和田合戦と鎌倉殿

和田合戦と鎌倉殿

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は鎌倉幕府を支えた御家人のことですが、ドラマではどこまで話が進むのか現在は不明です。建久10年(1199)に頼朝が急死(原因は諸説あってドラマではどの説をとるのか興味があります)した後、長男の頼家が18歳で第2代将軍になるのですが、このドサクサに都では三左衛門事件という朝廷内の騒動があり、鎌倉幕府方は大江広元が沈静化をはかり北条氏が次第に勢力を伸ばしていく中で「鎌倉殿の13人」による合議制が出来上がります。今度は御家人の中で御家人同士の争いが起こり、まず梶原景時が御家人66名による連判状によって幕府から追放され一族の多くが滅ぼされてしまいます。これを梶原景時の変といいます。頼家の信頼が厚い梶原景時を惜しむ大江広元は躊躇して連判状をしばらく留めていましたが、和田義盛に強く迫られて将軍頼家に言上。将軍頼家は連判状を景時に見せて弁明を求めても景時は何の抗弁もせず一族を引き連れて所領の相模国一宮に下向。やがて景時は鎌倉追放を申し渡され和田義盛、三浦義村が景時追放の奉行となります。和田義盛は三浦義村の弟です。景時の所有であった美作国の守護は和田義盛に与えらます。和田義盛は梶原景時に侍所別当の座を奪われたことを恨んでいたのです。和田義盛は再び侍所別当に返り咲くことになりました。しかしこれで騒動が終わったわけではなく、景時亡き後の頼家を支える人は頼家の乳母父であり舅でもある比企能員でした。比企氏は頼朝の流人時代を支えた比企尼の一族で比企氏の家督を継いだ能員は頼朝の信任を受けていました。能員の娘若狭局は頼家の側室となって嫡男一幡を産み将軍家外戚として権勢を強めていきました。この比企氏の台頭に危機感を持ったのが頼家の母北条政子とその父時政でしたが、時政は頼家の後ろ楯となる勢力からは外され代替わりとともに一御家人の立場に転落させられました。比企能員は若狭局を通じて頼家に北条時政を討つように訴え頼家は時政追討の件を承諾するのですが政子が次第を時政に知らせ、時政は大江広元に能員征伐を相談、広元は明言を避けつつもこれに同意します。北条義時を大将とする北条軍と比企軍の戦いは大勢の御家人が見方した北条軍の勝利に終わりますが、和田義盛も北条軍に参加しました。これを建仁3年(1903)の比企能員の変といいます。この頃すでに病床にあった頼家は伊豆修善寺に自分から出家し、あとは全て子の一幡に譲ろうとしますが、それでは比企の力が大きくなることを恐れた北条時政が比企を滅ぼしたというのが真相のようです。頼家も修善寺で亡くなり(暗殺とも)息子の一幡も合戦で死んだため、頼朝の三男千幡が第3代将軍に12歳で就任し実朝となります。この実朝も建保7年(1219)頼家の子、公暁により暗殺されてしまいます。この背後にいたのが御家人の一人である三浦義村とされています。
その少し前、第3代将軍として源実朝が就任してから10年後の建保元年(1213)、父時政を引退させて執権になって権力をより強固なものにしようと北条義時は大きな力を持っている和田義盛を潰そうと計画し和田合戦となります(旧暦皐月2日)。そのきっかけとなったのが建暦3年(1213)に起きた泉親衡(ちかひら)の乱でした。泉親衡は13人ではない御家人の一人ですが、源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立して執権北条義時を打倒しようと図りました。親衡は一旦捕まりますが千寿丸とともに落ち延びて出家しました。泉親衡は捕まった時、和田義盛の子の義重や義直、甥の和田胤長(わだたねなが)」の名前を挙げました。北条義時はこの事態を利用し和田義盛を挑発し和田義盛は北条氏を倒すために挙兵しますが北条氏を討つはずだった三浦義村(兄)が直前に北条氏に寝返ってしまい一族は討ち死にします。義村は第4代将軍藤原頼経と第3代執権の北条泰時を支えて延応元年(1239)に亡くなります。この北条泰時は義時の息子ですが母の阿波局についてはいろいろな謎があります。NHKドラマでは妹になっていますが阿波局は義時の側室です。

和田塚

皐月

皐月

新暦5月30日は旧暦皐月朔日で新月です。今日から旧暦の五月が始まり日にちがずれてきます。これまではちょうど一か月遅れでした。皐月とは本来、この漢字なのですが、なぜか五月と書いてサツキと読ませることが多いです。他の月はそういうことはないので不思議な現象ですが、恐らくは皐の字が教育漢字になかったからでしょう。そのせいか「五月晴れ」についての誤解が広がっており、マスコミも時々間違うことがあります。「五月晴れ」は「梅雨の晴れ間」や「梅雨の合間の晴天」を指します。梅雨の長雨で空模様も人々の気分もいまいち優れない時にふと晴れ間が見えてすっきりするときに使う表現です。新暦5月のカラッとした晴天ではなく暑い夏の訪れを予感させる晴れのことでした。従って俳句の季語では梅雨明け直後の晴れ間も「五月晴れ」と呼ぶことから「初夏の季語」となっています。もし「皐月晴れ」と書いていれば旧暦だとわかるので六月の晴れ間であることが想像しやすいと思います。もっとも「五月晴れ」と書くのでサツキバレと読めずゴガツバレと読む人もいるようですから、事態はさらに深刻かもしれません。
皐月をなぜサツキというかについては、早苗月(さなえづき)が省略されて「さつき」になったという説のようです。やはり諸説もあり、神に捧げる稲の意味がある「皐(さ)」に置き換えたものだ、とする説もあるそうです。
皐月にもいろいろな異名があります。これらも日本の長い伝統から生まれてきた日本人の自然観察の結果ですので、文化として残しておきたいものです。
仲夏(ちゅうか):旧暦では卯月から水無月が「夏」です。皐月が夏の真ん中の月だからです。
月不見月(つきみずづき):皐月の頃は現在の梅雨時期と重なります。五月雨(さみだれ)のため月を見ることができないことから「月不見月(つきみずづき)」と呼ばれたようです。
雨月(うづき、うげつ):梅雨時期をもっと直接的に表現しています。
稲苗月(いななえづき):早苗月と同じく田植えを示します。
雨月という呼び名では『雨月物語』という読み本があります。名前はロマンチックですが、中身は日本や中国の古典から拾いだした怪異小説9篇から成っています。作者は江戸時代後期の上田秋成で、作者自身の序によれば「雨がやんで月がおぼろに見える夜に編成したため」だそうです。人気のホラーですから、漫画もいろいろ出ているようです。一部は映画やミュージカル、舞台にもなっています。プレーステーションのゲームもあるそうですから、ネタとして広がりを見せています。
皐月の別名・異称としては五色月(いろいろづき)建午月(けんごげつ)五月雨月(さみだれづき・さつきあめ)写月(しゃげつ)橘月(たちばなづき)梅月(ばいげつ)浴蘭月(よくらんげつ)などがあります。
五月雨については有名な芭蕉の句「五月雨を集めて早し最上川」があります。最初の句は「五月雨を集めて涼し最上川」でしたが、推敲の結果「涼し」が「早し」になりました。芭蕉一行が音連れた年の東北・北陸は異常に暑く芭蕉も暑さに閉口していて最上川の川風を受けて素直に「涼しい」と詠んだのでしょう。今でも山形県大石田では「五月雨を集めて涼し最上川」の方がよく知られているとのことです。『奥の細道』では「早し」に代わっています。芭蕉は実際に最上川の川下りを体験し急流の最上川なので変えたのだとされています。
「五月雨式」という表現は今でも時々使われますが、「ものごとがだらだらと断続的に行われること」という意味が理解されていないようです。本来は連絡事項を一度にではなく追加で複数回にわたって連絡することをお詫びする表現です。本稿も五月雨式が多くお詫び申し上げます。

最上川

こんにゃく

こんにゃく

5月29日は語呂合わせでこんにゃくの日です。蒟蒻と漢字で書くと読める人は少ないでしょうね。蒟蒻は蒟蒻芋を原料としていることを知っている人は意外に少なく、テレビのクイズ番組でよく出題されるほどです。そして蒟蒻芋の栽培になるともっと知られていません。春に種芋を植えてから11月に収穫するのですが、まだ小さいので、この植え付けと生育を2年繰り返して3年目にようやく収穫ということになります。中にはさらに生育を繰り返した5年物、7年物などもあるそうです。群馬県が蒟蒻栽培で有名ですが、北限は山形であまり寒いと育ちません。それは原産国がインドシナ半島ということに関係があります。そのままでは食用にならず灰汁(あく)につけてマンナンという成分を凝固させます。昔はすりおろしたものを使っていましたが、江戸時代中期に中島藤右衛門という常陸の国の人が粉蒟蒻による製法を開発、年中食べられるようになり蒟蒻の普及に貢献しました。東南アジアでは蒟蒻を食べる人々がいますから、とくに日本食というわけではないのですが、日本でマンナンが多くなる栽培法を開発し普及したため、日本食のような感じがしているのです。日本への伝来は縄文時代だそうで、中国の唐の時代には四川省や湖北省あたりで蒟蒻芋が栽培されていたとのことですから、奈良時代には貴族などが薬品として食べていたらしいです。鎌倉・室町時代には精進料理として工夫され、今のおでんのような食べ方があったそうです。蒟蒻は芋食品ですが、低カロリーのため、ダイエット食品として世界中に広がりました。CMのせいもあってマンナンという言葉を知らない人はいないと思います。英語では日本語からの借用でkonnyaku,konjakといいます。ただしンとナ行を分離してコン・ニャクと発音できるのは日本語だけなので、英語で発音するとコニャクとなります。蒟蒻という植物は英語では悪魔の舌devil’s tongueというのですが、これは花の形が異様な色と形をしているからですが、恐らく日本人もアメリカ人も見たことはないでしょう。辞書には「悪魔の舌を粉にしてペーストまたはジェリーのような食べ物」という解説があるので、蒟蒻を見た外国人は気持ち悪いと思ったことでしょう。しかし最近ではmiracle noodleとしてダイエット用健康食として売られているようです。英米文化での食品名の英語は自分たちが元来食べないものには酷い名前がついています。Devilfishは通常マンタというエイのことですが、タコやイカも含まれていました。それで今ではsushiの影響でtako,ikaといいます。ウニもuniですがsea urchinと呼ばれていました。「海のハリネズミ」です。「海の栗」sea chestnut の方がマシです。海藻は全部sea weedなのでノリも「海の雑草」。昔、寿司は「奇妙な食べ物を生で食う」イメージでした。今では日本食の代表ですから大違いです。
よく糸コンニャクとシラタキの違いが話題になりますが製造法の違いです。糸こんにゃくは、蒟蒻芋を粉にしてから石灰乳と混ぜて固めた後に細く切ります。シラタキは蒟蒻芋が固まっていない状態で糸状にしてから固めます。要は一旦蒟蒻にしてから切ったか、最初から糸状にして固めたかの違いです。色の違いでもなく、同じでもないです。
京都の祇園近くの八坂庚申堂(金剛寺)では60日に一度の庚申の日と1月6日、7日、5月3日にこんにゃく焚きが行われ、病気祈願のために行われます。昔、浄蔵貴所が父の病気祈願でこんにゃくを捧げたところ治ったことが由来だそうです。その関係で庚申の日にこんにゃく焚きをする寺院が全国にあります。大阪の四天王寺では庚申の日に『北向きコンニャク』という風習があり、こんにゃくを北向きで食べると頭痛が治るという言い伝えがあります。蒟蒻は三角にしておでんに入れるのが広がっていますが、山形名物は玉こんにゃくです。また切れ目を入れてねじったねじりこんにゃくとか、鷹の爪入れて炒めたかみなりこんにゃくとレパートリーも広い食品です。

こんにゃく

人権とは何か

人権とは何か

5月28日は国際アムネスティ記念日です。国際アムネスティは1961年のこの日、英国で創立されたのを記念しています。独裁政権下のポルトガルで学生2人がカフェで「自由のために!」と乾杯したために逮捕されたことに対して、この日の新聞に英国の弁護士、ピーター・ベネンソンが記事を投稿したことをきっかけに、多数の人々の支持を得て発足しました。国際事務局は発祥地であるロンドンにあり、組織は国際連合にならって編成され、事務総長が組織全体の総責任者となり国際連合との協議資格をもつ非政府組織(NGO)です。良心の囚人を支援、救済する運動がスタートですが、現在は良心によって捕らわれた囚人関連以外にも国際法に則った難民の保護・救済活動や死刑の廃止・人権擁護などを啓発する運動を行っています。国際事務局の下に個別の法人格を有する各国支部(アムネスティ日本など)が組織され、それぞれの支部には多数のローカルグループがあり、ローカルグループを通じてアムネスティに加入することも、各国支部に直接入会する個人会員にもなることができるしくみになっています。人権というと今日ではかなり拡大解釈されている傾向があるので、改めてこの記念日に人権について考えてみましょう。
アムネスティ日本によると「この世に生きるすべての人は、性別、国籍、年齢を問わず、生まれながらにして、かけがえのない価値を持っています。同時に、一人ひとりがみな「人間らしく生きる権利」を持っています。この権利は平等であり、決して奪うことはできません。この権利を社会全体で守り、尊重することによって、より多くの人びとが平和に、そして自由に暮らせる社会が築かれるのです。この人間のための権利。それが「人権」です。」と説明しています。「人間らしく生きる権利」というのは抽象的な理念で、「人間らしい」というのはどういうことなのかは説明が難しいです。アムネスティでは「世界人権宣言」を例に挙げています。世界人権宣言は1948年12月10日第3回国際連合総会で採択された、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言で、前文と30条から構成されています。かなり長いものなので転載いたしませんが、ぜひ検索して一度読んでみてください。
この世界人権宣言と日本国憲法はそっくりな点と異なる点があり、日本の政治では常に議論になります。問題は、人間が生まれながらにしてもっている権利を「自然権」(天賦人権)というのですが、これはあくまでも個人としての権利ですから、公との関わりが出てきた時、あるいは個人同士の衝突が起きた場合の解決法が問題となります。日本でいう公益と私益が衝突した場合、公益がどこまで優先されるかは大問題です。理念と現実に乖離が出るのは避けられません。そこに「解釈の余地」がでてきます。日本国憲法も理念的な内容が多いため、その番人である最高裁判所の判決が現実への解釈として法律と同様の効力をもつのはそのためです。そしてその解釈をするのは人間ですから、思想が反映します。そのため合議であっても時代と共に解釈も変わり、判決も変わります。
国連には2006年設立の人権理事会(UNHRC)という組織がありますが、この組織は1946年に設立された国連人権委員会(UNCHR)を改組したもので国連人権委員会は廃止されています。理事国は5グループに分かれ現在は任期が2021-2023の理事と2022-24の任期の国があり、後者はアフリカグループ(ベナン、カメルーン、エリトリア、ガンビア)、アジア太平洋グループ(インド、カザフスタン、マレーシア、カタール、アラブ首長国連邦)、東ヨーロッパグループ(リトアニア、モンテネグロ)、ラテンアメリカ・カリブ海グループ(アルゼンチン、ホンジュラス、パラグアイ)、西ヨーロッパ・その他グループ(フィンランド、ルクセンブルグ、アメリカ)となっています。議長国はアルゼンチンです。2013年までの理事国に中国やロシアが入っていたりして政治的な影響もあります。日本は2006-08,09-11,13-15,17-19,20-22の5回理事国に選ばれています。

人権

日本海海戦

日本海海戦

明治38年(1905)5月27日日本海海戦が行われました。大日本帝国海軍の連合艦隊とロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で日本海にて行われた海戦をこう呼びます。決戦は対馬東方沖海域で行われたため、日本以外の国々ではこの海戦を対馬沖海戦と呼ぶそうです。(ロシア語「Цусимское сражение」、英語「Battle of Tsushima」)。
ロシアの艦隊のことを日本ではバルチック艦隊と呼んでいます。この海戦の前年、大日本帝国と南下政策を行うロシア帝国との間で戦争が始まり、これが日露戦争です。朝鮮半島と満洲の権益をめぐる争いが原因で、満洲南部と遼東半島がおもな戦場となっていました。満洲を勢力下に置いたロシアが朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取っていました。ロシアは大韓帝国の高宗により売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得して朝鮮半島での影響力を増してきており、ロシアの進める南下政策に危機感を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させるなどしました。日本は外交努力で衝突を避けようとしたのですが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増してきました。明治36年2月23日開戦前に局外中立宣言をした大韓帝国における軍事行動を可能にするため日韓議定書を締結し、開戦後8月には第一次日韓協約を締結しました。一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していました。戦争中に密使が日本軍艦により海上にて発見され、大韓帝国は条約違反を犯すという失敗に終わるのです。
明治37年8月の日露交渉において日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという満韓交換論をロシア側へ提案したのですが、ロシア海軍や関東州総督らは朝鮮半島におけるロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さず、ニコライ2世やクロパトキンも主戦論に同調しました。強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由は何もなく、ロシアは日本側への返答として朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし軍事目的での利用を禁ずるという提案を行います。日本側はこの提案では朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断しました。またシベリア鉄道が全線開通するとヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるため、その前の対露開戦へと国論が傾き明治37年2月6日日本の外務大臣小村寿太郎はロシアのローゼン公使を外務省に呼び国交断絶を言い渡しました。
日本は先の日清戦争で戦費の3分の1が海外に流失したため戦費調達に苦労します。日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で外貨調達に非常に苦心しました。日本は1904年から1907年にかけ合計6次の外債発行により借り換え調達を含め総額1億3,000万ポンド(約13億円弱)の外貨公債を発行しました。日露戦争開戦前年の1903年の一般会計歳入は2.6億円でしたから巨額の資金調達でした。そしてこの公債は第一次世界大戦のあとまで残ることとなりました。戦争は金がかかるのです。
戦争は旅順要塞攻囲戦・黄海海戦・遼陽会戦と続き、奉天会戦、そして日本海海戦となります。バルチック艦隊は7か月に及んだ航海の末に日本近海に到達、5月27日に東郷平八郎率いる連合艦隊と激突しました。バルチック艦隊はその艦艇のほとんどを失い司令長官が捕虜になるなど壊滅的な打撃を受けました。連合艦隊は喪失艦がわずかに水雷艇3隻という近代海戦史上において例のない一方的な圧勝に終わりました。これは白人国家による植民地支配下のアジア各の民衆を熱狂させ、今でもトルコではTOGOというビールがあります。ロシアの圧力に苦しむ東欧諸国での日本の人気は今でも続いています。アジアの小国が清(中国)、露、英、蘭、米と戦ったのです。そして米以外に勝利しています。この歴史は今の日本での評価よりも海外での評価が高いのです。

海戦

ラッキーゾーン

ラッキーゾーン

1947年5月26日甲子園球場にラッキーゾーンが日本で初めて設置されました。それを記念してこの日はラッキーゾーンの日だそうです。野球ではホームランが注目されるので、ホームランを出やすくしてプロ野球の人気を集めようという目的だったそうです。外野フィールドが広すぎてホームランが出にくいとの理由からラッキーゾーンが設置されました。
野球に限らずプロスポーツではルール変更がたびたび行われますが、球場そのものにまで変更を加えるのはそう多くないと思います。その後1991年12月5日に甲子園球場のラッキーゾーンは撤去されました。明治神宮野球場や阪急西宮球場など他の球場でもラッキーゾーンが設置されましたが、だんだん選手の体格がよくなり、またバットやボールの品質改良によってホームランの本数が増加したため、ほとんどの球場で撤去されました。金属バットの登場は飛距離を飛躍的に伸ばしたため、反対に木製のバットに制限しているほどです。実は、本場アメリカの野球場は広大な外野フィールドを持つ球場が多く、ラッキーゾーンに相当するフェンスの位置変更は頻繁に行われています。
ラッキーゾーンという語は和製英語であり英語には相当する単語はありません。何がラッキーなのか英語的には理解できないです。野球用語にはこの手の和製英語がとても多く、ホームランをホーマーと言ったり、ナイトゲームをナイターというのは、日本人がやたらerをつけたがることからくるのかもしれません。ヒットエンドランはhit and runですが、なぜかアンドではなくエンドといいます。最近はアメリカのメジャーリーグのニュースもあるので、たまに中継が入ることがあります。その時にアメリカの野球用語が聞こえてくることがあります。結構違いがあり、たとえば打順の1番はリードオフ(lead off)、4番がクリーンアップ(clean up)、6番がスイーパー(sweeper)ですが、日本でクリ―ナップというと3,4,5番を指すのではないでしょうか。リードオフとスイーパーは聞いたことがないです。1塁手はfirst basemanでマンがつきます。右翼手はright fielderです。投手の先発はstarter、救援はrelief pitcher中継ぎはreliever抑えはcloserといいます。和製ではリリーフはよく使っています。投手の球種はほとんど英語と同じですが、ストレートはfast ballです。フォークボールはforkのみでballはありません。ナックルはknuckle ballでballがつきます。スローボールはeephus pitch イーファス・ピッチといいます。イーファス・ピッチは山なりのスローボールのことらしく、そもそもeephusという英語も存在しないので、ホニャララのような意味のない単語のようです。キャッチボールと日本ではいいますが、英語ではplay catchです。「キャッチボールしないか」はLet’s play catch.です。

アメリカの野球では7回の表が終わるとみんなで歌を歌うことになっています。その歌は「私を野球に連れて行って」Take Me Out to the Ball Game.です。イントロから始まる結構長い歌ですが、たいていはサビだけ一緒に歌います。Take me out to the ball game, Take me out with the crowd; Buy me some peanuts and Cracker Jack, I don’t care if I never get back.(私を野球に連れてって、観客席へ連れてって、ピーナッツとクラッカージャックも買ってね、家に帰れなくったってかまわない)という内容です。クラッカージャックは固有名詞で糖蜜でコーティングしたポップコーンの中にピーナッツが混ぜてあるスナック菓子です。グリコのおまけのようにおまけがついてきます。映画『ティファニーで朝食を』にはクラッカー・ジャックのおまけの指輪にティファニーで名前を彫らせるシーンがあるそうです。アメリカ人はピーナッツとポップコーンが大好きです。日本では野球というとビールでしょう。そして7回にはチームの歌でしょう。「六甲おろし」に燃えるタイガースファンを始め贔屓のチームの歌になるのも日本的です。

球場

辞書

辞書

5月25日は1955年に『広辞苑』の初版が発行された日だそうです。現在は2018年(平成30年)発行の第七版です。広辞苑は国語辞書としての役割もありましたが、百科事典の役割もありました。何かというとこれで調べて引用したので、今のwikipediaのような使われ方をしていました。物書き達は初版からずっと持ち続けたものです。というのも昔のことを調べるには古い辞典も必要だからです。個人で持つのは場所もとりますし、お金もかかるので古い版は図書館で見るのが普通で、自作に引用する場合も「広辞苑第〇版によれば…」のような記述をしました。初版の所載語彙数は20万語で第7版の現在は25万語になっています。単純に5万語増えたのではなく、改訂のたびに削除された語もあり、追加された語もあります。広辞苑は中型の国語辞典で、最大のものは『日本国語大辞典』(全13巻、小学館)で約65万語です。よく誤認があるのですが、これが日本語のすべて、つまり日本語の語彙は65万語と思う人がいます。語彙というのは「すべての語数」ですが、日本語には古語が多くあり、方言もあり、死語もあります。またこれからもどんどん新しい語彙が創造されますし、外来語も増えてきます。結論からいうと日本語語彙は無限なのです。語は従来ある語を組み合わせたり、語を形成している形態素を組み合わせたり、外国から借用したり、といくらでも増やしていけるシステムです。これはどの言語でも同じです。英語を勉強していると日本語よりも多いような感じがする時があります。英語の辞典として有名なオックスフォード辞典はOxford English Dictionary略してOEDといいますが、所載語彙数は約60万語で日本国語大辞典とそれほど違いません。辞書は印刷に制限があるため、この辺りが限界のようですが、最近のように電子辞書が普及してくると所載語数は無限に広がると思われます。
大きな辞書は持ち運びに不便ですし、ちょっと調べるには小型の辞書が便利です。そこで英国ではPocket Oxford Dictionary(POD)やConcise Oxford Dictionary(COD)が普及しました。その日本語版が国語辞典です。また英和辞典や和英辞典も小型版が作られコンサイスとして学生が持つようになりました。昔は中学から英語学習が始まるので、三省堂コンサイス英和辞典を買ってもらうと英語の勉強が始まるという期待感があったものです。実際には他の出版社からも英和辞典が出ていましたから、学校ごとに採用が決まるようになって、だんだん市場も変わっていきました。どこの家庭にも国語辞典と英和辞典がありましたから、売れ行きは相当なものです。英語以外の言語を学ぶようになると辞典も増えていきます。使わなくなった辞書は大抵、本棚に飾ってあるので、その家の言語学習状況は一目でわかりました。
もっとも辞書がある、ということと中身を覚えていることとは別物です。よく「私は中学以来、何年も英語を勉強したが身につかなかった」という英語教育批判をする人がいますが、勉強したことと身につくことは別です。それに本当に勉強したかどうかも疑問が残ります。「英語学習の時間を過ごした」だけかもしれません。大学になると、4年間勉強した、と自信をもって言える人はかなり少ないと思います。正に4年間大学生活を過ごしただけの人がほとんどでしょう。中にはバイトと遊びが忙しくて大学にほとんど通わなかった人もいることでしょう。それでも「大学を出た」というプライドだけが残っている人もよくみかけます。厳しい言い方をすれば日本の大学生は「入学試験に通った」という証明でしかないです。しかし欧米の大学は出るために相当勉強しないといけませんから、出たことに意味があるのです。大学はやり直しがなかなかききませんが、辞書は持っていればいつでも学習できます。飾りにしておかないで、たまには中を開いて見ると意外な発見があるかもしれません。ネット検索は知りたいことをすぐに調べられる便利さがありますが、辞書には偶然の発見があります。

辞書

Commonwealth

Commonwealth

5月24日はコモンウエルスデイという英連邦の祝日です。そもそもコモンウエルスという語を知らない方が多いと思いますが、共和国のようなニュアンスの政治用語です。共和国は別にrepublicがあり、こちらの方はよく知られています。Common は共通、wealthは富なので直訳すると共通富ということですが、通常は共通善と訳されます。Commonwealth という単語を「国家」という意味で歴史上初めて用いたのはオリバー・クロムウェルによる革命政府の名称であるイングランド共和国 Commonwealth of Englandとされています。それ以降、かつてイギリスの植民地だった諸国との緩やかな連合体としてCommonwealth of Nationsが結成されており、その加盟国の中で現在もイギリスの君主を自国の君主(元首)として戴く個々の国をCommonwealth realmと呼んでいるので、日本で英連邦と考えているのとほぼ同じ意味になります。
5月24日はイギリスのヴィクトリア女王(1819~1901年)の誕生日で、かつてイギリスの祝日でした。ヴィクトリア女王は国王ジョージ3世(1738~1820年)の孫として生まれ、1837年にウィリアム4世(1765~1837年)の後を継いで国王に就きました。在位は1837~1901年で、この頃のイギリスの国勢が最も盛んであったことからヴィクトリア時代とかヴィクトリア朝」と呼ばれています。イギリスには何人も女王がいますが、The Queenといえば現エリザベス二世かヴィクトリア女王を指し、物語やドラマにもなっています。先ごろNHKでも放送していました。
コモンウエルスの加盟国は54あり、うち16カ国はエリザベス女王を君主とし、5カ国が独自の君主、残りの33カ国は共和国になっています。大英帝国は今でも生きているのです。コモンウエルスの国々では英語が共通語であり、自動車の左側通行、紅茶を飲む文化が共通し、ラグビーやクリケット、ポロといった英国風のスポーツが盛んであり、政府間の交流も多いのです。かつては英国通貨ポンドが支配し一大経済圏を形成していましたが、第二次世界大戦後は影響力がなくなりました。過去に加盟していて脱退した国も多く、アイルランドやジンバブエがいち早く脱退、ニューファンドランドやローデシアなど消滅した地域、反対に現在加盟申請中の南スーダン、スリナム、ブルンジのような国もあります。またかつて英連邦支配下にあって現在は脱退している米国やUAE、イスラエル、アラブ諸国、エジプト、スーダン、ミャンマーなどの国もあります。そして中国に契約より返還になってしまった香港のような例もあります。全体的には縮小傾向にありますが、小さな島国に見えても英国は今でも世界に支配圏をもつ大国である点が同じ島国でも日本とはかなり違いがあります。
意外に思われるでしょうが、アメリカのち、ケンタッキー州、マサチューセッツ州、ペンシルベニア州、バージニア州の4州は州憲法で自らCommonwealthと規定しています。アメリカはUnited Statesなので全部stateでないとおかしいのですが歴史と伝統を守っているのです。当然保守的な傾向も強いので、大統領選挙の時によく話題になります。歴史的には合衆国憲法の規定とは関係なく、各州政府が「government based on the common consent of the people(人民が共有する合意に基づく政府)」であることを強調しただけで、それ以前の州が英国国王の植民地という地位と対立し、独立性を強調する概念でした。ここでいうCommonwealthとは民衆の「共通の (common)」「富 (wealth)」つまり福祉 (welfare)を意味し、共和国 (republic)を意味していました。これらの州では今でも共和党republicansの牙城である(マサチューセッツを除く)こととは無関係ではないわけです。
現在ではそうした過去の歴史的な意味合いを持たない日として3月の第2月曜日を「コモンウエルスデイ」としている地域も多く、こちらの方が広がりつつあるようです。これは1975年のコモンウエルス会議におけるカナダの提案を受け入れたからだそうです。

英連邦

恋文

恋文

5月23日は例の語呂合わせでコイブミの日だそうです。誰が決めたのかと思ったら映画会社松竹だそうです。浅田次郎原作の映画「ラブ・レター」の公開初日だからだそうですが、逆ではないでしょうか。先にこの日を設定し、公開したと考えるのが普通です。1998年公開だそうです。
ラブレターの昔の言い方が恋文ですが、今の若い人にはピンと来ないかも知れません。東京渋谷に昔、恋文横丁というのがありました。有名になった109やヤマダ電機のあたりのことで中華料理やロシア料理など外地系飲食店が立ち並んでいました。有名店もあったのですが移転していき、再開発されて姿を消しました。
ここを恋文横丁といったのは丹羽文雄が書いた新聞連載小説「恋文」(1953)から来ていて、横丁に実在した恋文屋が舞台になっていたからです。モデルになったのは菅谷篤二さんという恋文の代筆屋さんでこの一角に店を構えて、英語のできない日本女性と米兵の仲をとりもつラブレターの代筆をしていました。英会話は慣れというか聞きかじりでなんとかなるのですが、文章はなかなか大変です。そこで英語の書ける人に代書を頼んだわけです。戦前、戦中は敵性言語ということで英語を勉強できたのはごく限られた人でした。ところが進駐軍がやってきて、軍人相手の商売が急に必要になり、翻訳などの他にこうした女性たちの恋文の代書もすごく流行ったそうです。女性から恋文を出すというのは一般家庭ではほとんどなく、従来、恋文は男性が女性に書くものでしたが、例外が江戸時代の遊女が客に出す恋文でした。もっとも一人に出すのではなく、何人もの客に出していました。当時は郵便などありませんから、遊郭の若い衆に頼んで届けてもらうわけです。そういう人を「文遣い」といい、駄賃を客の旦那からもらっていたそうです。遊女は外に出られませんから、自分でもっていくことはできませんでした。恋文に限らず、江戸時代は手紙を運ぶのは小僧とか子供の役だったようです。正式な手紙や遠くへの手紙は飛脚を使いました。平安時代は恋文ではなく恋の歌であり家来に持って行かせました。郵便が普及すると一般人も恋文を書くようになりました。古い落語家で四代目柳亭痴楽の名作に「ラブレター」というのがあります。誤字、書き間違いと誤読がおもしろいネタです。
また三角関係の純愛を描いた「シラノ・ド・ベルジュラック」では外見に自信が持てない主人公シラノがロクサーヌへの恋心を忍ばせながらも、彼女が恋をしている青年クリスチャンに代わって恋文を代筆するストーリーです。1897年の初演以降、日本をはじめ世界各地で幾度となく上演され、映画化・ミュージカル化されてきました。映画「シラノ」も最近上映されています。

現代ではそもそも手紙を書かなくなったので、若者はどうしているのでしょうね。メールやLINEの短い文で送るのでしょうか。それで充分、思いが伝わるのか不思議な気がします。
ラブレターに関わる歌は古今東西たくさんあります。最近だとYOASOBIの「ラブレター」がヒットしましたが、古くはLove Letter from Canada(カナダからの手紙、平尾昌晃・畑中葉子)、「砂に書いたラブレター」(Love Letter on the Sand by Pat Boone)、Love Letters by Elvis Presleyあたりが古いところです。プレスリーといえばReturn to Senderというのがあり、直訳すれば「宛先不明」なのですが、邦題は「心の届かぬラヴ・レター」となっていて、昔の訳は意訳というか想像して作っています。ラブレターが題名に付いた曲を検索するとたくさんでてきます。GReeeeN、THE BLUE HEARTS、FUNKY MONKEY BABYS、GACKT、河合奈保子、aiko、槇原敬之、THE ALFEE、秦基博、DREAMS COME TRUE、その他(もう書ききれない)です。120曲くらいありました。古今東西、扱いやすい人類に共通したテーマなのでしょう。直接口に出していえないことも文章にしたら伝えることができるというのも昔から変わらないのでしょう。

恋文

たまごの日

たまごの日

5月22日は「たまごの日」だそうです。語呂合わせで0(たま)、5(ご)なのだそうですが、22が(にわとり、にわとり)という説明はいただけませんね。ニワトリの日は毎月28日なのでご都合主義というか苦しいと思います。
たまごといえば世界中で鶏の卵と決まっています。それくらい人類に貢献してくれています。また玉子料理は実に種類が多く、調理法もデリケートなものが多いです。誰にでもできるけど、プロとは違うことが明確な料理で珍しいともいえます。海外旅行とくにアメリカ旅行で是非覚えておかねばならない英会話が朝食の玉子料理です。なぜかというと前の晩のワインが残っているボーっとした頭でレストランの朝食に行くと、いきなり早口の英会話が始まるからです。Good morning! Coffee? あたりは黙ってうなづくかYes.で済みますから、問題はないです。メニューを見ると、チョイスがいろいろあって、まずjuiceの選択、そして玉子の数、ベーコンかハムかソーセージかを選んでホッとしたのも束の間How would you like your egg?と聞かれます。うまく聞き取れても玉子の好みなどあまり考えたことがない日本人がほとんどです。逆にいえば日本で玉子の好みを聞かれることはないです。基本はboiled(ゆで玉子)、fried egg(目玉焼き)、scrambled(スクランブル、炒り玉子)、omlette(オムレツ)の4種類ですが、オムレツは高級レストランでないとあまり出てきません。Boiledと答えるとHow long?と聞かれることが多いです。茹で時間を聞いているのですが、日本人は普段茹で時間を気にしていないと思います。固め、柔らかめ程度の区別でハードボイルドという言葉は知っていても何分かは知りません。半熟という言い方もありますが、何分だと半熟になるかは料理経験者でないとわかりません。そもそも水からなのかお湯からなのかで時間だって違うはずです。玉子の大きさだって違うのですから、時間の問題ではないはず、と理屈好きの日本人は思います。論理的にはその通りですが、習慣の違いで欧米では時間で決めます。答えは簡単で熱湯から3分、5分、8分という選択肢が一般的です。えっ、と思われる方も多いと思います。半熟卵に詳しい方なら熱湯で1分も茹でると黄身は固まってしまいます。実際、せっかく時間を言ってもその通りにきちんと測って茹でているわけではなく、単なる目安ですから、soft,medium,hardと言っているのと変わりません。日本でいうバイキング、英語ではbuffetというスタイルでも大体は時間が書いてあり、選択できるようになっています。ゆで玉子の場合、普通はエッグスタンドという専用容器に載せて運んできて、スプーンで殻を割って食べるのがマナーとされています。机でコンコンして手で剥いてたべるのはやや下品とされています。その殻を割る際に玉子のどちらから割りますか?丸い側をbig end、尖った側をsmall endといい、これも指定できます。熱々なので容器に入ってくるわけです。スプーンは専用の細長いものがついてきます。よほど高級なレストランですが。
目玉焼きの方はさらにメンドクサくて、Up or easy?と聞かれます。上か簡単か?と戸惑いますが、正確にはsunny side up or over easyを尋ねています。日本ではこの区別は普通しません。焼いたそのままなのでupになります。Sunny sideというのは日なたのことですが、黄身は太陽に見立てられるので、太陽がはっきり見えるという意味です。それに対し一度途中でひっくり返して表面を白く焼くのが「ちょっと返す」over easyです。正確にはturn over easyです。ひっくり返すと通常は少し黄身が崩れますが、やや硬くなりパンに載せたりしても垂れたりしません。目玉焼きを食べた後に皿が汚くなるのを嫌う人向けです。
オムレツは目の前で焼いてくれるのが普通で、何も入れないプレーン、いろいろ入れるスパニッシュなどかなり選択肢があります。日本でも高級ホテルのバイキングだとやっている所があります。一番無難で選択肢がないのがスクランブルで発音が日本的でも通じます。

卵