半導体

6月30日はトランジスタ記念日です。トランジスタといっても覚えている人は高齢者のみで、しかも意味を知っている人は数少ないと思います。トランジスタ・ラジオがソニーの人気商品でしたし、トランジスタ・グラマーという表現が死語になって久しいので、今では何のことかわからない人がほとんどだと思います。トランジスタは半導体の一種で発明者はこれでノーベル賞をもらったくらいの大発明でした。現代でも話題になる半導体とは何なのか理解している人は意外に少なく、産業の米だとか、これがないと製品が作れないとかで大騒ぎしています。
半導体の前にまず導体を理解しましょう。導体は英語ではconductorといいます。この語の訳はたくさんあって、車掌さんとか指揮者という意味もあります。導体というのは伝導体というのが正しく、電気などをよく通す物体のことです。熱をよく通す熱伝導体というのもあります。電線は中に銅線が入っていることが多く銅は良電気伝導体です。日本では雷除けという意味で避雷針というのを英語ではlightening conductorまたはlightening rodといいます。日本では雷をthunderとしかいいませんが、英語ではむしろlightening、ピカッの意味が中心です。
良電気伝導体、略して良導体に対して、ほぼ電気を通さないのが不導体または絶縁体といい英語ではinsulatorといいます。そして半分電気を通すのは半導体で英語ではsemiconductorといいます。日本語は英語の訳語です。電気を通さないことを電気抵抗(electrical) resistanceといいます。電流と電圧と抵抗の関係はオームの法則なのですが、中学で今はあまり習わないみたいですので、理解していない人が多いようです。良伝導体の金属と不伝導体を貼り合わせると、その組み合わせで電気が通ったり通らなかったり、あるいは流量を調整できるようになります。乱暴な簡略化ですがそんな感じで理解すると先に進めます。
電気を通したり、通さなかったりすることをスイッチングといいますが、要するにオンオフのことです。また電流量を調整することで増幅や減衰をコントロールできます。
最初にこの制御をする機器としては真空管が使われました。真空管は今でもマニアの間で人気ですが、中を真空にしたガラス管の中に陽極と陰極の電極を入れて電子の流れ=電流を制禦する装置で音を増幅したり、減衰したり、流れを一定(整流)したりオンオフをするものです。問題はすごい熱を発することで、初期のコンピュータは大量の真空管を使ったため、ものすごい熱量を発し、触るとヤケドするので大変だったという話を聞きました。ラジオでも3球とか5球と真空管の数を表していました。それがトランジスタの発明により、熱をあまり持たなくて小さな半導体になったことで、多くの機械の軽量化、小型化が実現しました。材料は初期にはゲルマニウムが多く、ゲルマニウム・ラジオという名称もありました。ラジオも持って歩けるほど小さくなったのがトランジスタ・ラジオです。その後、ウオークマンへと発展していく先駆けでした。日本は多くのトランジスタ製品を輸出することで儲かったのです。しかしその後、ダイオードが発明され、さらに半導体を組み込んだ集積回路integrated circuit=ICが発明され、集積化は発展して小型化高性能化の競争になりました。現在、半導体といっているのはこの集積回路のことです。LSI,VLSIとなるにつれ、製造技術競争になり生産者が限られてきたことで供給の偏りが問題になってきています。

トランジスタラジオ

水無月

今日は水無月朔日(みなづきついたち)です。新暦だと6月がもう終わるのに、旧暦では6月が始まるという1ヵ月遅れのわけです。6月は梅雨で雨も多いのになぜ水無し月なのか疑問を持たれる方も多いと思います。水無月の無(な)は無いといういみではなく、「~の」という意味だという説があります。古語の「な」にはいろいろな用法があるのですが、上代語では格助詞として連体修飾語を作る機能があります。たとえば「港=水(み)な門(と)」「まなこ=目(め)な子(こ)」「源=水(み)な元(もと)」掌=手(た)な心(こころ)」など現代にも残っている語があります。それと同じ用法であり、水(み)な月(つき)は「水の月」という説です。それでいうと神無月も「神の月」という解釈でないと一貫性がないような気もします。一方で、田んぼに水を引くので他地域は水が無くなるから、という説もありますが、これは文字から想像しただけのような気がします。結論は根拠不明です。
別名で水張月というのもありますから農業と深く関わっていることだけは確かです。他の異名として晩夏、季夏というのがあり、旧暦では卯月から水無月が夏とされているので、卯月が初夏、水無月が晩夏ということになります。実際の季節を考えると6月末には梅雨明けし、7月は夏ですから、水無月が晩夏というのも当たっています。
季節の季はスエとも読み、終わりのことです。季節というのも本来は移り変わりの節目の意味です。それで季夏という異名もあります。鳴神月というのもあり、まさに雷(神鳴り)が多い月でもあります。昔は水無月に田植えをする時期だったのですが、日本の稲作は次第に早生になり、今では5月にするところが増えました。理由は早生の方が新米として高い値がつくこと、また台風の前に刈り取れること、そして農家が兼業になり連休が作業に都合のよいことがあります。それに合わせた品種改良もありました。そのため旧暦を利用する必要もなくなってきたのも事実です。
しかし旧暦の季節感は日本の気候にとって意外としっくり来ることが多いです。旧暦は太陰太陽暦で、太陽の動きと月の動きを元に作られた暦です。一日は自転により起こります。一日で一回転です。月の公転は地球の自転と同じなので、いつも同じ面を見せていますが、地球と一緒に太陽の周りを公転するので、約30日の公転により月の満ち欠けが元に戻ります。月は直接光っているのではなく、太陽の光を反射させており、その光線の中に地球が入ると影になります。月の欠けが丸いのは地球の影だからです。一部とはいえ、地球が球体であることがこれで証明されます。太陽の位置と言っているのは天動説であり、地球の公転は楕円を描いているので、近い時と遠い時があります。高さが変わるのは地球の回転軸つまり地軸が傾いているせいです。もし垂直であれば太陽の位置は変わりません。仮に水平なら北半球はいつも夏、南半球はいつも冬ということになります。つまり季節は地軸の傾きと公転の位置によりできているというのが理科の説明ですが、昔の人はそんな理屈は知りませんから、経験的に一月が30日、一年が365日であることを知っていたわけです。これだけでも1年に5日の差がでることは算数でわかります。1年が12か月であることを優先すれば大の月とか小の月を作って調整しますから、月の満ち欠けとはズレてきます。季節の変化は太陽の動き(地球の公転)と関係しますが、月の満ち欠け(地球の自転)とも関係します。農業者にとって太陽太陰暦が必要ということがおわかりいただけたでしょうか。

水無月

貿易

6月28日は貿易記念日だそうです。安政6年(1859)6月28日(旧暦5月28日)、江戸幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出しました。貿易に携わる企業だけでなく、広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深める日として記念日として通商産業省が1963年(昭和38年)に制定したのだそうです。(https://prtimes.jp/magazine/today/trade_anniversary/)
ちょっと待ってください。貿易はそれ以前にも勘合貿易とかありましたよ。そもそも貿易の定義は「一国の企業や個人が外国の企業や個人と行う商品の取引が貿易である。貿易を通じて、国内で生産された財貨は外国にも販売(輸出)され、外国から財貨が購入(輸入)されて国内で消費されるという国際分業が形成される」ということです。(https://kotobank.jp/word/貿易-174448)要するに輸出と輸入のことです。日本ははるか昔から大陸や半島との交流がありました。安土桃山時代からはスペイン、ポルトガル、オランダとの交易もありました。なぜ安政からにしたのか不思議です。英米仏があるからでしょうか。それとも古いものはいつから始まったのかわからないからでしょうか。国民は政府にいわれなくても貿易の重要性は誰でも知っています。
この貿易の貿という字は不思議な字です。貿易以外の使い方が知られていません。調べて見ると、どうやら元は日本語ではなく中国語のようです。英語ではtradeですが、日本語の意味に合わせるならinternational tradeでしょうね。英語圏ではtradeで国際間でも個人間でも取引の意味になります。野球の世界ではトレードは交換の意味で使われます。交換は英語だとexchangeなのですが、exchangeは両替のように機械的な交換を意味します。誰との間でも同じ比率が原則です。しかしtradeは商売なので相手によって値段が違ってもいいわけです。似たような言葉にdealingというのもあります。Dealになるとさらに駆け引きの要素が加わります。取引の場合、インチキやペテンもあるので、公正取引をfair trade、不公正取引をunfair tradeといいます。日本政府には公正取引委員会という組織があって、誇大広告などを取り締まっています。独占を監視しているのもここです。国際的にはWorld Trade OrganizationいわゆるWTOがあるのですが、国連機関のうちで現在ほとんど機能していないと揶揄されている機関の1つです。WTOは協議の場なので結論に強制力がなく紛争があってもなかなか解決に至らないことが多いようです。紛争処理手続きとして1.パネルの設置、2.パネル報告及び上級委員会の報告の採択、3.対抗措置の承認というのがありますが、現在上級委員が不足していて委員会が開けない状態にあり、最近まで事務局長人事を巡って紛争があり、機能不全の状態が長く続きました。
貿易は輸出と輸入なので、輸出が多ければ黒字ということで、それだけ儲けているということになり、国内的には良くても外国からは批判されることになります。米国は長年貿易赤字に悩んでおり、一時期は黒字国日本が目の敵にされました。それで為替を無理やり変更させられ黒字減らしをさせられた結果、国内産業が衰退という現象になり今も続いています。現在は猛烈な円安なので本来なら黒字が増えるはずですが、むしろ減少傾向にあり、一方で輸入大国になった日本は物価上昇により輸入も減少しているので、景気が相当後退していることがわかります。

コンテナ船

メディア・リテラシー

6月27日はメディア・リテラシーの日だそうです。長野市に本社を置くテレビ信州が制定したもので、1994年(平成6年)のこの日、松本サリン事件があり、事件現場近くに住む無実の男性がマスコミにより犯人扱いされる報道被害がありました。テレビ信州では報道機関におけるコンプライアンスの基軸としてメディア・リテラシー活動に取り組んでいて、この日にはメディア・リテラシーに関する番組の制作やシンポジウムが行われる、とのこと。つまりはマスコミ反省の日ですね。
「メディア・リテラシーとは、情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力のこと。情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜く能力が必要とされている。」だそうです。つまりは読む側の責任ということでしょうか、随分高飛車で上から目線の話だと思います。
そもそもリテラシーliteracyというのは元々、識字力のことです。世界には文字の読めない人がまだ大勢います。文字が読めないということは読み書きができないということで、そこから発展して現代では「適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する能力」ということなので、メディア・リテラシーはむしろメディア側の発信力を高めるのが先だろうと思います。松本サリン事件は報道側の事実確認を無視した思い込み報道の結果、無辜の市民が犠牲になったのですから、リテラシーを高めるべきはマスコミ側です。しかし現状を見るかぎりマスコミの能力は高まるどころか、むしろ低くなっているのではないか、と思えます。
昔は文字を一部識者だけが独占していました。宗教でも聖書が読める人はごく一部の聖職者だけでしたが、その聖職者が自己の解釈を加えて説教する弊害が酷くなったため、宗教改革により誰でも聖書が読めるようにすることが重要になり、それに一役かったのが印刷術の開発でした。現代になると、情報がかつては一部に独占されていてマスコミが聖職者よろしく自己解釈を加えて報道していたことの弊害が大きくなり、インターネットというリテラシーメディア改革により、また動画配信という文字があまり介入しない手法によって、誰でも情報にアクセスできるようになったということです。インターネットが印刷術の役割を果たしているといえます。その証拠として、印刷がだんだん衰退していることが挙げられます。
印刷が主力の時代でも新聞情報の真偽を見抜く能力が必要でした。しかし多くの新聞を比較し、ラジオやテレビ、そして外国の新聞などを見て真偽を判断していた人がどれだけいたでしょうか。マスコミはネット情報の氾濫を盛んに喧伝しますが、当時でも情報は結構氾濫しており、それらにアクセスできる人が少なかっただけのことです。そのため一部の新聞しか読めない人は判断が偏ることは避けられませんでした。
インターネットになってもその状況は変わりません。愛読新聞が愛読サイトになっただけのことです。つまり、受信者の能力と責任が大きくなるのではなく、発信者の責任と能力が問われるのです。SNSがよくマスコミで問題視されますが、口コミや井戸端会議が文字化、動画化しただけのことで、YouTuberは街角情報誌発行人と変わりません。しかし彼らもプロ化してきており、マスコミ以上のレベルの人も出てきています。ヨーロッパ中世の教会が権威を嵩にかけて弾圧しても宗教革命によって広がっていく個人的な小さな教会を止めることはできませんでした。今メディアで同じようなことが起きていると思われます。

メディア

国連憲章

6月26日は国際連合憲章の日です。
国連広報センターのサイトによると「1945年4月~6月の2ヶ月間、「国際機関に関する連合国会議(United Nations Conference on International Organization)」がサンフランシスコで開催されました。そして、会議最終日の6月26日、「戦争の惨害」を終わらせるという、強い公約とともに国連憲章(the Charter of the United Nations)が、50カ国の代表によって署名されました。」
とあります。直後に追加があって現在は51カ国で始まったとされています。
最近は国連の限界のようなことが議論されますが、この機会に興味のある個所だけでも読んで確認してみるのがよいと思います。ネットには日本語訳も公開されています。
1945年に制定され、1973年9月までに3回の改正を経ているが、以降は改正されていないとのことです。50年近く改正されていないのはある意味日本国憲法に似ているかもしれません。前文に続き全部で19章から成っています。いわゆる敵国条項について、正確に知っている人はマスコミでも少ないようです。漠然と日本が入っている、という認識ですが、実際は曖昧なままです。本来は長い説明が要るのですが、簡略化すると第53条の2「本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」という個所にあるだけで具体的な国名は書かれていません。Wikipediaの解説だと「日本政府の見解では、第二次世界大戦中に憲章のいずれかの署名国の敵国であった国とされており、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当すると例示している。タイ王国は連合国と交戦した国であるが、この対象に含まれていない。オーストリアについては、当時ドイツに併合されていたため、旧敵国には含まれないという見方が一般的である。」とあります。日独伊はわかりますが、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドが入っているのは意外ではありませんか。
「1995年の第50回国連総会(当時加盟国185カ国)で「時代遅れ」と明記され、憲章特別委員会で旧敵国条項の改正・削除が賛成155 反対0 棄権3で採択され、同条項の削除が正式に約束された。また、国連総会特別首脳会合で2005年9月16日採択された「成果文書」においても旧敵国条項について「『敵国』への言及の削除を決意する」と明記された。(しかし)常任理事国である中露の反対が想定されるために国連憲章改正自体は出来ていないが、上記の決議において国連憲章改正に必要な条件の一つである「3分の2以上の賛成」は示されている経緯などを踏まえて、一般的に「死文化している」「現在においては、いかなる国も旧敵国条項を援用する余地はもはやない」とされている。」(同)が現状です。政府答弁のような長い説明をまとめると「実質的に死文化」であるのですが、相変わらず中露がネックになっています。
戦争のたびに安保理の拒否権が問題になりますが、この不平等規定が改正できないところに国連の限界が象徴されています。そもそも常任理事国5カ国のうち1971年10にそれまで中華民国(台湾)が持っていた代表権が中華人民共和国に与えられ安全保障理事会常任理事国に移動が発生したこと。1991年にソビエトの解体に伴って同国が持っていた国際連合代表権がロシアへと引き継がれたことがおかしいと思うのが自然です。この時が改正のチャンスだったのにしなかったのは米英仏の都合でしかありません。とくに拒否権のあった米の責任は大きいと思われます。

国際連合

ジェームズ・ビドル

ジェームズ・ビドルという名前をごぞんじでしょうか。野球選手としてご存じの方もおられると思います。彼とは同姓同名の歴史上の人ですが、それほど歴史に埋もれてしまった人物です。弘化3年(1846)閏5月26日に浦賀に入港したアメリカ人海軍軍人で、ペリーの前にやってきました。ビドルは戦列艦・コロンバスおよび戦闘スループ・ビンセンスを率いて、日本に向かってマカオを出港し、弘化3年閏5月26日に浦賀に入港したのですが、直ちに日本の船が両艦を取り囲み、上陸は許されませんでした。ビドルは望厦条約(ぼうかじょうやく。1844年、清とアメリカの間で結ばれた条約)と同様の条約を日本と締結したい旨を伝えます。数日後、日本の小舟がコロンバスに近づき、幕府からの正式の回答を伝えるために、日本船に乗り移って欲しいと申し出ました。ビドルは躊躇したものの、同意します。ビドルが日本船に乗り込もうとしたとき、通訳の手違いから、護衛の武士がビドルを殴り、刀を抜くという事態が発生しました。ビドルはコロンバスに戻り、日本側は謝罪します。結局、幕府からの回答は、オランダ以外との通商を行わず、また外交関係の全ては長崎で行うため、そちらに回航して欲しいというものでした。ビドルは「辛抱強く、敵愾心や米国への不信感を煽ること無く」交渉することが求められていたため、それ以上の交渉を中止し、6月7日、両艦は浦賀を出港しました。その際、帆船のため、風が無く浦賀から出られなくなるという事態に陥り、曳航してもらったという事態も起きました。なお、ビドルが来訪するであろうことは、その年のオランダ風説書にて日本側には知らされていたのだそうです。ビドルはコロンバスを率いて太平洋を横断し、12月にはチリのバルパライソに到着した。米墨戦争の勃発に伴い、翌1847年3月2日にはカリフォルニアのモントレー沖に移動した。そこで、太平洋艦隊と合流し、先任であったビドルは太平洋艦隊の司令官となったという輝かしい戦績があったのですが、日本との折衝に失敗したため、日本史には名が残りませんでした。ビドル来日の7年後、マシュー・ペリーが浦賀にやってきます。そして日本の開国に成功しました。ペリーはビドルの失敗を研究し、砲艦外交によって日本を開国させたのでした。(ウィキペディアより)
日本からするとペリーは敵でビドルはよい交渉相手だった可能性もあります。日本は頑なに鎖国を続けようとしたため、平和交渉よりも侵略を招き入れたという結果になってしまいました。外圧に弱い日本という構造はここから形成されたのかもしれません。もっとも当時、アヘン戦争を巡る状況についての情報は入っていたでしょうし、アヘン戦争でイギリスに敗北した清がイギリスと南京条約を結び、その内容は関税自主権の喪失、治外法権などを定めた不平等条約であったわけですから、日本もいずれこうなるかもしれないという恐怖心はあったでしょう。それが攘夷運動につながるわけです。望厦条約はマカオ郊外の望厦村において、イギリスに南京条約で認めた内容とほぼ同様のことを定めた修好通商条約がアメリカとの間で結ばれたものです。いわば便乗です。さらに清はフランスとも黄埔条約を結び欧米列強の中国進出が本格化していったのです。幕府のままの体制だと日本も同じ運命を辿った可能性もあったといえます。薩長がイギリス、幕府がフランスをバックにした戊辰戦争は欧米によって引き起こされた内戦という見方もできます。明治維新後、結ばれた条約は不平等条約でしたから、その後の日本が必死の努力で改正していけたのは奇跡的かもしれません。

帆船

ドレミ

6月24日はドレミの日だそうです。ドレミは誰でも知っていますが、なぜドレミなのか不思議ではありませんか。また音階を示すのに英語ではABC、日本ではイロハも使います。英語でもドレミを使いますが、意味は誰もわかっていません。
あるサイトで
「11世紀の初頭、イタリアの音楽教師グイード・ダレッツォが、音階とそれを記録する楽譜の原型を作ったと伝わっています。グイードはもと修道士だったため、聖歌隊がグレゴリオ聖歌を暗記するのに苦労しているのを見て、音楽を覚えやすくする方法を考えたそうです。彼は音楽教師向けのテキストを作り、五線紙の原型である四線上に音符を並べる記譜法や、音階にド、レ、ミという覚えやすい名前をつけて、これを広めました。この音階の名前の元になったのが、「聖ヨハネ賛歌」という讃美歌です。この讃美歌は、各節が一音階ずつ上がるため、それぞれの歌詞の頭文字をとり「Ut Re Mi Fa Sol La」としました。Utが発音しにくいため、17世紀頃に「主」を示すDominusのDoに変更され、「聖ヨハネ賛歌」の最後の歌詞からSiが付け加えられて、現在の音階になりました。説明が長くなりましたが、この「聖ヨハネ賛歌」が歌われるのが、洗礼者ヨハネの誕生日である6月24日であることから、今日が「ドレミの日」となったというわけです。」(https://www.insightnow.jp/article/9332)
と紹介されていました。なるほど納得です。ちなみに聖ヨハネ賛歌の歌詞は以下です。
Ut queant laxis Resonare fibris Mira gestorum Famuli tuorum Solve polluti Labii reatum Sancte Iohannes
(あなたの僕(しもべ)が 声をあげて あなたの行いの奇跡を 響かせることができるように 私たちのけがれた唇から 罪を拭い去ってください 聖ヨハネ様)
聖ヨハネの誕生日がドレミの日という点はちょっと納得がいかないのですが、欧米ではそれでいいのでしょうね。それでもドがCなのは不思議です。Wikipediaによると「第1節から第6節まで、その節の最初の音はそれぞれC – D – E – F – G – Aの音になっている。このことからグイド・ダレッツォはこの歌詞の初めの文字を階名として使用しようと考え、第1節から第6節までの歌詞を利用して”Ut – Re – Mi – Fa – Sol – La”の階名を発明した。」とあります。これはドがドの音であることの説明はできていますが、なぜCなのか不明のままです。日本のイロハがABCに対応していることはすぐにわかります。ではなぜラがAなのか、その疑問は音名と階名にあります。音名というのは絶対的な音の名前、つまり物理的な音の名前です。たとえば440Hzの音がAで、その倍の周波数880HzもAです。楽器などで音叉とかチューニングメーターを使って音を合わせるのもこの絶対音を統一するためです。一方音階というのは主音に選ばれた音に対する相対的な高さのことです。英語でscaleと呼んでいます。カラオケなどで「キーが高すぎる」などといいますが、キーである音の絶対音を変えると歌えるようになるのは、音階は変わらないからです。コードはその音階における音同士の関係を示したもので、一番よく響く音を主音として、一緒にすればより深みや厚みがでてくる従属音がいろいろあるわけです。重ねるので和音といっています。よく「ハモる」といいますが、メロディの主音にコーラスとして従属音を付けることでハーモニー(和声)にするわけです。音名と音階について基本的なことを理解しておくと人間関係に役立つこともあるかもしれません。

ドレミ

パブリックサービス

6月23日は国連公共サービスデー United Nations Public Service Dayです。この日は公共サービスが果たす役割を周知するよう求めています。はたして日本では周知されているでしょうか。日本人がきちんと理解しているか考えてみましょう。
まずパブリックサービスは公共サービスと訳されています。パブリックの意味は公共だけで伝わっているかも検証の必要があります。またサービスについては誤解があるようにも思われます。公共サービスは主として国家的なものですが、地域社会における公共サービスをローカルパブリックサービスといいます。そこで働く人が国家公務員であり、地方公務員です。この日は公共サービスの価値と長所を理解し、開発工程における公共サービスの貢献を強調し、公務員の仕事を認識し、若者が公共部門でのキャリアを追求するよう奨励する日です。公共サービスとは政府から市民に対して提供されるサービスのことで、納税額に関係なく地域の全員に提供されるべきものです。公共サービスには、放送、教育、水道、電力、都市ガス、医療、軍事、警察、消防、図書館、交通、公営住宅、通信、環境保護、都市計画が挙げられます。国連の規定はこうなっていますが、日本で軍事が公共サービスと考えている人は少ないのではないでしょうか。軍事は英語ではmilitary serviceというのですが、日本語のサービスは「サービスしておきます」のようにおまけのニュアンスが強いです。喫茶店のモーニングサービスがその典型です。英語でmorning serviceというとmourning serviceと誤解され葬式の意味になってしまいます。日本語で「式」という場合の多くがserviceに含まれます。また球技のサービスも同じ語です。この機会に一度英和辞典で調べてみてください。実にいろいろな方面で使われてています。また和製英語も多くモーニングサービスだけでなくアフターサービスとかがあり、家庭サービスとかサービス精神のように合成語もできていて、公共とはかけ離れた方向に進んでいるように思われます。
公務員はpublic servant公僕というという説明が時々あります。僕というのは下僕というように召使のことで語源的にはserveに奉仕という意味があるので、そこからとって翻訳したのだと思われますが、今日、公共の下僕という意味で使っている人は野党の政治家くらいでしょう。むしろ公務員に使われている民間人の方が多いと思われます。官僚はbureaucratといいますが「国家の政策決定に大きな影響力を持つ国家公務員」と定義されており、文官と武官の2つがあります。また行政官には事務官と技官の2種類があります。現状の日本では武官は自衛官が相当すると解釈されていますが、いわゆる市民管理シビリアン・コントロールの名の下に限定的な存在で諸外国と比べると特異な組織になっています。国家公務員は制度上では官僚と公僕に分かれるはずですが、日本では単に国税から給料をもらっている人という認識が多いと思われます。その意味だとpublic employeeでgovernment workersという表現も広がっています。役人は英語ではgovernment officialまたは単にofficialといいます。このように一つひとつの意味を拾っていくと、それぞれに意味があり分化して使われているのですが、日本語では曖昧なままのような感じがします。それだけ公共への関心も薄いのかもしれません。日本には「お上」というお任せする存在であるという意識もあって、いろいろ文句はいうけれども、自ら立ち上がって直していく、という気持ちになれないのも公共サービスがまだ理解されていないことが原因かもしれません。

公共サービス

役行者

役行者(えんのぎょうじゃ)は役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれ、伝説の多い人物なので昔は文楽の題材にもなり、坪内逍遥の戯曲や近年では真幻魔大戦、魔界水滸伝、宇宙皇子などの小説にも登場しており、ごぞんじの方も多いと思います。役小角は修験道の開祖であり、飛鳥時代の実在の人物です。役(えん)というのもあまり見ない名前ですが、大和國葛城上郡茅原郷(現奈良県御所市茅原)の生まれで葛城流加茂氏の出身であり、同氏が地域の役(えき=租税の1つ)を管掌していたことから、役という氏を名乗ったのだそうです。エンという苗字は今でもあるらしいです。父の名が大角なので息子が小角です。17歳の時に元興寺(飛鳥寺)で孔雀明王の呪法を学んだとされています。孔雀明王の呪法は密教の秘伝で、日本に密教が伝来したのは最澄の唐からの帰国が805年とされていますので、小角が会得したのは今でいう密教ではなく、古神道と仏教が習合していく過程で、飛鳥時代の仏教の伝来以降にあった仏教の一部であると考えられます。その後、小角は葛城山で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築きました。そして文武天皇3年(699)皐月24日に弟子の讒言により伊豆に流罪となり、2年後に大赦により戻りますが、箕面の天上ケ岳で入寂したと伝えられます。修験道が広まるのは平安時代からで鎌倉時代後期から南北朝時代に独自の立場を確立しました。後の江戸幕府は慶長18年に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないこととし両派に分けました。その流れが現在も続いています。明治元年の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令が出され修験道は禁止されました。山伏は強制的に還俗させられ、廃仏毀釈により修験道の信仰に関するものもほとんど破壊された。修験系の団体の中には仏教色を薄めて教派神道となったものもあり、御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などがあり、神道にもかかわらず不動尊の真言や般若心経の読誦など神仏習合時代の名残も見られます。
また明治以降、修験禁止になっても修験道の気合術を民間療法に活かした修験浜口熊嶽、気合術の気合・合気を武術に活かした大東流合気柔術などが出ました。このように修験道は古くからあり、現在も形を変えて存在しています。
日本の仏教は飛鳥時代に渡来し、それぞれの時代に密教や禅などの外来の教えが来て、さらに独自に発展していったのですが、東アジアの仏教初期の教えからはかなり離れてきています。そして仏教が国教だった時代もあり、幕府による禁令や明治政府の廃仏毀釈、そして戦後の進駐軍による弾圧もあり、当初の形から大きく変わりました。しかし修験道はその修行スタイルのせいか人気があり、今も山伏の恰好で修行に励む人がいます。そして小角の伝説はその後もいろいろ付け加わってきて、超能力者として信仰の対象として人気もあるようです。出羽三山、恐山、熊野三山など多くの山が山岳修行の場となっていて、パワースポットとして観光名所にもなっています。日本の霊山はすべて修験道と関わりがあるといって差し支えないほどで、多くの人は宗教という意識がなく訪れています。修験道は神仏混淆という日本独自の宗教スタイルの原型でもあり、『文明の衝突』でハンチントンが「日本教」と呼んだ分類法が的を射ているのもうなずけます。他の宗教でも土着の宗教と混淆した例はいくつもありますが、日本のように長い歴史をもち独自の発展をした例は少ないと思われます。

役行者

夏至

2022年6月21日は夏至です。夏至は二十四節気の一つですが、天文学的には北半球だと昼が一番長い、南半球だと昼が一番短い一瞬のことです。冬至や春分、秋分もそうですが、太陽や地球は常に動いているので、その瞬間は一瞬なのです。しかし慣習的にはその一瞬のある日を夏至日、冬至日とし、一般に夏至とか冬至と呼んでいます。
冬が長い北欧では夏至祭が行われます。町の広場に植物で飾られたポールが立てられます。イギリスなどでは五月祭に立てられるメイポールがありますが、北欧では5月だとまだ花が少ないので夏至祭に同じようなポールが立てられるのです。スウエーデンでは夏至は最も大事な日でこの時期に合わせて夏休みを取る人もいるくらいです。この時期は緑が美しく花が咲き乱れ、家族で夏の湖や海の近くの別荘に行きます。
広場のポールの回りで輪になって歌を歌い大人も子供も踊ります。夏至祭にはニシンの酢漬け、茹でたジャガイモ、サーモン、スペアリブを食べ、食後にはこの夏採りの苺がです。日本でいうバイキング料理、スモーガスボードも出て、酒もでます。当日の夜、結婚を願う女性が7種類の草花を枕の下において寝ると、恋がかなえられるという言い伝えもあるそうです。デンマークでたき火を焚いて魔女の人形を燃やします。魔女の衣装にはかんしゃく玉が隠してあって、爆発と共に魔女は黒い森のブロクスビェルク山(悪魔の住みか)へ帰って行くという伝説があります。欧州のキリスト教国ではこの日前後が聖ヨハネの日でバブテスマのヨハネの誕生日が24日とされているのですが、それはイエスキリストの誕生の半年前に生まれたと聖書(ルカによる福音書)の記述によるものです。夏至と時期が重なるのは、元々夏至の祭りがあってそれに合流した形であり、クリスマスが冬至の祭りと重なっていることと同じ現象です。聖ヨハネ祭の前夜には魔女や精霊が現れるという言い伝えがあり、その夜を舞台にしたシェークスピアの『真夏の夜の夢』もこの伝説を背景としています。
日本では夏至は大きな祭りではなく、冬至や春分、秋分に比べると印象が薄いです。とくに冬至には「ん」のつく食べ物があり、春分のぼたもち、秋分のおはぎのような定番があるのですが、夏至にはそういう伝統もありません。それでもこの時期に食べるとよいとされているものが地域ごとに存在するようです。関西ではタコだそうで「タコの足のように稲の根が広く深く張るように」という田植えの後の願いが込められているそうです。8本の足は末広がりなので縁起もいいかもしれません。関東では小麦餅という小麦粉ともち米を半々にして搗いた餅の焼きもちを食べる地域もあるそうです。尾張地方ではいちじく田楽というのもあるとか。しかしどれも現代ではみかけなくなりました。夏至は二十四節気では10日間あるので、京都では最終日に「水無月」というお菓子を食べるそうです。水無月というのは白ういろうの上に小豆を乗せて三角に切った和菓子です。6月30日が一年の真ん中なので夏越(なごし)の祓(はらえ)といい、半年の間に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事です。神社には大きな茅(ち)の輪が据えられ、参拝者はここをくぐって厄除けを行います。これが茅の輪くぐりです。神社ごとに作法がありますから、神社で教わりましょう。人形(ひとがた)に自分の名前や年齢を書き、体をなでたり、息を吹きかけたりして、罪や穢れを託します。茅の輪くぐりの後で人形は身代りとして神社におさめたり、川に流したり、火で焚き上げたりして、残り半年の息災を祈願します。

水無月