教育基本法

3月31日は旧暦2月29日で晦日です。明暦の大火があった日でやはり春には災害が多いですね。

明暦の大火は通称振袖火事ともいい、事実を元にした伝説があります。江戸・麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃は、本郷の本妙寺に母と墓参りに行ったその帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に一目惚れ。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、恋の病で食欲もなくし寝込んでしまいます。病を案じる両親に彼が着ていたのと同じ模様の振袖を作ってもらい、その振袖をかき抱いては彼の面影を思い焦がれる毎日でした。病は悪化、梅乃は若くして死んでしまいます。供養にと娘の棺に生前愛した形見の振袖をかけてやりました。当時棺にかけられた遺品などは寺男たちがもらっていいことになっていたので、この振袖も本妙寺の寺男によって転売され、上野の町娘・きののものになるのですが、この娘もしばらくして病で亡くなり、振袖は彼女の棺にかけられて、奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれました。寺男たちは再度それを売り、振袖は別の町娘・いく(16歳)の手に渡るのですがこの娘もほどなく病死、振袖はまたも棺にかけられ、本妙寺に運び込まれてきました。さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにし、住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は突風に煽られ、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となったので、この通称ができたとされています。
よく似た話に八百屋お七の伝説があり時々混同されます。天和の大火(1683年)で焼け出された、お七は親とともに正仙院に避難し、寺での避難生活のなかでお七は寺小姓と恋仲になります。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七の庄之介への想いは募るばかりで、そこでもう一度自宅が燃えれば、あの小姓に会いたい一心で自宅に放火し、火はすぐに消し止められ小火ましたが、お七は放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりにされました。これがあの有名な歌「夜桜お七」のモデルです。この話は井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられて有名になり歌舞伎や落語にもなっていて、近代では漫画「ガラスの仮面」にも出てきます。それにしても江戸は火事が多かったことがわかります。

この日、もう1つ忘れていけないのは1947年に教育基本法が施行された日だということです。平成18年に現行法に改正されたため、1947年のものは旧法と呼ばれています。施行当時は戦後すぐでもあり、いわゆるリベラルな思想が中心になっていたので、保守主義の人々から改正の要求も強く、いろいろなイデオロギーをもつ人々の間で激しい議論が行われて改正されましたが、現在でもその議論は続いています。教育の自由と平等をめぐる議論も現代社会の急速な改革の流れにより、いっそう複雑化しています。現在、義務教育における無償化は授業料・教科書に限られていますが、給食費、通学費、制服などはなぜ含まれないのか、という議論もあります。政治的中立の確保に関しても何をもって党派的な政治教育と判断するのかという議論もあります。また旧法第10条をめぐって「教育行政は、(略)教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」とあることから、国の関与は教育の内容などの内的事項は含まず外的事項に限るという見解と、内的事項への関与も含まれるという見解に分かれています。
そもそも、教育の目的や役割を法で規定することが果たして妥当なのかという観点から、旧法を批判的に検証する動きもあり、例えば、第1条の「人格の完成」が何を意味するのか不明であることを問題視する意見もあります。教育を巡る議論は背景となる思想が大きく関与し、政治的イデオロギーも関わってくることから、教育は国の根幹であるという点で共通していても、各論になるとまとまらない、のは教育論議の宿命かもしれません。

教育

みその日

3月30日は例の語呂合わせで「みその日」だそうです。味噌は手前味噌という言葉があるように昔は家庭でも作られていました。そして始まりは飛鳥時代からだそうですから、歴史も長くそれだけに地域による違いも生まれました。日本は発酵食品が豊富な文化ですが、味噌と醤油はその中でも代表的な存在です。日本料理には欠かせない調味料です。

味噌は大きく分けて赤味噌系と白味噌系に分けられますが、麴味噌があり、麦味噌もあり、実にバラエティが豊かで、その分個人や地域による好みもさまざまです。名古屋は味噌煮込みうどんが有名ですが、それは八丁味噌で作ります。この八丁味噌を巡って一騒動があります。

八丁味噌は現在、商標登録されていません。有名な「カクキュー」と「まるや八丁味噌」の2社は八丁味噌共同組合を設立し「八丁味噌」の商標登録を申請しましたが、愛知県味噌溜醤油工業協同組合は、2社のみが名称の独占使用するのはおかしいと主張し、その後二者による協議が行われましたが、物別れに終わったため、愛知県味噌溜醤油工業協同組合は『愛知八丁味噌』の名称を出願することとなりました。
そもそも八丁味噌の名前は、現在の岡崎市八帖町はかつて「八丁村」といい、岡崎城より西へ八町(約800m)離れていたことに由来します。この八丁村は矢作川の伏流水による湧き水が豊富で、東海道の水陸交通の要地であっただけでなく、舟運も同時に恵まれていました。そこで兵食として重要視されてきた味噌を軍需物資の兵站基地として形成された八丁村で製造することに着目した早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が当地で味噌醸造を創業したのが「八丁味噌」の始まりとされています。元祖なのです。
しかしこの揉め事から岡崎の2社は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を脱退しました。さらにややこしいのが2015年から始まった「地理的表示保護制度」(GI)で、岡崎の2社がGIから外されたことです。農林水産省は「岡崎市八帖町以外でも『八丁味噌』は製造されている」「昭和初期には『八丁味噌』の文字を含む商標が県組合会員の企業により登録されていた」などの理由により、岡崎2社に対し、「岡崎市八帖町」と限定している生産地を「愛知県」に変更できないかと打診したのですが拒否されました。
農水省は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を八丁味噌の生産者団体としてGIに登録しました。「八丁味噌は、いわゆる『名古屋めし』の代表的な調味料として定着し、愛知県の特産品として広く認知されているものである」との県組合の主張を認定したのです。生産量の半分超を占めるとされる岡崎2社は「県内に生産地域を広げ製法の基準を緩くすれば、品質を保てず顧客をだますことになる」と主張。これに対し農水省は「不幸な結果となったが、海外の偽物から守るため登録を優先した」と説明しました。2019年2月GI法が改正され「先使用権」が制限され、GI対象の組合製品でないと、岡崎2社の製品は2026年には八丁味噌と名乗れないことになりました。言い換えれば、2026年以降に八丁味噌という名称を商品に使用したい場合は「GI認定を受けていない」という表示をつければ販売できるということになったのです。この件は現在も両者の間で決着がついておらず裁判中です。こうした地域ブランドを巡る争いは味噌だけでなくいろいろな農産物にもあり、海外進出を目指して制度化されたGIが地域産業を圧迫しているのは皮肉なことです。

味噌という言葉は本来の味噌以外に「蟹のみそ」や「脳みそ」にも比喩的に使われますし、「そこがミソ」のような表現もあります。ことわざもたくさんありますが今では使われない「味噌を買う家には蔵は立たない」というのがあります。味噌まで金を払って買うような家はお金がたまらない、ということだそうで、昔は各家で作っていたことのなごりです。今はほとんどの家が味噌を買っていますから、蔵が立たないのも道理です。実際、蔵ももうなくなりつつありますから、このことわざも死語になったのです。「味噌の医者殺し」というくらいに健康食品として役立っているのですが、現在は減塩が当たり前になってきたのも時代を感じさせます。

八丁味噌

防災と標語

3月29日は旧暦2月27日で安政の大地震(1858)があった日です。偶然なのか、春に地震や災害が多いのは気候が暖かくなって地球に影響を与えるのか、反対に地殻の変動が気候に反映されるせいなのか、科学的には説明できないのですが、偶然にしては確率が高いような気がします。
地震のような災害は事前に予測して防ぐことは困難ですから、災害が起きた時の被害をできるだけ少なくしようということが減災の考えです。一般には防災といいますが、減災でも意味は同じなので、本当は減被害とかless damageという方が合っているでしょう。それはともなく、防災には標語がよく使われます。「つなみてんでんこ」は福島の大震災で知られるようになりましたが、こうした標語はほとんどが七五調で作られています。日本人には七五調が覚えやすいのです。なぜかを考えてみましょう。七五調は四拍子だということをごぞんじでしょうか。たとえば俳句を音楽的なリズムとして分析すると「ふるいけや(八分休符、四分休符)かわずとびこむ(八分休符)みずのおと(八分休符、四分休符)」となります。字で書くとわかりにくいのですが、それぞれの俳句の文字を八分音符とし、休符を仮に点で示すと「ふるいけや・・・」となり八分音符5個、八分休符3個分で合計8個分のリズムつまり四拍子になります。同じく「かわずとびこむ・」は8個分、「みずのおと・・・」も8個分で四拍子の小節が3つあると考えられます。普段俳句や和歌を朗読する場合に休止符は意識しませんが、自然に余韻のような感じで空間を開けていませんか?これは誰に習ったのでしょうか。そうです、小さい頃から長い間、聞いているうちに自然に覚えたリズムです。これがリズムの言語習得なのです。
実は言語ごとにこのリズムパターンが異なります。英語は強いて分類すれば八分の六拍子、ワルツのような三拍子の言語です。日本の歌は圧倒的に四拍子が多く、英語の歌の子供向けの歌は三拍子が多いのです。そのせいで、明治の頃流行った洋楽は三拍子のものが多く、当時の人にはこれまで聞いたことのない近代的な感じがしたのだと思われます。四拍子の歌は今でも日本で多く歌われており、日本人にはなじみのあるリズムなのです。つまり七五調の文は日本人の心にストンと落ちやすく、覚えやすいということです。
四拍子になれた日本人が外国語の歌を歌おうとすると何となく違和感があり、また一拍に込める音の量が違うため、洋楽をカラオケで歌うとどうしても歌詞が余ってしまいます。それで英語の歌の場合、語尾の子音などを省略することになり、時には単語ごとすっ飛ばして歌うことになります。こうして長さを調整して帳尻を合わせているわけです。
日本人が英語や外国語が上手く聞き取れない最大の原因はこのリズム感にあります。逆に言うと英語のリズム感が得られれば聞き取りが上手になります。歌手が英語を早く習得できるのはリズム感がいいからです。いろいろなリズムに対応できる能力が高いのです。
言語のリズム感は小さい頃から寝物語や読み聞かせを聞くことで得られます。最近は親が子に寝物語を聞かせることも減っているようですが、こうして得たリズム感は脳の奥深くに記憶されるので、そのリズムを聞くとほっこりした安堵感が得られます。同じように朗読にはこうした安堵感があり、近年は朗読会やオーディオ・ブックが流行っています。女スパイがベッドでターゲットの要人の耳元で囁くことでマインドコントロールするというのが映画の定番ですが、催眠術や演説などもこのリズムによる言語効果を活用しています。反対にお経のような単純なリズムの繰り返しで意味不明な語が羅列されると電車のガタンゴトンと同じ催眠効果が得られます。子守歌も同じで心臓の鼓動のリズムをゆっくりにすることで眠りを誘うわけです。「羊が一匹…」も同じ理由です。
標語は四拍子のリズムで作ることで記憶に残りやすくなるという原理を使っています。

防災減災

利休忌とチェルノブイリ

3月28日は旧暦2月26日で千利休忌です。表千家と裏千家では利休を偲んで盛大な茶会が開かれます。しかしお祭りのようは晴れ事ではなく忌事なので、地味に穏やかな茶会となります。むしろその方がわび・さびがわかるような気もします。茶道には詳しくないのと、千家以外の茶道もあるので、これ以上細部にこだわるのは止めます。ご興味のある方は書籍やネットに情報がいくらでもありますから、そちらをご覧になってください。1つだけネタを提供しておきたいのですが、「利休鼠」という色があります。北原白秋作詞の「城ヶ島の雨」という歌で「雨はふるふる城ヶ島の磯に利休鼠の雨がふる」という下りがあります。この雨の色がどんな色なのか想像してみるとおもしろいです。緑がかった灰色で、とくに利休が好んだわけではなく、なんとなく高尚な感じがして理由の名前を使ったとか。色名にはいろいろな命名した人の思惑があります。

1979年3月28日はスリーマイル島原発の事故があった日です。ウクライナのチェルノブイリ原発事故は1986年4月26日でほぼ7年後です。そして福島第一原発の2011年3月11日の東北大震災がいつも比較されます。原発事故という点では共通かもしれませんし、被害も共通するかもしれませんが、福島の場合、原因がまったく違うのを同一レベルで論じるのは科学的ではないと思われます。まずスリーマイルの場合、二次冷却系用非常給水ラインを閉じたまま原子炉の運転を継続したことが事故要因とされています。チェルノブイリの場合は、4つの原子炉のうちの4号炉が実験中に制御不能に陥り、炉心溶融(メルトダウン)の後に爆発したことによります。福島第一の場合は、まず地震があって、その津波が発電所を襲い非常用ディーゼル発電機が津波の海水により故障し、さらに全電源喪失になってポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となったことで、核燃料の冷却ができなくなりました。核燃料は運転停止後も膨大な崩壊熱を発するため、注水し続けなければ原子炉内が空焚きとなり、核燃料が自らの熱で溶け出す。炉心溶融(メルトダウン)が起きました。このようにスリーマイル(米)、チェルノブイリ(ソ)は人為的な事故であったのに対し、日本の福島は自然災害が原因であったので、結果は同じでも科学的には別扱いにすべきだと思うのです。
そして原爆による被害と原発による被害も被曝という点は同じでも、原因が異なるので科学的には別に考えるべきだと思うのです。無論、異論があることは想像できますが、再発を防ぐという視点からすると、原因の追究がまずあって、それに対する対策をとることが先決です。
核兵器は敵を殺傷することが目的の非人道的な兵器です。原発は電力を得ることが目的ですからそもそもの目的が違います。そして人為的な事故を防ぐ対策と自然災害の結果起こる二次的な事故では対策が異なります。たとえば同じ火事でも、放火によるもの、タバコの火の不始末、調理中の火災、地震時の火災では、対策が異なります。原子力は科学の発展の結果、人類が獲得した技術ですから、科学的な対策が重要になるのは当然のことです。再発防止対策を考える時にも化学的思考が重要になります。しかし現状、原子力については政治や社会運動が大きな影響を与えており、状況により対策も揺れ動いています。原発も電力を得るための1手段という位置づけになり、他の発電方法と同列に議論されています。果たしてそれでいいのか、その議論はこうした事故の起きた日に再考してみることはよい機会だと思われます。とくに戦争などで地下資源からエネルギーを得ることが困難になってくると、自然資源から電力を得るのか原発の再稼働はどうするかの議論はとかく経済効率だけで議論されがちです。科学を経済の基準だけで判断してよいかという根本が重要です。こんな時、わび・さびという精神世界を考える日が偶然重なっています。原発被害も偶然、春ばかりです。偶然、にも何か意味があるのか、考えてみたいです。

茶道

菅公忌

3月27日は旧暦2月25日で菅公忌です。菅公こと菅原道真公は承和12年〈845年〉6月25日に生まれ、延喜3年(903年)2月25日に九州の大宰府でお亡くなりになりました。享年59歳。藤原の時平の讒言により左遷されて、俸給や従者も与えられず衣食住もままならない状態で無念の死を遂げられました。長男の高視ら子供4人が流刑に処されました。菅公の死後、延喜6年(906年)、道真の嫡子高視は赦免され大学頭に復帰しました。延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で病死したのは後に道真の怨霊によるものだとされました。延喜13年(913年)には右大臣源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死したり、延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御したりしました。これらは道真の怨霊がなしたものだということになりました。怨霊を鎮めるため同年4月20日道真公は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られました。

その後の延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御しました。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野社において神として祀られるようになりました。これが天神様の始まりです。

一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、正暦4年(993年)6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られ最高位となられました。よほど菅公の怨霊が恐ろしかったとみえます。

道真公は幼少より詩歌に才を見せ、11歳で初めて漢詩を詠んだ、とされています。貞観4年(862年)18歳で文章生となり貞観9年(867年)文章生のうち2名が選ばれる文章得業生となり、正六位下・下野権少掾に叙任されました。貞観12年(870年)官吏登用試験に合格し正六位上となりました。貞観16年には従五位下に、兵部少輔ついで民部少輔に任ぜられました。当時の朝廷の第一人者藤原基経も道真の文才を評価し度々代筆を道真に依頼しているほどでした。元慶元年(877年)式部少輔次いで文章博士を兼任するようになります。こうして朝廷における文人社会の中心的な存在となりました。

仁和2年(886年)讃岐守を拝任し式部少輔兼文章博士を辞して任国へ下向しました。道真公はこれを左遷と考えていたようです。仁和4年(888年)阿衡事件が発生し、基経が職務を妨害する事態となりました。この阿衡事件の後も厚い信任を受けていた橘広相が病没し、宇多天皇は代わる側近として道真を抜擢しました。寛平3年(891年)2月29日道真公は蔵人頭に補任されました。蔵人頭は天皇近臣中の近臣ともいえる職であり、紀伝道の家系で蔵人頭となったのは、道真以前は橘広相のみでした。さらに式部少輔、左中弁を兼務。翌寛平4年(892年)従四位下に叙せられ左京大夫となりました。寛平5年(893年)2月16日には参議兼式部大輔に任ぜられて公卿に列し左大弁を兼務しました。この年、敦仁親王が皇太子となりましたが、宇多天皇が相談した相手は道真一人であったそうです。この立太子に伴い道真は春宮亮を兼ねることになりました。

寛平6年(894年)遣唐大使に任ぜられますが、道真公は唐の混乱を踏まえて遣使の再検討を求める建議を提出しますが建議は結局検討されず、道真公は遣唐大使の職にありつづけました。結局内外の情勢により遣使が行われることはなく、延喜7年(907年)に唐が滅亡したため、遣唐使の歴史は終わります。寛平7年(895年)従三位・権中納言、権春宮大夫に叙任。昌泰2年(899年)右大臣に昇進して、時平と道真が左右大臣として肩を並べるようになりました。

このように天皇の信任も厚く、才能もあって、トントン拍子で出世されたのですが、それが周囲の嫉妬を買い、讒訴の原因となりました。現在では学問の神様ですが、出世の神様でもあります。その分、怨霊としてのパワーもすごかったのでしょうね。

楽聖忌

3月26日は楽聖忌です。楽聖とはルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンのことです。音楽の聖人と呼ばれるくらい超有名な音楽家で誰でも知っています。そのベートーベンが亡くなった日が1827年3月26日なので楽聖忌と呼ばれています。ベートーベンといえば気難しそうな顔が浮かびます。そして難聴であの有名な第九を作る頃には、ほとんど聞こえていなかったといわれています。難聴のはっきりした原因は不明ですが、ワイン好きの彼がワインの飲み過ぎで、当時の安物ワインは甘味料として鉛化合物が使用されており、鉛中毒だったという説があります。また作曲するたびにいろいろ悩むことによるストレスという説もあります。恐らくは両方だったのでしょうね。
ベートーベンは、最初は宮廷音楽家として権力の近くで仕えていたのですが、だんだん権力と距離を置くようになります。当時の音楽家はパトロンである王室や貴族のための音楽を作るのが普通でした。しかし自ら作りたい曲を作る音楽の自由を勝ち取るための革命を志向するようになります。彼の政治思想はフランス革命勃発後のヨーロッパで政府の弾圧が強まる中でもやむことはありませんでした。この政治姿勢が現代でも尊敬されている理由の1つかもしれません。
ベートーベンは戦術の天才・ナポレオンに革命の体現者の姿に自分を重ねていました。それゆえにナポレオンをたたえた交響曲第3番「ボナパルト」を作曲しました。それが「エロイカ〈英雄〉」という曲名になりました。しかしその曲をささげようとしたまさにそのときナポレオンが皇帝に即位するというニュースが届きます。それを聞いたベートーベンは怒りのあまり楽譜の表紙を引き裂き、床に投げつけたと伝えられています。
交響曲第5番「運命」の交響曲第6番「田園」も名前がついている有名な曲です。「田園」はベートーベン自身が表題として命名したそうで、田舎の自然の雰囲気がよく表れていて人気があります。田舎といってもドイツの田舎なので、小川があって、ナイチンゲールやうずらなどの鳥の声が聞こえ、農夫たちの楽しそうな踊りがあるかと思えば、突然の雷雨。そして嵐が収まって元の穏やかな田園風景に戻っていく。ヨーロッパの絵画によくあるような風景が連想されます。
「運命」は自身が命名したわけでなく、最初の印象的なダ・ダ・ダ・ダーンは何を表しているのかをたずねられて「このようにして運命が戸を叩く」と答えたからだとされています。扉を叩く音というのは理解できますが、運命かどうかはどうしてわかるのか不思議な感じがします。実際この曲を聞いてみると、激しいのは第1楽章だけで、第2楽章は穏やかな曲調です。そして第3楽章になって心臓の鼓動のようになって再び不安な感じになり、第4楽章でフィナーレらしい華やかな感じで終わります。とくに誰かの運命というよりもベートーベンが自身の思いを伝えるメッセージを送ろうとしていたことが感じられますね。その意味は受け取る人によって違っているので、多くの人々が惹かれるのだろうと思います。
日本で一番演奏されるのが交響曲第9番です。日本では年末恒例となっていますが、日本だけの現象のようです。欧米ではクリスマスシーズンなのでメサイアの方が一般的です。したがって合唱曲も第九の「歓喜の歌」ではなく「ハレルヤ・コーラス」です。日本で第九が広がった理由は「最後の曲だから」という説もありますが、実際は第1次世界大戦後、平和を願ったドイツのライプチヒで始まり、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきたことがきっかけでした。第九は本来は管弦楽の演奏の後に合唱があるのですが、日本では合唱部分だけに人気があり、素人も含めた大合唱が好まれています。

最後に3月26日は日本の与謝野鉄幹、室生犀星の忌日でもあります。ぜひ偲んでください。

ベートーベン

電気記念日

3月25日は電気記念日です。電気は人類の発明のうちで最大のものの1つです。現代社会において電気なしの生活はありえません。電気の通っていない所でも発電機を利用したり、バッテリを利用しています。電気をまったく使わない生活というのは不可能に近いです。しかし電気は水や石油などのように自然から採ることはできません。人類最初の発明ともいえる火は自然から採ることができますが、電気は自然発生する雷から採ることが未だにできていません。要するに作り出すしかないので、人類が電気を利用できるようになった歴史は非常に短いのです。灯り一つとっても電灯以前は何かの火を利用するしかありませんでした。火は熱源にもなるので、現在でも利用していますが、近年は熱源でさえ電気を利用することが増え、動力源にも利用されてます。

これほど利用されている電気ですが、その生産方法は非常に限られています。単純化すれば化学的手段と物理的手段しかなく、現在はほとんどが物理的手段です。発電機のほとんどはコイルを巻いたものを磁石の中で回転させます。この回転の方法がいろいろあるわけです。一番単純なのが災害時の非常用懐中電灯のように手で回す方式。これだと電力が低いので、自転車のタイヤにつけて一生懸命漕ぐ方式。もっと効率よく大きな電力を得るためには水車で回る方式で、大きな水力を得るためにダムを作って大量の水で常に発電する水力発電方式。とにかく発電機を回せばいいので、蒸気機関を利用したり、ディーゼルエンジンで回したりする方式もあります。また羽がたくさんついたプロペラのようなものを回せば効率もよいので、タービンを回転させる方式もあります。タービンを回すには水蒸気が便利なので、大量の水蒸気を発生させるため、水と燃料が要ります。そこで燃料に石油を使うのが火力発電です。もっと高温にするには石油を燃やすのではなく核分裂によるエネルギーを利用するのが原子力です。現状、ここまで回転型発電が進歩してきました。近年は自然エネルギー利用ということで風力で回したり、地熱を利用したり、潮の満ち引きを利用するなど多様な回転エネルギーを取り出す方法が開発されています。

もう1つの方式である化学的手法としては乾電池やバッテリのように化学物質を化合する時に発生する電気の利用です。電気は物理的に溜めておけないという制限があるため、電気エネルギーを一旦何かに変換し、それを逆製することで電気を利用しようとして開発されました。この蓄電技術開発は現在進行形で、とくに電気自動車開発の重要ポイントになっています。
化学発電の方法としては光電管の活用という方式もあります。強い光を当てると発電する物質があり、それを平板に塗って発電する方法です。いわゆる太陽光発電です。この方式の弱点は弱い電力しか発電できないため、大量の発電素子が必要になることです。電子回路のような小電力で動く機械には利用できますが、自動車のような大電力を動かすには向いていません。それでも広大な空き地に太陽光パネルを並べて発電する発電所もできてきています。

発電の最大の課題は利用する元のエネルギーと安定性の問題です。「エネルギー不滅の法則」というのがあって、電気エネルギーを得るには何かのエネルギーからの交換が必要なのです。エネルギー元の資源は多様であり、それを得るコストも多様です。回転から得る発電の元エネルギーは地下資源が中心で有限です。太陽光や風などの環境資源はほぼ無限ですから、自然エネルギー発電が盛んになってきましたが、非常に不安定で電力の需要と供給を一致させるのがかなり困難です。そのためには蓄電技術が不可欠です。電気の供給には伝達ロスの問題もあります。とくに発電所から利用者までの距離が長いと大きなロスがでます。地産地消ではないですが、作ったその場で利用する社会構造の変革が必要というという問題にも直面しています。

電気記念日

世界結核デイ

3月24日は世界結核デイだそうです。結核のことを英語ではTuberculosisツバキュロウシスというのですが、ドイツ語風というかローマ字読みするとツベルクロシスです。こういうとハッと気が付く方もおられるでしょう。あのツベルクリンの関連です。現在の日本ではもうほとんどしていませんが、昔の小学生はツベルクリン注射をして、その反応により結核菌抗体の有無を判定し陽性なら抗体があるので、そのままですが、ないとBCGというかなり痛い注射をしなければなりませんでした。BCGは本名をフランス語でBacille de Calmette et Guérin 、カルメット・ゲラン桿菌の略語です。大昔は二の腕にメスで小さな傷をつけ、そこに抗体を植え付けるという方法でしたが、やがて小さな針がいくつもついたパッチ型に代わりました。いずれにせよ膿がでたり、大きな傷跡が残ります。抗体なので人によりなかなか溜まらないこともあり、何度も接種しなければならない子もいました。今でも肩の下あたりの二の腕にいくつもの傷跡が残っている人がいます。それでツベルクリン検査は子供にとって恐怖の日でしたから、熱があると打てないので、わざと病気になったり、仮病をつかったり、判定検査の時に注射個所を何度も叩いて無理やり赤くするなど工夫をしていた子供もいました。無論これは結核という病気が恐ろしいので、子供のうちに抗体を作って予防する、という法律に基づく国民的な対策でした。ツベルクリン検査の義務は現在では廃止され、必要な場合に限定されています。またBCGは生ワクチン化され、幼児(平成26年以降1歳未満)のうちに接種されています。効果は半永久的なのでBCG後の人がほとんどいなくなりました。

結核のことを昔は労咳(ろうがい)と呼ばれ飛沫感染のため、感染しやすく死亡にもつながるので、結核というと周囲が緊張します。それでTB(てーべー)という専門用語を使っていました。結核と籟(らい)病(ハンセン病)は、昔は原因不明の恐ろしい病気でしたから、隔離するしかないとされ、それが差別を生んできた歴史もあります。労咳といえば新選組の沖田総司や、長州の高杉晋作のような歴史上の人物から現代に至るまで実に多くの人が結核で亡くなっています。正岡子規や高村光太郎、竹久夢二のような芸術家もいます。武田信玄も結核だったようです。

医学の進歩と衛生環境が改善され、生BCGが普及したため、そして抗生物質による治療も進み、現在では結核は少なくなりましたが、根絶したわけではないので感染することもあります。部位の名前をつけて肺結核、腎臓結核のように呼ばれます。BCGはハンセン病などにも効くことがあり、Covid-19つまり新型コロナウイルスにも効くという噂が流れたことがあり、思い出した人も多いと思います。これは統計的にBCGの投与が進んでいる国に新型コロナ感染が低かったことと、BCGがナチュラルキラーT細胞を活性化するとされていることからの類推であったようです。

結核という訳語は原語のtuberculosisの語義であるラテン語のtubercumが芋を表す表現であったことから、塊のようなもの、という意味の意訳だったようです。昔はレントゲン検査で発見されることが多く、フィルムに正常細胞が変化した塊の影が映るため、それを結節と呼んでいたそうで、塊という意味では同じです。

世界結核デイには毎年テーマが発表されますが、2022年は「Unite to End TB結核流行の終息のために団結しよう!」だそうです。3月24日になったのは結核菌の発見者ロベルト・コッホが演説した1882年3月24日にちなんで1997年にWHOが制定しました。

結核

世界気象デイ

3月23日は世界気象の日World Meteorological Day.です。メテオロジーが気象。メテオロロジカルというと舌を噛みそうな名前です。英語ではミ―ティーアララジーと発音されることが多いので、これも日本式発音といえます。日本人はローマ字を習うので、書いてあるままをローマ字風に読むため日本英語があるわけです。別にこれは悪いことではなく、アメリカは移民が多く、イギリス風の発音ができない人がたくさんいて、日本同様書いてあるままを読むようになりアメリカ英語として定着しています。なので日本人も書いてあるままを読めばいいわけです。たとえばdataですが、日本ではなぜかデータといいますが、アメリカ英語ではダータとラテン語の原語のまま読むのが普通です。NATOは日本ではナトーですが、英語ではネイトウです。このように発音のルールは一定ではないので、日本英語でも理解されますし気にしない方がいいと思われます。

メテオロジーのメテオmeteorは流星のことです。直訳なら流星学となるところです。ところが語源であるギリシアでは天体観測は今でいう気象観測も天体観測も空を見上げて観測することは同じですから、語源が流星学なわけです。今は別の科学になっている天文学はastronomyといいます。気象という訳語は明治時代に作られたようで、大気現象を縮めたそうです。この「気」という日本語は実に意味が広く、人間の気分だけでなく、空気のように物理現象にも使われます。雰囲気のように漠然とした状況にも使われます。雰囲気は英語ではatmosphereですから、気象を英語で直訳するとatmospheric phenomenaとなりイギリスでは気象をこういいます。イギリス英語とアメリカ英語では発展の経緯が違うので、こうした微妙な違いがでてきます。明治時代はイギリス英語の影響が強かったので、気象という用語がイギリス英語の訳として定着し、戦後アメリカ英語が入ってきて、現代のような訳語に変わったと推定されます。天文はastroですが宇宙飛行士はastronautといいます。日本の鉄腕アトムはアメリカではAstroboyと名前が変わりますから宇宙少年なわけです。宇宙飛行士はspaceman,cosmonautと呼ばれることもあります。日本で天文学的数字といい巨大な数字を表現しますが、astronomical figures(numbers)の訳語です。原語を知らなければもう日本語になっていますね。

気象と似たような分野に天気予報があります。英語ではweather forecastといいます。天気と天候はどう違うかというと、天気とはいわゆる空模様のことで晴れ、曇り、雨などのことです。それに対し天候とは一週間とか一か月とかやや長い期間の天気の状態を示すと定義されています。しかし英語は同じweatherです。気象予報士の英訳はweather forecasterのようなので、もう訳がわからないほど混乱しています。日本語は天気について昔から敏感に言葉を使い分けてきましたが、農業の影響が強いのでしょう。

天気予報はお国柄が明確に出てきます。海外旅行をするとテレビの天気予報は地域と天気と温度くらいです。ハワイのような島だと〇〇ではにわか雨が何時頃にある、とか役立つ情報が伝えられます。またアメリカの竜巻情報は平原なので来る方向も時間もよく当たります。
日本では当たり前の桜開花予報とか紅葉前線のような報道は海外にはない独特なものです。どこそこの公園の桜の木の芽が出たとか、何輪咲いたとか、こういう情報を流しているのは日本人にとって祭りの都合もあって重要なのです。また花粉情報とか洗濯情報などかなり細かな情報を流すのも日本の天気予報の特徴で、外国人が驚く日本の習慣の1つです。鹿児島では噴煙情報があり風向きで灰が飛んでくるかどうかは重要な情報なわけです。

気象

水の日

3月22日は世界水の日、World Day for Waterです。日本は世界でも稀な水が豊富な国で、世界の多くが水に困っています。日本の水はほとんどが軟水ですが、欧米は硬水のことが多く、日本人が飲むとほぼお腹の調子が悪くなります。それで欧米では昔から飲用水を売っており、瓶詰めやペットボトルの水が売られているのが当たりまえです。たまに道路や公園に水飲み場があるのも水道水の多くがそのままでは飲めないことが多いからです。日本でも最近は水を買って飲むことが増えましたが、以前は井戸水や水道水をそのまま飲んでいました。地域によっては売ってる水よりおいしい水道水が供給されていることもあります。このことだけでも自然に感謝しないといけません。

日本ではかなり山奥でも水道がきていて、あるいは山の水を引けば水に困ることはありませんが、例えばアメリカでは、住宅地開発に必要なことは水資源の確保で、いわゆるデベロッパーは砂漠のような広大な荒地を買い占め、川から水を引く権利を買い、運河を作って窪地に貯水池を作ることから開発が始まります。そしてその湖の周辺がいわゆるウオーターフロントで、湖でマリンスポーツ施設を作り、水上のレストランのような施設を作って、街づくりをした住宅地を販売するのです。かなり巨大規模の開発になります。日本の不動産業者がデベロッパーと名乗るのと規模が違います。日本でも昔は田園調布開発とか軽井沢開発のような大規模なものもありましたが、最近は大きな古い家を壊して、小さな家を数軒建てて売るようなものが多くなりました。

ところでwaterという英語は動詞もあることをごぞんじでしょうか。Please water them.といえば「植物に水をやってください」ということです。Water them while I am out.という表現はどれも簡単な単語でできていますが、意味はかなり意味深の時があります。「私がいない時も花に水をやってね」ということなので、一緒に住んでいた恋人や妻が出ていく時のセリフなのです。訳す時にはいろいろ単語を補わないといけない高度な意訳文になります。
またJapan has many waters.日本にはたくさんの池や沼などがある、ということなのですが、waterに複数形があるのです。普通の水は物質名詞なので複数形はないのですが、普通名詞にもなり、その時は単なる水ではなく、池のように数えられるものと考えるのです。
英語では物質名詞だけでなく固有名詞も複数になることがあります。White Christmasという歌ではMay your Christmases be white.という下りがあり、これはこれからやってくる何回ものクリスマスという意味を表しています。最近ではWorld Englishesという表現もあり、英語は英米だけでなく豪州やカナダ、南アフリカ、インドなど英語が公用語でしかも違いがあります。それらの総称なのですが、現在ではシンガポール英語、フィリピン英語など独自の言語体系をもつものも英語として扱われ、その中に日本英語も入っています。日本人が卑下する日本式英語は独自の発音と語彙と文法をもっていることが知られており、日本に来て日本を研究する人には日本語と同時に日本英語も学習する必要があると考えられています。言い換えると日本英語は英語世界では話者が1億人もいる言語であり、日本人はそれが理解できているわけですから、もっと自信をもって活用すれば外国人にも十分理解される、ということをまず日本人が理解すべきです。そろそろ英米語だけを崇拝する時代は過ぎ去り、世界はお互いに少しずつ違いのある英語を共通語として認識すべき、という時代になっています。簡単にいえば訛を気にしない、ということです。そして日本英語を認めると同時に、英語風日本語や中国語風日本語も国際語として認めるという思想が大切です。World Japanesesなのですね。間違いはさらっと水に流しましょう。

水の日