穀雨

穀雨

4月20日(旧暦弥生20日)は二十四節気の穀雨(こくう)です。穀雨とは穀物を育んでくれる春の雨という意味で、この時期から種蒔きなどの農作業を始めます。種蒔きは土と関わるのでまだ土用の期間なのに土いじりするのは忌避と矛盾するかのように思われるかもしれませんが、土用に避けるべきなのは掘り起こすなどの大きく地面をいじることなので、既に冬の間に天地返しをしたり、掘って元肥を施肥するなどの作業は終わっているので、土の表面を柔らかくして畝を作って、種を蒔き優しく土を被せるといった作業は土の神様を怒らせることではありません。種蒔きにしても、アメリカ農法のように飛行機でばら撒くのではなく、人の手で優しく数粒ずつ蒔いていく日本の農法は植物の生育には優しく、少ない土地での反当り収量は大きいのです。大量生産による価格低下という近代農法は儲かるかもしれませんが、一方で化学肥料や農薬の使用が必要であり、近年の健康ブームに合わせるなら、単価は高くなっても有機栽培で丁寧に生産された農作物に人気が集まるのも当然です。農産物だけでなく大量生産による普及を目指した近代工業も多様化と個性化へと転換しつつある現代工業とも相通じるものがあるように思えます。穀雨という春の柔らかな雨を活用するという古来の農法は、旧暦の二十四節気による季節の移り変わりに気をつけながら自然と一体化した生活をしていた昔の日本人の智慧と感性がうまく表現されていると思えます。明治以降の近代化はグレゴリオ暦を始めとする西洋化であったことを否定するのではありませんが、その文明開化によって失われたものもあるわけです。それが太平洋戦争後、米国化したことで、さらに日本文化の損失が増大したと現代史的には見られると思います。
二十四節気はさらに七十二候に三分割されています。あまりに細かいので地域によっては合わないこともありますが、この穀雨は葦始生(あしはじめてしょうず)、霜止出苗(しもやんでなえいづる)、牡丹華(ぼたんはなさく)の三候に分かれます。読みから分かるように元は漢文で古代中国の文化であったものを江戸時代に採り入れ、読み下しによって命名されたものです。中国とは気候も違うので当然時期も違うので日本的に時期を調整しています。
日本人は雨好きのようで穀雨の頃の雨には異名がたくさんついています。催花雨 ( さいかう ) 菜種梅雨 ( なたねつゆ ) 春時雨 ( はるしぐれ ) 春雨 ( はるさめ ) 春驟雨 ( はるしゅうう )百穀春雨 ( ひゃっこくはるさめ ) 杏花雨 ( きょうかう ) 紅の雨 ( くれないのあめ )など表現が豊かで、俳句や和歌に採り入れられています。春雨といえば食べ物の方を連想する方が多いかもしれません。中国料理にも出てきますが中国では春雨とはいいません。日本人が春の雨のイメージで付けた名前です。中国語では粉絲(フェンスー)と呼ばれていて千年以上前から食べられてきたそうです。鎌倉時代に禅僧が精進料理として持ち込んだのが最初とか。当時の名前は唐麺でした。
春雨といえば「春雨じゃ濡れて参ろう」というセリフが昔は知られていましたが、今では知っている世代は限られます。これは新国劇「月形半平太」の中で長州藩士の月形が京都の料亭から出たところで、馴染みの芸子雛菊から「月様、雨が…」と言われて答えるシーンの名セリフです。好きな女と一緒に酔いが回って夢見心地でしっぽりと春雨に濡れて行こう、という粋な場面です。新選組に追われる殺伐とした場面と対比的で、粋の意味が表現されているので、ちょっと気取る時にも援用されました。

耕雨

李自成の乱

李自成の乱

中国暦崇禎17年(1612)3月17日李自成の乱が起こり明は滅亡します。東洋史を勉強する際には必ず出てくるのですが、最近は学校であまり東洋史を習わないせいか、日本ではそれほど知られていないかもしれません。日本と明の関係は室町時代から勘合貿易としてありましたが、これは朝貢貿易で日本は一歩下の関係でした。当時は密貿易や倭寇などの海賊もいたので、正式な遣明船である証拠として勘合を用いたことから勘合貿易と呼ばれています。そして豊臣秀吉は明を目標として朝鮮半島へと出兵したことで知られています。そして明朝体は今でも頻繁に使われる自体です。
明は漢民族による最後の王朝です。王朝の最後は清ですが、清は女真族なので漢民族最後の王朝ということになります。チャイナのシージンピンは明時代への憧れがあるそうなので、李自成についても知っているはずですが、現代中国はあまりコメントしませんが、明の歴史を見ると、現代の中華人民共和国は似ていることがわかります。
明は朱元璋(洪武帝)によって1368年に建国され、永楽帝・洪熙帝・宣徳帝の時には栄華を極めますが、崇禎帝の時代に李自成の乱が起きて滅亡します。明の時代は経済、文化、思想、芸術などが発展し、日本にも多大な影響を与えました。一方で、北虜南倭といい、北にはモンゴルやオイラト、南には倭寇(海賊)がいて万里の長城という長い壁を作っても時々破られたり、南からも攻撃を受け、戦闘が多く、軍事費の増大にかなり悩んでいました。明の特徴を一言でいうなら、皇帝独裁政治、脆弱な国家体制、商業の発展です。洪武帝が独裁政治を進めたのは皇帝独裁政治を進めたのは、全権力を集中させれば反乱やクーデターも起きないだろうと思ったからなのでした。独裁者の思想はどこも同じようなものです。脆弱な国家体制というのはしばしば内乱や外敵の侵入があったからです。内乱としては皇帝位を巡る争いである靖難の役、外敵としては土木の変があります。この変では皇帝が捕虜になるという屈辱的な事件で、その後、あの万里の長城が防衛目的で建設されたのです。それでもアルタン・ハーンが16世紀中ごろに頻繁に侵入し1550年には北京を攻囲する(庚戌の変)などがおきました。秀吉による文禄・慶長の役にも悩まされ出費が嵩んだことも事実です。崇禎帝が即位したときには既に明は末期的症状をきたしており、即位後まもなく飢饉が起こり、反乱が相次ぎ、さらに北からの清軍の侵攻も激しさを増すようになりました。ホンタイジの策略により崇禎帝がそれまで清を抑えていた袁崇煥を疑い惨殺してからは清軍を抑えられなくなり、流賊から台頭した李自成は北京に迫りました。李自成軍の包囲の前に崇禎帝は自殺し明が滅亡しました。これが李自成の乱です。
現在の中華人民共和国は万里の長城を完全に含んでいますが、明時代はここが国境だったわけです。有名な観光地である北京郊外の長城はかなり大きなものですが、西の方に行くにつれ低くなります。英語でGreat Wallという通り城ではなく塀なのです。

コラムの付け足しみたいで恐縮ですが、4月19日は語呂合わせで「しいく(飼育)の日」で多摩動物公園の飼育係が発案し、日本動物園水族館協会が正式に定め、動物園・水族館の役割を伝えることを目的として全国に広めています。飼育係の仕事への理解、ひいては動物園・水族館への関心を高めることを目的としており、各家庭のペットも含めて飼育について理解を深めてはいかがでしょうか。ちなみに動物愛護デーは3月20日、世界動物の日は10月4日です。ペットの日は4月11日です。

万里の長城

春土用と干支

春土用と干支

実は昨日の4月17は旧暦3月17日、満月(望月)であり春土用の入りです。本来は昨日書くべき内容ですが、今日も土用の期間中なのでご了承ください。土用というと夏の土用の丑の日に鰻を食べることしか知らない人が増えましたが、土用は春夏秋冬の年四回あります。土用とは土旺用事(どおうようじ)が縮められた表現です。土用は陰陽道によるもので立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間です。従ってそれぞれの日の前日が節分であり、節分も立春前の豆まきの日以外に三回あるのです。
土用の期間は土いじりをしてはいけないという言い伝えがあります。それは陰陽道の神様で土公神(どくしん)という方がいて土を司る神様であり、土用の期間は土を支配するので、土公神が土を支配している期間は土いじりをしてはいけないのです。現在でも建築関係では土用の期間は土を掘り起こすことを避ける場合があるようです。実際にはそんなことをしていては年に何度も休みになってしまうので、土用に入る前に着工して既に土をいじっている場合は土いじりを継続しても良いと解釈されているようです。工事関係の人は事故を恐れ神事には敏感です。今でも家を建てる時には日を選び、地鎮祭をしたり、建前のお祝いをしたりする場合が多いです。最近は建売がほとんどなので拘る人も少なくなりました。
季節の変わり目でもある土用の期間は、体調を崩しやすかったり、精神的に不安定になったりするので、昔の人々の言い伝えを信じ、静かにゆっくり過ごすのが良いとされています。土旺用事には土の作用が強くなり土は植物を育成し保護してくれるので古来大切にされてきたのです。性質があります。
春土用は戌(いぬ)の日、夏土用は丑(うし)の日秋土用は辰(たつ)の日、冬土用は未(ひつじ)の日に、それぞれの日の頭文字のつく食材を食べると良いとされていて、それは五行説に由来しています。五行説で春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒と季節の色も決められており、季節の色と反対(相克)の色の食べ物を食べるのが良いとされています。春は秋の色である白い食べ物、反対に秋は春の色の青い食べ物を食べると良いということになります。従って、夏の土用には冬の色である黒い食べ物で、丑の日なので「う」のつく食べ物なので、かの平賀源内は夏にはあまり売れなかった鰻に着目して大宣伝をした結果が今日に至っています。鰻は夏になると痩せて油が減り、冬に油が増えるので本当は秋から冬にかけての鰻の方がおいしいことを鰻通は知っています。夏の土用は鰻に限らず黒いうのつく食べ物ならなんでもよいのですから鰻が高くなった今日では、うがつくものとして梅干し、うどん、馬肉、瓜など、黒いものなら黒ゴマ、黒砂糖、クロダイなどがあります。これらの組み合わせでよいのですから、焼酎の雲海と黒霧島でもいいわけです。羊羹とういろうでもいいのです。羊羹の薄切りはどうでしょうね。いずれにせよ平賀源内の呪縛からそろそろ逃れてもいいのではないかと思います。
春土用の食べ物は戌(いぬ)の日に秋色の白い食べ物ということになります。今年の土用の戌の日は新暦4月27日ですからお忘れなく。昔はいのつく白いものでイカがよく食べられたとか。他にもインゲンマメ、イモ、いなり寿司、白いものは大根、しらす、豆腐、うどん、ご飯、餅などがあります。組み合わせを工夫してみてください。
土用は季節の変わり目で体調にも変化が起こりやすい時期であることを想起する知恵でもありました。干支は迷信として馬鹿にせず古来の知恵は残しておきたいものです。

春土用

復活祭

復活祭

2022年4月17日はキリスト教国では復活祭の祝日です。46日前から続いた復活祭関連行事の最終日で、死後に復活されたイエスを祝う日です。復活はキリスト教徒にとって処女懐胎と並ぶ奇跡であり、その奇跡を信じることがキリスト教徒としての信条ですから最重要の祝日です。日本人はキリスト教徒でないかぎり、唯物論的科学の信奉者ですから、処女懐胎や復活など信じていないでしょうし不思議に思うでしょう。しかし信仰とはそういうもので、キリスト教徒から見れば、おみくじや除夜の鐘などを変な迷信だと思うでしょう。こうした不思議な習慣はどの国にもあり、それをとやかくいうことは独善的であり、紛争の種になりますから、お互いに認め合うことが大切です。一方で、日本人はクリスマスなど異教徒の祭日ですが、料理などの習慣だけ採り入れていてそれも不思議です。宗教を避けようとする文化かもしれません。

復活祭の風習は国によって異なりますが、有名なのはイースターエッグです。復活祭はイエスの復活という宗教的意義の他に、植物の芽がでて鳥の産卵や動物の出産が行われる春の行事でもあるので、多産(日本なら豊作)の象徴としてウサギと卵が出てきます。アメリカではEaster bunnyとしてウサギのぬいぐるみや着ぐるみが街に溢れ着色した卵やその装飾が飾られます。子供たちの楽しみは、まず卵に小さな穴を空け黄身と白身を出して殻に思い思いの色や模様、絵を描きます。穴を空けるのが難しそうな場合は茹で卵にすることもあります。また卵の形のプラスチックを使うこともあります。そしてその色卵colored eggを大人が家のあちこち、あるいは公園のあちこちに隠して、子供たちはそれを探すゲーム(egg hunting)をして楽しみます。卵の装飾品の中には特別に凝ったものもあり、芸術的な彫刻や金細工がしてあるものもあって数百万円するものもあります。
ゲームが終わったら卵料理です。本来なら復活祭の前は断食したり、肉食をしないという場合もあり、復活祭でその禁忌がなくなり肉料理も解禁です。国により違いはありますが、ラムのロースト、ハム料理などが多いようです。Deviled egg(デビルドエッグ)というのもあり、要するに半分にした茹で卵の中にいろいろ詰めたものです。悪魔という名前とはほど遠いものです。そもそもdevilとは「鬼辛い」と同じでスパイシーとか辛いという意味から来ています。しかし辛いものとはかぎりません。
スイーツもありますが、ウサギ型や卵型のチョコレートなどが定番で、クリスマスのような特別なスイーツはありませんが、鳥の巣のようなものを作ってその中にお菓子を入れるegg nestというのもあります。
大人たちはどうするかというと卵の代わりにビールを探すというのもあってbeer huntingというようです。大人向けのルールがあって、隠してある瓶ビールや缶ビールを見つけたら、その場で飲み干さなければならないことになっています。瓶ビールは日本と違い一人前サイズの小瓶です。なので日本のように他人にビールを注ぐという習慣はないこともこの際、併せて覚えておいてください。隠すのはビールでなくてもよくてお菓子類のこともあります。
復活祭のパーティで卵料理や肉料理をたくさん食べて、ビールやワインを暴飲し、チョコレートを食べまくれば、どうなるかはご想像の通りです。元の身体に「復活」するには時間がかかります。

イースターエッグ

Good Saturday

Good Saturday

2022年4月16日はGood Saturdayです。聖土曜日と訳されていますが、この日を知っているのはキリスト教徒かキリスト教文化についての相当の知識がある方です。日本風に解釈するとイエス・キリストが亡くなったので通夜の日みたいなものです。翌日の復活を信じつつも、イエスの死の意味を深く考えます。カトリック教会では聖土曜日に教会は主の墓のもとにとどまって、その受難と死をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサも捧げません。普段かけられている祭壇布などがすべて取り払われ、イエスが眠りについていることを表します。聖体拝領やゆるしの秘跡さえ、瀕死の者など特別な場合を除きこの日にはしません。結婚式も葬儀も行われないません。一切の宗教行事を控え、只管に偲ぶのです。
一方でギリシアやロシアなどの正教会では聖大土曜日も聖大金曜日(聖金曜日)と同じくイエスの死への勝利を誉め、祝い、復活の喜びを先取りする祝いの日と考えられています。イエスの棺(眠りの聖像)が聖堂におかれ、聖母マリアの嘆きの聖歌「母よ、我、爾(なんじ)が種無くして孕みし子の」が歌われ、十字架を崇敬し、黄泉(よみ)と死が生命をもたらすキリストの神性に触れて敗れる神秘が讃美されるのです。正教会において、聖大土曜日は古くは成人洗礼の日だったといわれています。
形式は正反対ですが、意義は同じで解釈が異なっています。そもそもキリスト教の原型ともいえるユダヤ教では土曜日が安息日であり、キリスト教の中にも土曜日を安息日とする宗派もあります。
復活祭の1週間前の日曜日はPalm Sunday(宗派によって名称が異なるが聖枝祭)という「エルサレム入城の日」で、ヨハネの福音書に「この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達して、弟子たちが近くで調達した小ロバに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで、城内へ入城した。」にちなんで棕櫚(しゅろ)あるいは木の枝を持って迎えるという行事があります。これが受難の始まり、ということです。そして聖金曜日まで毎日が聖なる日として行事があります。クリスマスも早くから行事がありますが、それよりもさらに宗教的意味が深い日々が続くので、いかに重要な日々であるか、復活とは何かを教義として重要視していることがわかります。

聖土曜日とはまったく関係がないのですが、1877年のこの日Boys,be umbicius.で有名なクラーク博士が北海道から去りました。日本では有名な人ですが、米国では知られておらず、帰国後は不遇だったようです。彼は明治のお雇い外国人の一人で当時は蝦夷地と呼ばれた辺境の地になぜ来たのか疑わしいところです。前年9月に来日、翌年4月には離日しており、在籍していたマサチューセッツ農科大学から短期休暇でやってきたにすぎません。この言葉もかなり美化された解釈をされていますが、unbiciusは野心的ということですから訳すなら「君たち、もっと野心的になりなさい」ということです。俗っぽく訳せば「おまえら、うだうだ言ってんじゃねえよ」というところでしょう。彼は学識のある人ですから、そんな表現はしなかったでしょうが、くだけた英語であることは間違いないです。それにしても短期間で北海道の農業に貢献したことは確かなので今でも尊敬を集めています。「札幌農学校」というクッキーはおいしくて評判がいいです。真似してクッキーを販売した国立大学もあります。

聖土曜日

Good Friday

Good Friday

2022年4月15日はGood Fridayです。日本語では聖金曜日と訳されています。この日を知っているのはキリスト教徒かキリスト教文化についての知識がある方です。簡単にいえばイエス・キリストの亡くなった日です。そして三日後の日曜日に復活します。金曜日から日曜日までの3日間が復活祭(イースター)で、キリスト教徒にとってはクリスマスと同様あるいはそれ以上の意味がある日です。しかしクリスマスのような陽気なお祝いではないこと、日程が毎年変わること、春には行事が多い時期なので日本では習慣化していません。命日だからかもしれませんが、涅槃会もあまり習慣化していません。それでも商業化の試みは毎年でてきています。そうした風習については日曜日に解説します。
この金曜日にイエスは処刑され弟子には復活を予言して昇天するのですが、それを受難と呼びます。英語でPassionというのですが日本ではパッションというと情熱の意味しか教えないので、誤解している人が多いです。原義はヘブライ語の「過ぎ越し」から来ており、過越祭はユダヤ教のpassoverとして英語にも残っています。ギリシア正教などの正教派ではパスパと呼んでいます。英語でEasterというのはゲルマン神話の春の女神「Eostre」(エスター、エオストレ)と春の月名「Eostremonat」(エオストレモナト)に由来し春祭りの意味を持っています。イースターも春祭りと関りがあり、新芽の成長などを愛でる心は日本の二十四節気の清明と同じです。
復活祭は年によって日付が変わる移動祝日で基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定められており、逆算してその直前の金曜日が受難の聖金曜日になります。つまりグレゴリオ暦ではなく太陽太陰暦を使っています。このコラムでも旧暦の話がよく出ますが、似たような感じです。聖金曜日はしめやかな行事がほとんどで宗派によっては断食をします。また普段は行われるミサもないことがあります。音楽では「マタイの受難曲」という有名な曲はごぞんじの方も多いと思いますが、実は作曲家はバッハだけではありません。ハレルヤコーラスと同じで、宗教曲は同じテーマで何人もの作曲家が作曲することが多いです。絵画でもいろいろな作品があります。受難や受胎告知などは西洋美術では欠かすことのできないテーマですので、事前に勉強しておくと時代背景や作者の思いがわかります。マタイとはマタイによる福音書のことで、他の福音書にも受難の物語が書かれており、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書にもそれぞれ記述があります。最後の晩餐やユダの裏切りもこの中の話です。
金曜日が不吉な日とされているのは受難の話が前提ですが、その処刑場への道への階段が13段であったから13が不吉な数字というのは俗説のようで、最後の晩餐の出席者が13人だったから、とか諸説あります。13日の金曜日は映画で有名になりましたが、不吉な金曜日と13を結び付けようとしたプロパガンダのようです。
復活祭は実はこの3日間だけでなく、イースターからの1週間が休日なので今年は4月22日までがイースター・ホリデイです。またイースターの前の46日間を四旬節(受苦節)(Lent)といい、敬虔なキリスト教徒はイエスの受難と死を思い返し、悔い改め、試練・修養・祈りの時として過ごす期間です。イエスが40日間荒野で断食をしたことに因み、この期間は肉・卵・乳製品・油などを断ち、祈りに励むのですが、イースター期間を含めているので実質が40日間となっています。これだけ見てもキリスト教徒にとってクリスマスよりも重要な行事であることがわかります。

受難

松の廊下

松の廊下

4月14日は旧暦3月14日で、元禄14年(1701)江戸城松の廊下で、播州赤穂藩主浅野内匠頭(たくみのかみ)が高家(こうけ)吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしひさ、よしなかとも)に斬りつけました。
これは実際にあった事件で松の廊下の刃傷(刃傷)沙汰として知られています。ほとんどの方は人形浄瑠璃や歌舞伎の仮名手本忠臣蔵あるいはそれを映画化したものやテレビ映画化したものでご存じになったと思います。「おのおの方、お出合いそうらえ、浅野殿、刃傷にござるぞ」という掛け声の後、なおも吉良に斬りかかる内匠頭を、背後から取り押さえた梶川与惣兵衛(かじかわよそうべえ)に、「御放しくだされ、梶川殿。五万三千石、所領も捨て、家臣も捨てての刃傷にござる」と懇願する内匠頭というシーンとセリフをご存じの方も多いでしょう。実際に人形浄瑠璃や歌舞伎をご覧になると名前が違っていたり、物語が違っていることにすぐに気がつきます。それほど映画やテレビドラマに刷り込まれているのです。実際の事件の翌々年には芝居が上演されているのですが、当時は幕府の禁止もあり、実名と実話で芝居することは憚られたため、昔の仇討ち物語(曽我兄弟)などにすり替えたり、いろいろな創作を加えています。映画やテレビドラマはさらに脚色していますから、おもしろいのです。もうフィクションに近いです。
仮名手本とは赤穂四十七士をいろは四十七文字の仮名になぞらえたからです。忠臣蔵とは忠臣であった内蔵助の意味という説と赤穂事件を題材とする『豊年永代蔵』が上演され、その蔵を採ったという説があります。最近では上方落語家の月亭八方がAKO47というAKB48をパロディにした落語をやっていて、今でも元の物語が通用していることを窺わせます。仮名手本忠臣蔵では浅野内匠頭が塩冶判官高定(えんやはんがんたかさだ)、吉良上野介が高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)となって、時は暦応元年(1338年)二月という室町時代の話という設定になっています。そして師直が高貞の正室に横恋慕して、意地悪をするという設定です。大石内蔵助は大星由良助義金(おおぼしゆらのすけよしかね)です。義太夫や歌舞伎ではおかる勘平とか定九郎とかスピンアウトの物語が出てきます。それを題材にした落語などもありある意味日本の古典芸能の根幹になっている面があります。塩冶判官高定と高武蔵守師直は軍記物である「太平記」に出てくる実在の人物です。あくまでも赤穂事件の話ではないですよ、という幕府へのアピールでしょう。大星由良助義金は架空の人物です。原作は寛延元年(1748)8月、大坂竹本座にて義太夫として初演され、全十一段あり、浄瑠璃作者の二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作とされています。その後、改作が頻繁に行われ、現代でも続いていますから、どれを見たかによって人の記憶が異なります。
浅野内匠頭は即決裁判で午前の刃傷沙汰のその日の夕方に預かり先の田村邸の庭先で切腹させられます。幕府がいかに怒っていたかがわかります。浅野内匠頭の切腹場所が不適切であったことや装束や使用する刀も武士として尊重された扱いをされませんでした。後にこれが問題となり切腹の宣告をした大目付庄田下総守安利は大目付を罷免され年寄りに降格されました。管理職の役人が忖度しすぎた結果です。
田村邸があった場所には、現在和菓子店「新正堂」があります。ここの名物は「切腹最中」です。営業マンがお詫びの印に持参する定番ですが、あんこがたっぷり入っていて、おいしいと評判です。

忠臣蔵

江戸城無血開城

江戸城無血開城

4月13日は旧暦3月13日で明治元年(1968)江戸城が無血開城となり官軍に明け渡された日です。これは西郷隆盛と勝海舟が薩摩藩の蔵屋敷で会談し江戸が戦場となることを避けるために江戸城の開城に合意した結果とされています。もしこの会談が決裂していれば、翌々日の3月15日には総攻撃が予定されていて、100万人都市であった江戸の町が火の海になったことは想像に難くありません。会談の場所である薩摩藩蔵屋敷跡は現在三菱自動車工業の本社ビルになっており、地下鉄三田駅あるいはJR田町駅の近くで碑があります。江戸城はその後、明治政府の所有となり現在は皇居と呼ばれています。まさかと思うのですが、皇居と江戸城は別物と思っている人がたまにいます。あの吉宗のドラマで姫路城が使われるため、江戸城はああいうものだと誤解しているのです。皇居には今、天守閣がありません。昔は立派な天守閣があったのですが、明暦3年(1657)の大火で焼失してしまい、修復された石垣の土台(天守台)だけが今も皇居東御苑に残っています。その土台の大きさから天守閣をイメージで想像するしかありません。
歴史に詳しい方はごぞんじですが、ざっくりと解説すると、そもそもこういう結果になったのは江戸幕府が衰退し、最終的に慶応3年(1867)の大政奉還により、江戸幕府が消滅、政権が天皇側に移ったことが始まりです。江戸城は江戸幕府の城ではなく徳川家の城で、徳川家までなくなったわけではないので、江戸城の所有権は徳川家のままです。当然明治政府は江戸城も返せと迫ったのですが、徳川慶喜はまだ政治の実権は自分がもっているという意識でしたから、当然拒否し、幕府軍と天皇側である薩摩長州連合軍と戦うことになります。これが鳥羽伏見の戦いです。幕府軍は敗北し、慶喜は江戸に家臣を捨てて逃げ帰ります。薩長軍は当然、江戸まで追いかけて最終的に徳川家の滅亡を狙います。そして3月15日に江戸総攻撃をかけるというところまで来ました。しかし江戸市民が大勢犠牲になることは目に見えているので、この西郷・勝会談となったわけです。無論、無条件で明け渡すのではなく、交渉に入った山岡鉄舟の努力で7か条の条件提示があり、慶喜の身柄を引き渡す以外の条件を幕府側が呑むことで武装解除や家臣の謹慎などが実現しました。戦争の結果、城を明け渡すことはそれまでにもあり、多くは城攻めによって奪い取られるのが普通ですが、話し合いによって明け渡したのは珍しい例です。軍事的な見方をすると、それだけ兵力に大きな差があったともいえます。江戸城無血開城の後は、幕府軍の残党と官軍との戦いは地域戦となり、江戸では彰義隊の戦い、そして東北地方で奥羽越列藩同盟との戦いや有名な白虎隊の会津戦争があり、最終的に蝦夷地(北海道)の五稜郭の戦い(函館戦争)で終結を迎えます。この1年あまりの一連の戦争を慶応4年(1868)干支でいう戊辰なので戊辰戦争と呼んでいます。鳥羽伏見の戦いの前には新選組の活躍があり、新選組副長の土方歳三は最後の函館戦争で討ち死にします。日本国内にも内戦は関ケ原や大阪夏冬の陣など全面戦争がありましたが、全土を巻き込んだ内戦は戊辰戦争だけだろうと思います。
昔聞いた話ですが、ある徳川家縁の方が、酔っぱらうとタクシーで皇居に乗り付け、大声で「ここは俺んちだ、返せー、ばかやろう」と怒鳴るのが常だったとか。領土とか家とか、家が没落して誰かに取られてしまうことがよくありますが、その家の人にしてみれば理不尽に思うのも無理はないでしょうね。

東御苑

パンの日

パンの日

4月12日はパンの日です。パンは戦国時代に日本に到来していたようですが、日本でパン製造が本格的に始まったのは1842年です。この2年前に中国で起こったアヘン戦争が日本にもその戦いが飛び火するのではないかとおそれを抱いていた徳川幕府は戦争準備にかかせない兵糧の問題でした。米は炊くときに煙が出るため敵に見つかってしまうことを恐れました。初めてこの時に問題になったわけではなく、古来、炊事が戦闘の時に問題ではあったので、すでに干米(枯飯かれいい)や乾燥栗などの非常食がありましたが、米以外に長期保存ができて携帯できる兵糧を探しているなかで、パンが候補に挙がりました。幕府に命じられた軍学者江川太郎左衛門は師である高島秋帆の付き人の作太郎を伊豆の韮山に呼び寄せました。作太郎は長崎のオランダ屋敷で料理番をしていたことから製パン技術を習得していたのです。パン窯を作るところから始めて1842年4月12日に第1号となるパンを焼くことに成功しました。パン食普及協議会が1983年にパンの日を制定、同時に毎月12日をパンの日としました。パンの日は毎月あるのです。最近はにわとりの日(28日)や肉の日(29日)もあってセールがあります。
現在の日本のパンはかなり進化して、欧米のパンとはかなり違ってきました。あのもっちり感は日本独特の感触で、外国旅行をしていると日本のパンが恋しくなります。とくに進化したのが菓子パンや調理パンで、外国ではみかけません。恐らくアンパンから始まったのでしょうが、中身もいろいろバラエティがあり、とくにメロンパンなど外国人はびっくりします。日本ではパンの耳を切った三角や長方形のサンドイッチが当たり前ですが、外国ではみかけません。コンビニで当たり前のようにパンが売られていますが、外国からの観光客には珍しいので、最初は戸惑うようです。もはや日本食なので、外国人は好みがわかれますが、自国のパンがいいという人と日本のパンにはまる人にわかれます。同様に進化したものにラーメンがありますが、日本人はこれが日本食であることはテレビ番組などで知りましたが、パンについてはいまだに洋食と思っている人が多いのではないでしょうか。フレンチレストランなどで付け合わせにライスかパンかを聞かれますが、これも日本独特の習慣です。そもそもライスは欧米では野菜の一種でつけあわせのポテトやニンジンなどの温野菜と同じ扱いです。一方、パンはメインディッシュの前に食べるのが普通です。イタリアンのパスタも同じです。欧米のレストランでは最初にバスケットに入れて布をかぶせたパンがでてきます。ほぼ自家製の自慢のパンなので、まずそれにバターをたっぷり載せて(広げて塗るのでありません)、パクパクと食べます。日本人はメインと一緒に食べる習慣なのでメインが出てくるまた待っています。その間にせっかくの温かい出来立てが覚めてしまいます。そして次にスープやサラダが出てきますが、その時にパンを下げられてしまうこともあります。ここで日本人は慌てます。置いておいてほしいと告げるとウエイターに怪訝な顔をされます。彼はきっとこの人はパンが嫌いなのだと思ったでしょうね。もし黙っていればさっさと下げるでしょう。「ボーっとしてんじゃねえよ」です。レストランではすべての料理がベストの状態で出てきますから、順番があるのです。日本食はよほどの高級割烹でないかぎり、一度に全部でてきます。順番は食べる人がチョイスします。この食文化の違いはいろいろな局面に影響していると思うのですが、その話はまた別の機会に。ついでにrolls,bread,bunの違いもいつか。

パン
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メートル法

メートル法

4月11日はメートル法の日です。日本は大正10年(1921)にメートル法が公布されたのを記念してこの日が定められました。しかし完全実施は昭和34年(1959)であり、尺貫法を用いないように定められたのは昭和41年(1966)とそれほど古い話ではないのです。現在の日本ではメートル法が当たり前になっており、旧来のままの尺貫法が用いられている、たとえば建築関係などは1坪が3.3平米などと半端な数字で換算が面倒なままです。家の間取りとか建物は相変わらず1間とか1畳といった単位が使われていますが、生活に根差した単位はなかなか変わりにくいようです。
外国旅行をすると、この単位の違いに戸惑うことがしばしばあります。欧米ではヤードポンド法が今でも主流で、そのためインチやフィートなどで表現されることも多く日本人にはピンとこないことがよくあります。ゴルフやフットボールなどのスポーツは今でもヤードです。飛行機のような高度な科学の世界でも高度はフィートで表現されます。長さだけでなく、重量や容量や体積もメートル法ではなく、温度もセルシウス(C)ではなくフェアレンハイト(F)ですから、天気予報を見ていても暑いのか、寒いのかもわかりにくく慣れるまで困ります。ビールの注文も量が不明で面倒です。
日本の小学生は1立方センチメートルが1ccで、その1000倍が1リットルであることを早くから学びます。そして水1ccの重量が1グラムであることを日本人なら誰でも知っています。1リットルの水なら1キログラムであることもすぐに計算できます。
また水は0℃で固体(氷)になり、100℃で気体(水蒸気)になることも知っています。氷点と沸点という用語を知らなくても理解できています。実は欧米ではこれは驚異的なことです。ちなみに°Fだと氷点と沸点は何度かごぞんじでしょうか。水の氷点は32°F、沸点は212°Fです。人間の標準体温は98.7°Fです。料理の温度表示も異なり、英語のレシピだと温度はかなり高い数字で表示されます。日本の理科教育を視察した欧米の教育者が日本の科学力の原点はここにある、と驚嘆していました。
メートル法は1791年、1メートルが地球の北極点から赤道までの子午線弧長の「1000万分の1」として定義されました。これにより地球の円周が4万キロメートルとなったわけですが、厳密には地球は真球ではなく回転楕円体に近い形をしているので、実際にはやや誤差があります。それでも光の速度とかをイメージするには楽です。
日本で使われている°Cはスウェーデンのセルシウスが1742年に、水の氷点を0℃、沸点を100℃とし、その間を100等分した温度目盛りを定めました。その後大気圧の変化で氷点沸点が変わってしまうことに気付き、1気圧のもとで測定した値を用いるように改められました。気圧の低い山の頂上でご飯を炊くとうまく炊けないのはそのせいです。1990年、国際度量衡委員会により、セルシウス温度は絶対温度Tを用いて
t=T-273.15と定義されました。従って現在の科学では水の沸点は標準気圧(101325Pa)下で約99.974℃となり、100°Cよりわずかに低いことが知られています。アメリカで使われている°Fはドイツの物理学者ファーレンハイトが1724年に考案したもので、食塩と氷をまぜた時の温度を冷たい温度の基準にして0°Fとし、人間の体温を熱い温度の基準として、この2つの温度の間を96等分にしたものです。なぜ96等分なのかというと12進法を用いて80(12)等分したものが10進法で96(10)だからということらしいです。°Fから°Cへの変換式は(F-32)×5/9で逆は(C×9/5)+32 となります。理科の時間に習った記憶ですがよく覚えていませんね。実際は換算表を使っています。

メートル