯には触れません。海外の天気予報ではこうした季節の紹介はなく、日本では桜前線とか紅葉前線などの紹介があるのを見た外国人が日本の天気予報が情緒的なのに驚くようです。
この時期に旬を迎える食べ物には穴子、枝豆、西瓜、胡瓜、素麺がありますが、市場の関係で実際には早くから出ていますし、気候の関係で不作の年もあります。土用の丑の日に鰻を食べる習慣になっていますが、むしろ穴子が旬を迎えて脂が乘るので、本当はこちらの方がお勧めです。枝豆にビールが昔からの日本の夏の風物詩でしたが、最近は海外でも枝豆の人気がでてきて、生産もされるようになり、今は輸入物が増えました。
土潤溽暑に日本の学校は夏休みになり、各地の山も山開きをし、海でも海水浴をしますが、海は土用波が立ち始め危険が増し、事故も増えます。日本だけでなく、北半球は熱くなり熱波が襲う地域が増えます。中国では重慶、武漢、南昌、長沙を四大火炉といい、竈の中にいるような暑さとされています。欧米ではheat domeといい、チーズドームのように高気圧が覆うので、中に熱が籠って猛暑になります。体温を超える暑さは生命に危険が及びますから、熱中(熱にあたる)症になると死に至ることもあります。中という字は「中毒」のように「あたる」と読みます。字義を知ることで知識も増えます。七十二侯の文字で漢字を勉強することも大切なので、土潤溽暑も良い機会だと思います。暑苦しいなどと思わず涼しく勉強してみましょう。

土潤溽暑

朝鮮戦争終結と日本の敗戦状況

朝鮮戦争終結と日本の敗戦状況

1953年7月27日に朝鮮戦争が終結しました。朝鮮戦争の頃の日本は戦後のドサクサがまだ続いており、国民は生活に必死であまり関心がなかったように思います。しかし朝鮮半島においては国家が分断され今日までそれが続いている悲劇的な戦争です。要するにソ連と当時のアメリカの都合だったことは明白です。
Widipediaの記述を中心にざっくりとまとめます。第二次世界大戦中の連合国会談により降伏後の日本が朝鮮半島を含む海外領土の統治権を放棄することは既定方針として1945年7月26日のポツダム宣言にも盛り込まれていました。ポツダムはドイツのベルリン近郊の町名でドイツ降伏後、米・英・ソ連の首脳が集まり戦後処理について話し合いを持ちました。そして日本と戦争状態にあった米・英・中華民国の共同声明として発表されました。8月14日、日本政府はポツダム宣言受諾を決定、翌15日に国民に発表しました。それ以前の8月6日と8月9日にアメリカは原爆を投下、ソ連は日本と満州国と朝鮮半島を侵略します。この事態に驚いたアメリカは急いでソ連に38度線での分割占領案を提示したのが現在の南北国境線の起源です。ソ連は朝鮮半島分割占領案に8月16日に合意、38度線以北の日本軍はソ連軍に以南は米軍に降伏させることが決まりました。9月2日に日本は降伏文書に署名、正式に降伏しました。
朝鮮半島の突然の解放は連合国軍によるものでした。アメリカとソ連は独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置しました。海外で活動していた李承晩は反共・反ソを主張し、ソ連はアメリカに李承晩らの排斥を訴えたましたが、アメリカは反共を重視して聞き入れず、お互いの姿勢を非難して対立、委員会は決裂し、信託統治案は頓挫しました。1947年6月李承晩を中心とした南朝鮮過渡政府ができ、7月には左右合作を目指していた呂運亨が暗殺され、左右が決裂。1948年8月15日李承晩が大韓民国の成立を宣言。金日成はこれに対抗し、9月9日にソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させ、38度線が国境となりました。建国後、李承晩は「北進統一」、金日成は「国土完整」と政治体制の異なる相手国を屈服させることによる朝鮮半島統一を訴え、今日まで続いています。金日成は李承晩打倒のためソ連のスターリンに南部への武力侵攻の許可を求ますが、アメリカとの直接戦争を望まないスターリンは許可せず12月にソ連軍は朝鮮半島から撤退しました。
一方、中国大陸ではソ連の支援を受けて毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し1949年10月1日に中華人民共和国が建国され、敗北した蔣介石総統の中華民国は台湾に脱出しました。そうした中、1950年6月25日38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始されました。6月27日の安保理は北朝鮮を侵略者と認定、非難決議の賛成は9で反対国はなし棄権は1でソ連は欠席しました。韓国軍は苦戦しましたが、国連軍と米軍の支援で辛うじて反転、そこに独立間もない中国が参戦、激しい攻防線の結果、戦闘が中国国内にまで拡大してソ連を刺激し第三次世界大戦に発展することを恐れたトルーマンはマッカーサーを解任。1953年7月27日38度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、現在も停戦中です。

戦闘

幽霊の日

幽霊の日

7月26日は幽霊の日だそうです。そんな日もあるのかと調べてみたら、文政八年(1825)7月26日に江戸中村座において四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されたことを記念しているのだそうです。旧暦のことなので、本当は新暦にするのはまずいのではないかと思います。それこそ元の日が幽霊になってしまいます。
日本の幽霊は足がないことになっていますが、それは歌舞伎役者の尾上松緑が考えた演出だといわれています。『東海道四谷怪談』を演じることになった尾上松緑は怖さを感じさせる演出を考えていて幽霊の足をなくすというアイデアを思いついたのだそうです。効果は狙い通りに観客から「怖い」と評判になり今の幽霊の姿につながるものとなったのだそうです。なので江戸時代以前の幽霊には足があったのですね。歌舞伎の演出というのはいろいろ工夫と伝統があります。たとえば雪の降る場面では、ドンドンとゆっくり太鼓が鳴ります。雪が降る時に音がするはずがないのですが、どの場面でも雪降りのシーンでは太鼓がなるので、いつも見ているうちに刷り込まれてしまいます。同様のSF(sound effect=効果音)は映画にも受け継がれ、人を斬る場面ではブシュッという音がはいります。この伝統はアニメにも受け継がれていて、効果音だらけです。
ディズニーランドのホーンテッドマンションのお化けは足があって、走り回っています。日本人には幽霊に思えないかも知れませんし、怖がる人は少ないように思います。むしろお化け屋敷の幽霊の方がイメージを刷り込まれているのと同じなので恐怖を感じるようです。幽霊の登場場面ではドロドロドロという太鼓の連打があり、ヒューという横笛の音がするのも歌舞伎の演出から来ています。この演出は落語や講談の演出にも使われています。
怪談といえば夏の風物詩ですが、それは幽霊の日に合わせて演じられたのが元だと言われています。今ではお盆にご先祖様をお迎えする時期が多くなっていますが、ご先祖様と幽霊を一緒にするのは何とも不敬なことです。幽霊は「魂魄(こんぱく)この世に留まりて恨み晴らさずおくべきか」という決まり文句をいいますが、古文ですから、今の人に通じるかどうか。そして恨みがあるから出てきて呪うわけですが、ご先祖様はあの世から戻ってこられて、子孫を守ってくださっているのですから、正反対です。
幽霊に足がないのが定番ですが、牡丹灯籠という怪談ではカランコロンという下駄の音がする、という演出になっています。足がなくても下駄だけは動くのですね。これも音による怖さの演出で効果音といえます。なぜ効果音があるかというと、人間は視覚だけよりも、聴覚その他の感覚が併用されることで、よりリアリティを感じるからです。お化け屋敷でも音だけでなく、こんにゃくで触ったりして触覚による恐怖を追加しています。最近のVRやメタバースでも振動を加えるなどの演出をしています。歌舞伎もメタバースと相性がいいらしく、新演出がでてきています。ボーカロイドとの共演とか、いろいろ工夫がなされていて歌舞伎=古典とはかぎらないです。

幽霊

味の素

味の素

7月25日は味の素の日だそうです。明治41年(1908)4月24日、東京帝国理科大学教授池田菊苗博士は昆布だしのうまさの正体がグルタミン酸であることをつきとめ、うまいと感じるものの正体をうまみと命名しました。そしてグルタミン酸を調味料にするため、ナトリウムを加えて濃縮する技術を開発し、同年7月25日に製造法の特許を取得しました。その後、鈴木製薬所に製品化を依頼し、明治42年「味の素」という製品販売を始めました。現在の味の素株式会社は鈴木製薬所の鈴木三郎助が創業したものです。
味の素は昔のテレビの料理番組にもたびたび登場しましたが、その時は商品名を避けるということで化学調味料とされ、レシピの中に「化学調味料少々」みたいな感じで放送していました。今ではうま味調味料という名になっていますが、最近は添加物を入れないという流れで昆布だしやカツオ出しが使われています。変則的ですが昆布茶とか顆粒ダシも使われています。
アメリカでは長く、味の素をMSG(monosodium glutamate)と呼び体に悪い影響があるという説が流布されていました。日本に来たアメリカ人の多くがそれを信じていて、日本食にはMSGが入っているから食べないという人もいたほどです。中にはMSGのことを知らない日本人をバカにしている人もいました。一方、中華料理では必需品になっており、昔の中華料理では必ずといっていいほど、最後に味の素を大量に入れていました。また東南アジアでは粗悪品のグルタミン酸ソーダが作られ、広く販売されているのをみました。
現在、米国FDAは「MSGが体に悪いという証拠はない」という消極的承認になっています。MSGはそもそも昆布などの自然食品の中に自然に含まれている成分で、サトウキビ、甜菜糖(ビート)、コーンスターチなどから合成されているので今でいう天然由来ということができます。少し前までは、お中元やお歳暮の定番として贈答品になっていましたし、煮物や漬物に味の素を振るのが普通でした。今の食用油を贈答するのと同じ感覚です。
うま味そのものについての研究成果がでてきたのは比較的最近で、2000年に舌の味蕾にうま味を感じる細胞があることが発見されました。うま味にはグルタミン酸の他にイノシン酸やグアニル酸などがあることが知られています。日本では昔からダシをとる文化があり、うま味についてはなじみがあるのですが、西洋料理ではうま味という感覚がなかったようです。その理由はどうやら硬水にはうま味成分が溶けだしにくく、ストックなどの料理法があっても関心が向けられなかったようです。軟水を利用する日本では早くから知られていたわけです。そのため欧米の学者はうま味は塩味や甘み、酸味などの複合的な感覚と考えていて日本人学者の主張を否定してきました。現在ではうま味はumamiという英語になっているのはそのためです。MSGに否定的であったのもそのせいがあるかもしれません。ラーメンやダシが重要な日本料理が世界に広がっていることの背景には西洋人がうま味に気がついたということが背景にあるかもしれません。

うま味

応永の外寇と倭寇(海乱鬼)

応永の外寇と倭寇(海乱鬼)

応永26年(1419)水無月二十六日、応永の乱の中で激しい戦闘がありました。応永の外寇は日本史の中では教えられることが少ないのですが、李氏朝鮮による対馬への侵攻のことで、糠岳戦争ともいわれ、朝鮮史では己亥東征と言うそうです。当時、対馬が倭寇の根拠地とみなされていて、たびたび倭寇に襲われた朝鮮側が征伐のために侵入した戦争です。倭寇というのは「日本の海賊」という朝鮮側、中国側の解釈ですが、実際には日本人だけでなく高麗人や中国人が混ざった海賊集団でした。海乱鬼(かいらぎ)ともいうそうで、ゲームや漫画の題材になっています。倭寇が日本人海賊というのは朝鮮・中国側の誤解で、そもそも盗賊や海賊が1つの民族集団から成っていることはなく、ある意味、実力主義の集団なので、いろいろな人種が混ざるのが普通です。実際に捕らえて調査したわけではなく、強奪されたり、戦闘になって殺された側の人々がそう思い込んでいた、というのが実情です。また盗賊集団側も1グループで統率されていることは滅多になく、いろいろな集団が混じっていて内部でも縄張りを巡る覇権争いがあるのが普通です。現在の反社会集団も同じ状況だそうです。
倭寇が日本の精鋭部隊と同じ装備で南北朝の争いによる統制の緩みに乗じて物資の略奪に参加したという説、長い戦乱で食糧を確保することに限界を感じた兵士達が近くに位置する高麗に頻繁に物資を求めに行ったとか、倭寇が数百隻の重装備で食糧を略奪してので、南朝方の菊池氏や肥前の松浦党が北朝との戦いのための物資調達をしたという説まであって、実態はまだよくわかっていないようです。
倭寇は元寇以前にも高麗から略奪していたのですが頻繁になったのは1350年からで倭寇のせいで高麗の沿岸に人が住まなくなる程だったらしいです。1389年に高麗は倭寇の根拠地を対馬と断定し倭寇船300余隻と海辺の家々を焼き捕虜100余人を救出した(康応の外寇)。高麗が李氏朝鮮になっても倭寇は朝鮮半島各地に被害を与え続け、対馬守護宗貞茂が対朝鮮貿易のために倭寇取締りを強化し、室町幕府足利義満が対明貿易のために倭寇を取り締まった事によって倭寇は一旦は沈静化していきました。しかし足利義持の時代になると日明関係は悪化していて、倭寇が再び活発化しました。京都では当初朝鮮軍を中国からの侵攻と誤解していました。朝鮮軍は227隻の船に1万7285人の兵士を率いて対馬に上陸、対馬の宗貞盛の抵抗により、百数十人が戦死、朝鮮軍は逃走したが船に火を掛けられて大敗を喫しました。この侵入以降、宗貞盛に日朝貿易の管理統制権が与えられ、対馬と朝鮮の通交関係の回復がなされ、その後、宗貞盛は李氏朝鮮と嘉吉条約を結び、朝鮮への通交権は宗氏にほぼ独占されるようになったという複雑な関係ですが、当時から対馬は日本の支配権が及んでいたことが明白です。
この前期倭寇に対して中国側が倭寇と呼んだのは後期倭寇のことで構成員の多くは私貿易を行う中国人でした。日明の勘合貿易が終わり、中国人が主体になって密貿易を行っていて交易と襲撃の両方、いわゆる武装海商です。活動地域は広く中国沿岸から、現在の台湾や海南島の沿岸にも進出し琉球王国の朝貢貿易船も襲撃したりして琉球王府に撃退されていたそうです。倭寇は略奪だけでなく密貿易もしており、室町幕府や明が交易をすれば密貿易、交易をしなければ貿易という商行為をしていたと考えられています。こうした国に属さない集団は世界各地にあり、反社会集団として武装している例は今も存在しています。英国のように海賊を積極的に利用した例もあります。

対馬

大暑と丑の日

大暑と丑の日

水無月二十五日は二十四節気の大暑です。今年は新暦7月23日から8月6日までの15日間が大暑で、今日がその入りということです。盛夏というか、1年でもっとも暑い期間ということで、これが過ぎると秋に入ります。
大暑は土用の丑の日と重なるので、鰻屋さんが大忙しの日という習慣になっていますが、これは江戸時代の平賀源内のCM戦略に乗ったまま今も続いているのです。夏土用の丑の日は「う」のつく食べ物が健康によいとされ、鰻はその1つであったのですが、いつのまにか鰻だけになってしまいました。
「う」のつく食べ物は意外にたくさんあります。そもそも「うを」と言えばすべての魚が該当します。まず魚ではウルメイワシ、ウルカ(鮎の内臓の塩辛)などが比較的手に入れやすいのですが、地域によってはウツボ、ウチワエビ、ウマズラハギ、ウミウシなどを食べる地域もあります。同じ海産物ならウニ、内子(蟹の卵)、海ブドウなどがあります。
魚以外に牛、馬など江戸時代には食べなかった肉類がありますから、焼肉やすき焼、馬刺しなども元気がでそうです。昔は食べたそうですが、ウサギなどもあります。
すぐに手に入るのが、梅で梅干し、梅酒、梅サワーなどはいかがでしょうか。酒類でいえばウイスキーもOKですから、ハイボールもいいですね。
ウズラや烏骨鶏もありますから、ウズラの卵、ウコッケイの卵も該当します。
野菜類はやや少ないですが、瓜(うり)や独活(うど)やうずら豆などがあります。手軽なのはうどんですね。薄口醤油のつゆなら完璧です。それに薄焼き卵でもあれば栄養満点です。
食後にはういろうやうぐいす餅もありますし、駄菓子のうまか棒とか浜松のうなぎパイ、今は目にすることが減りましたがウエハースとか、東海道草津の名物うばが餅というのもあります。菓子と一緒にウーロン茶や宇治茶、あるいは宇治金時も合います。
変わったところでは、ウコンはターメリックなので、カレーもOKです。宇治茶がいいなら宇都宮餃子でもよさそうな気もします。かなりこじつけですが、ウーバーイーツで配達してもらえば何でもOKになります。
これだけ並べたので、おわかりいただけると思いますが、要するにこじつけなので、単なる習慣として「暑いので健康に留意する」と考えていただくのがよいと思います。鰻屋さんには申し訳ないのですが、鰻も高くなったことですし、そろそろ平賀源内の呪縛から解放された方がいいと思います。むしろ鰻が本来おいしい冬に食べるとか、ビタミンEが豊富で疲労回復にもなりますし、兜町の証券マンが縁起を担いだように、うなぎ上りを願って、年中いつでも食べるようにした方が鰻屋さんも助かると思います。個人的には鰻も蒲焼だけでなく白焼もおいしいですし、パーツを串に刺して焼く店もあります。甘いご飯が好きという方はタレだけでも売ってますから、アナゴとかドジョウのような比較的安い魚を蒲焼にしてもおいしいのでオススメです。関西で多く食べられる鱧(はも)も夏の風物ですが、鱧の蒲焼というのもあります。多くは湯引きや天ぷらとして食べるのですが、鰻ほど脂が乘っていないので、こちらの方が好きという方もいます。京料理の一つになっています。ただ鰻と違って小骨が多いので調理に手間がかかるのが難点です。最近は骨切済も売っているそうです。

大暑

著作権とNFT

著作権とNFT

著作権というと文字からは何か著作をした場合の権利と理解されそうですが、英語ではcopyrightつまり複製する権利ということになっています。実際、著作権は国ごとに内容が異なります。現在の日本の著作には小説、音楽、美術、アニメなど広く「表現されたもの」が含まれ、表現の創作者が著作者、表現されたものを著作物、そして著作者に与えられた権利が著作権ということになっています。現時点で著作物と考えられているのは、小説、脚本、論文、講演そのほかの言語の著作物、音楽の著作物(曲だけでなく歌詞も著作物)、舞踊または無言劇の著作物(日本舞踊、バレエ、ダンスの振り付けなど)、絵画、版画、彫刻そのほかの美術の著作物(マンガや書、舞台装置など)、建築の著作物(建築芸術といわれるような建築物など、地図または学術的な図面、図表、模型そのほかの図形の著作物、写真の著作物、映画の著作物(劇場用映画、テレビ番組、ビデオソフト、ゲームソフトや動画サイトにアップされているコンテンツなど、プログラムの著作物(コンピュータプログラムなど)と例が示されています。この他に二次的著作物として、翻訳、映画化など原著者の許可をもらって製作されたものも対象です。また編集著作物として百科事典、新聞、雑誌などが含まれ、近年はデータベースも著作物に含まれています。
著作権には著作者人格権と著作物財産権があります。一般には著作物財産権が著作権として理解されていますが、それは経済的な問題が話題になることが多いからです。著作者人格権は著作物を作った人の人格を保護するのが目的ですから、著作物財産権を誰かに譲ったとしても、人格は譲ることができないものであり、譲渡できません。著作者人格権には公表権、氏名表示権、同一性保持権があります。公表権は文字通り著作物を公表するかどうかを決める権利です。誰かが勝手に公表してはいけないもので、未完成作品は著作者が亡くなった後は一応人格権が消滅するのですが、それでも人格を傷つけるような場合は公表できません。氏名表示権は本名かペンネームかを決める権利です。氏名を公表したくない場合も含まれます。同一性保持権は著作物の題名や内容を他の誰かに変えられないようにする権利です。出版社が売れるから、といって著作者の同意なしに勝手に変えることはできないのです。校正する場合も必ず著者の了解が必要なわけです。著作権にも罰則があることは案外知られていません。
著作物財産権は経済活動なので実に多岐にわたります。複製権は英語のcopyrightが示すよう基本的な権利です。上演権、演奏権 、上映権、公衆送信権 、送信可能化権、
公の伝達権(著作物の伝達に関する権利)、口述権、展示権、譲渡権、貸与権、翻訳権・翻案権、二次的著作物の利用権などがあります。
近年Non-Fungible Token(NFT)」という技術が話題です。直訳すると非代替性トークンですが、定まった訳語はなく英語のままNFTと呼ばれています。ブロックチェーン技術を応用して作品が唯一無二であることを示す技術ですが、著作権との関わりがまだ議論中です。取引もできるところから高額の取引が話題になり、ジャック・ドーシー(ツイッタの創業者)の初ツイート取引額が291万5835ドル(約3億円)だったことなどから投機的価値があるとされ、次々に取引所ができていますが、仮想通貨との関係もあり、技術の進歩に法体系が追いついていないため問題も多くあります。