十六夜

十六夜

2月18日は太陰暦十六夜です。イザヨイと読みます。他の月は十五夜(じゅうごや)、十三夜(じゅうさんや)のように数字に夜(や)をつけて呼びますが、この日だけ特別な読み方をするので不思議に思っていました。語源を調べてみると、出遅れる、躊躇している、という意味の「いさよう」から来ているようです。満月を過ぎた十六夜月はやや月の出がやや遅くなるので、それを月が出るのをためらっているととらえて、イザヨイというネーミングをしたのだそうです。こういう感覚は日本人独特ではないでしょうか。十六夜の他にも十三夜は満月をまもなく迎えるわくわく感とか、あと少しだという未練などが歌にも歌われています。十三夜、十五夜、十六夜は季語としては月がきれいに見える秋なので、その時に詳しく解説するとしますが、毎月やってくる月齢を楽しむ感性は大切に残しておきたいものです。

月の出に関しては月に異名があり、朔月、望月の他に十七夜は立待月、十八夜が居待月(いまちづき)、十九夜が臥待月(ふしまちづき)、二十夜を更待月(ふけまちづき)として月の出を待つ心境が説明されています。だんだん遅くなるので、最初は立って待ち、次の日は座って待ち、次は寝て待ち、20日には夜半の夜が更けてからになる、ということになります。昔の日本人は夜はのんびり月が出てくるのを待って月見を楽しんでいたのですね。中国でも昔は月を見ながら酒を飲み、詩を作っていたりしたわけです。今では月をもう何日も見ていない人が多いのではないでしょうか。昔の夜は蝋燭やランプの光でしたから、本を読むなどをしないかぎり、寝るまでの間は月や星を眺めて過ごしていたのでしょう。電気の光ができ、ラジオ、テレビ、ゲーム、スマホと室内での楽しみができて、生活が一変してしまいました。その分、人々の心がせわしなくなってしまったと思います。たまには月や星を見て、心を休める時が必要になっていると思います。

十六夜を冠した作品はいろいろありますが、比較的有名なのが十六夜日記ではないでしょうか。教科書にも女流文学の代表作品として出てきます。実は名前だけで本文を読んだことはないのですが、平安時代末期から鎌倉時代にかけては方丈記、徒然草など有名な随筆が創作され、当時はいろいろな出来事があって幕末に並ぶ騒々しい時代です。ある意味現代にも通じる内容となっていますので、教科書のぶつ切りでなく一度全文を現代語訳で読むことをお勧めしたいです。十六夜日記は藤原為家の側室・阿仏尼によって記された紀行文日記だそうで、一族の揉め事の裁定を求めて鎌倉まで出向いた老婆の旅行記だそうです。日記が10月16日から始まっているので後日にその命名になったとか。ほとんどの女流随筆は身近な出来事への感想を綴っているのに対しこの旅行記は当時としては独特です。
今宵は十六夜、秋の十六夜月ほどの美しさはない寒月ですが、折角の機会です。初めて十六夜日記でも読んでみることにします。

十六夜

大安満月

大安満月

2月17日は大安で満月、そして辛丑の吉日です。金運アップの日だそうですから、財布を新調したり、銀行口座を開設したり、会社を設立したりするのに最適の日です。宝くじを買うと当たるかもしれません。縁起をかつぐなら、正にピッタリの日です。

大安とは六曜の中の吉日で、六曜とは大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅が順に巡ってくる暦の一つで、今でも結婚式や葬式などでは重要視する人が多いようです。旧暦があまり利用されなくなったのに比べ、科学的根拠はさらに薄い占いのようなものなのですが、今日でも残っているのは不思議です。

六曜の起源を調べてみても、どれも曖昧で古代中国から鎌倉時代らしいが、盛んになったのは江戸時代からのようです。暦に注記されているので暦注といいます。それぞれの意味もいろいろな解釈があるようです。
最初の先勝は読み方もセンショウ、センカチ、サキガチなどいろいろあります。意味は午前中が吉ということらしいです。急用や訴訟など急ぐことは午前中に済ましなさい、ということのようです。友引は元は共引きでどっちともいえない、勝負がつかない、ということだったのが、陰陽道の災いが友に及ぶという思想と混ざって、葬式を避ける、ということになったようです。なので結婚式に友を呼ぶというのは後付けのようです。先負は先勝の反対で、午後が吉日。ただし急用や訴訟などはせず平穏に過ごしなさい、という日だそうです。仏滅は仏が滅する、つまり仏陀が入滅したと解釈されることもあるが、これは間違い。昔は物滅と書き、万物が滅するのでむなしい日ということであったそうです。結局は凶日なので、何事もしないのがいい、とされているのですが、葬儀だけはいい、という解釈になっています。解釈によっては元の物滅の意味から一旦すべてがクリアされるのだから、ここから始めるのがいい、というのもあるそうで、正に解釈次第ということです。赤口はシャッコウ、シャック、セキグチと読まれ、午の刻つまり正午前後なら吉ですが、それ以外は凶です。なぜ赤なのかも諸説ありますが、陰陽道の赤舌日という説が有力のようです。赤舌日(しゃくぜつにち)とは羅刹(らせつ)という鬼が支配する日であり、凶日とされています。この日は赤が連想させる火事や血を連想させる刃物の怪我に注意せよ、という日だそうです。大安の元は泰安で、何事にも良い吉日です。

六曜信仰は昔から根拠が薄いので信じるなという人が多かったようで、明治以降はとくに迷信として禁じる方針が立てられましたが、こういう意味が曖昧で論理も曖昧で根拠の薄いものほど長く残ってしまうようです。非科学的信仰の典型例で正に迷信なのですが、現代でも気にする人がいるのは科学が万能ではないことを示しているのかもしれません。

大安

藪入り

藪入り

1月16日は藪入りです。藪入りという表現はもう死語になっています。藪入りを知っている人でも1月16日と聞くと違和感を持たれる人がいると思います。藪入りは1月16日と 7月16日の年2回ありました。この日から奉公人は数日間のお休みをもらって実家に帰るのです。今では帰省は夏のお盆と冬の年末年始ということになってしまいましたが、新暦8月15日前後は旧暦の7月16日前後に当たるのでシフトしたのだと考えられます。

昔の奉公はお店(たな)に住み込み(寝食付き)で雇われ、給金はお小遣い程度の丁稚から始まり、次第に腕が上がるようになって、手代や番頭に出世し、嫁をもらったりすると通いになって、別店(支店)を持たせてもらう、というような人生が商人(あきんど)の基本でした。そのため主人と奉公人は家族のような関係だったわけです。

こういう雇用制度は商家だけでなく、職人や寺や神社でも普通のことでした。西洋では身分制度が厳しく、奴隷制度もあり、身分が変わることはほとんどない固定的な封建制度でしたが、日本は奴隷制度はなく、身分制度はあっても、その中での出世の機会もあったわけです。この家族的雇用関係はつい最近まで企業にも受け継がれていたのですが、近年、労働者意識が雇用者、被雇用者ともに変化し、賃金による雇用関係に限定されるようになりました。

藪入りには丁稚は実家に帰る時に家族にお土産を買って帰るのですが、それで有名になった「でっち羊羹」です。発祥は近江だとか。今東京で有名な羊羹は練羊羹と呼ばれる小豆や砂糖や黒糖をふんだんに使って寒天で固めるものですが、関西の丁稚羊羹は寒天はなくこし餡に少量の砂糖と小麦粉で練った皮を蒸しあげたものを竹の皮で包んだ羊羹です。丁稚の少ない給金でも買えるように安価にするためだったそうです。越前(福井県)地方では冬に水羊羹を食べる習慣があり、それも丁稚羊羹と呼ぶことがあるそうで、それは藪入りと関係があるのかもしれません。

「藪入り」という落語も有名です。この落語のマクラに「昔は正月と盆の16日に奉公人が休暇をもらって帰省する藪入りというものがございました」というのがあります。この噺の中に奉公に出した子供の帰省を待つ親の心情が描かれています。この人情噺も元は「お釜さま」という艶笑噺でしたが、艶笑ネタが禁忌となって改作が行われて人情噺になったそうです。サゲが釜(上)から鼠(忠)になったのはペストの流行と関係があるとの解説なので近代の改作なのがわかります。釜はオカマの意味です。LGBTが公認の現代なら原作も問題ないのかもしれませんので、復刻も期待したいところです。なぜ藪というかは諸説あるようですが、藪の多い田舎のことを指すといわれています。

丁稚羊羹

小正月

小正月

今年は新暦2月1日が旧暦1月1日ですから、旧暦との換算が簡単です。2月15日が旧暦1月15日で小正月です。小正月は祝う地域も少なくなり、祝う地域も新暦でしているようです。旧暦では小正月はかなり大切な期間で、14日から16日というのが普通ですが、次の満月まで、とする地域もあったそうです。

そもそも正月とは文字通り最初の一カ月のことですが、今では正月三ケ日だけの意味になっています。そして7日に七草粥を食べて、そこまでが松の内とする風習が広がっています。旧暦では小正月までを松の内とし、この期間に松飾や注連縄など、祖先の霊をお祭りしてきた飾りを火で焼いてお清めするのが、どんど焼きです。どんど焼きというのが広がっていますが、左義長という古称が残っている地域もあるそうです。

どんど焼きの火で枝の先につけた餅を焼く習慣は今でも残っています。小正月の飾りは枝に小さく丸めた餅を張り付けた餅花です。ほぼ同じものですが、柳や水木に丸い飾りをつけた繭玉というのもあります。これらの飾りは今では新暦小正月や正月三ケ日に飾るように変化した地域もありますが、本来は旧暦小正月の風習で、名の通り養蚕業にとっては繭の願うものです。餅花は米の豊作祈願ですから、いずれも五穀豊穣を祈願するものです。正月三ケ日は小正月に比して大正月ということもあり、祖先の霊や歳神をお迎えする祝日ですが、小正月には火を焚いて飾りを焼くという風習は、お盆に迎え火と送り火をする感覚と同じなのかもしれません。

小正月は別名女正月という呼び名もあって、大正月の女性は来客のもてなしなど忙しかったので、小正月は女性がゆっくりするという期間だったそうです。地域によっては男性が代わりに料理をする、という習慣もあるそうです。昔は「男子厨房に入らず」といい、男性が台所をウロウロすることはみっともない、ということでしたが、今では料理男子がオオモテで、料理が上手な男性と結婚したいと公言する女性も増えてきて、年中女正月みたいになってきました。

小正月の食事は小豆粥を食べる習慣です。以前も書いたように赤い小豆は邪気祓いの意味があり無病息災祈願です。古来、中国では冬至に小豆粥を食べた風習が平安時代に日本に伝わり、それが小正月の食べ物に変わったそうです。韓国では今でも冬至に小豆粥を食べるそうです。ネットで見ると韓国の小豆粥は甘くないぜんざいのような感じです。日本の小豆粥は御粥に小豆を入れた感じになっています。作り方はネットで探してください。先に小豆を茹でておく、煮汁をとっておくなど、ちょっとだけ手間がかかります。疫病が流行っている昨今はぜひ小豆粥を食べてみてはいかがでしょうか。

餅花

バレンタインデー

バレンタインデー

バレンタインデーといえばチョコレートの日が日本の常識です。そもそもは普段愛を告白できない女性が男性に愛を告白する日であったはずで、その思いをチョコレートに込めて意中の男性に贈る、という習慣でした。これは元々あるチョコレートメーカーが仕掛けた商戦だったのですが、見事にはまってチョコレートの日になりました。

バレンタインはカトリックの聖人の一人で、ローマ時代、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、内緒で結婚式を行っていたが、その噂が皇帝の耳に入り皇帝は二度とそのような行為をしないよう命令した。しかし彼は毅然として皇帝の命令に屈しなかったため処刑された。処刑の日がジュノーの祭日である2月14日であることから、この日が聖バレンタインの祝日ということになったそうです。欧米では男女の愛の日というよりも家族や友人などへの愛を示す日で、アメリカでは男女愛の場合もありますが、普通は幼稚園などで生徒が先生にクッキーを贈る日となって残っています。チョコレートがいけないわけではなく、お菓子ならなんでもいいらしいです。男性に贈る場合も自由のようです。

日本はチョコレート贈呈のみが残り、義理チョコや最近は自分へのご褒美チョコが広がってきており、もう何がなんだかわからなくなってきています。

さらに日本的なのはチョコレートをもらった男性は3月14日にお返しに白いものを贈るということになって、それがホワイトデーになり、最初はマシュマロだったのが、和菓子メーカーの宣伝で饅頭になったり、また倍返しとかいろいろ日本的変化しています。

韓国では日本からこのチョコレート贈呈文化が入って、バレンタインにチョコレートをもらえなかった男性やホワイトデーにもらえなかった女性が4月14日にカレーを食べるイエローデーができたそうです。さらにそのイエローデーにも呼ばれなかった孤独の寂しい男女は5月14日に一人でジャージャー麺を食べるブラックデーというのもあると韓国人の友人から聞きました。これが韓国風進化形だそうです。伝聞なので違っているかもしれませんが、文化の伝播のしくみがわかっておもしろいと思います。

バレンタインも昔はアメリカでもそれなりに流行っていたようで、ジャズの有名な曲に「マイ・ファニー・バレンタイン」というのがあります。これはバレンタインデーとの直接の関係はなくバレンタインという名前の男性への愛の歌です。ちょっとコミックでメロディの印象とは違いますが、和訳もネットに流れていますので、歌詞を見てから、一度お聞きになってはいかがでしょうか。マスコミが流すチョコレートの騒動に巻き込まれず、これも新しいバレンタインデーだと思います。

バレンタイン

論理と証拠

論理と証拠

近年は盛んにエビデンスという表現が見られます。どうして証拠という日本語でいけないのか理解不能です。ある解説によると、エビデンスとは本来、科学的根拠のことですが、いろいろな分野で使われていく中で語義がだんだん曖昧になり、ファクトの意味をもつようになった、といいます。つまりエビデンスの方が意味が広く曖昧だということのようです。この説明もいささか曖昧です。外来語にはこうした注意が必要です。

科学は論理と証拠によって証明する分野、と一般的に思われていますが、実際に科学に携わってみると、論理のみとか証拠(事実)のみという科学論文を多くみます。これは現代科学が仮説の論証というしくみになっているからです。仮説とは文字通り仮の設定であり、言い換えると思いつきです。思いつきなので、どんな仮説を立てるのも自由です。その仮説を論理と証拠をもって説明し、みんなが納得すればそれでよい、ということになっています。これを説明の妥当性といいます。このみんなが納得している説明が定説です。従って、ある人が定説と異なる仮説を立てて、新たな妥当性のある説明をすると「定説が崩れた」ことになります。実際の説明はそれほど単純ではなく、論理に無理がないか、証拠は正しいか、などの検証が行われます。それが反論です。その反論に対して再反論していきます。それが議論ということです。その議論を第三者が見て妥当性を判断していく、という過程をとります。議論といっても目の前で直接対話することもありますが、論文という文章による場合もあります。どちらかに正当性があるわけではないのですが、対話だと議論に参加できる人が少ないのに対し、論文による議論は時空を超えて参加することができるので、より妥当性がある、と考える人が多いです。

論理についてはすでに多くの経験知があり、ほぼ一定の様式があります。しかし証拠の方はいろいろな提示方法があります。実際に物があれば、それを示せばいいわけです。化石などがそれに当たります。しかし実験結果とか計算結果などの抽象的な証拠はただ示せばよいというものではなく、他の人が同じ手続きで再現できることが重要です。また宇宙空間のようになかなか証拠が見つけにくい分野もあります。原子物理学などでは論理的に仮説を説明できても証拠が見つかるまでに何年もかかることがよくあります。

反対に先に証拠が見つかり、それを説明する論理が見つからないこともあります。自然現象の多くはどうしてなのか、そのメカニズムがわからないことがたくさんあります。

こうしてみると、論理と証拠で科学ができている、といってもそれほど単純な世界ではないことがわかります。つまり科学的根拠といっても、いつも見つかるわけでもなく、またその根拠が完全であるとはかぎらない、という曖昧な世界であることを理解したいです。

エビデンス

迷信

迷信

旧暦のいろいろな行事、たとえば節分の豆撒きなどを迷信として取り合わない人をよくみかけます。そもそも迷信とは何でしょうか。辞書の定義だと「人々が信じていることのうち、合理的根拠を欠いているもの」とあり、似たような概念として「俗信」があるが、迷信と俗信との違いは、社会的な実害があるものが迷信、実害がないものが俗信とされています。俗信という表現はあまり一般的でなく、実害について人々が意識しているかどうかは疑問です。何となく科学的でないもの、という感覚ではないか、と思うのです。それに実害といっても、人により感覚の違いは大きいと思います。節分の豆撒きも行事そのものに実害があると考える人は少ないでしょうが、撒いた豆の掃除が大変とか、声がうるさいという人もいると思いますから、害の感覚は一定ではないと思われます。節分の恵方巻にしても、のどに詰まらせることがあるかもしれませんし、最近はフードロスという問題もあるので、辞書の定義によれば恵方巻は俗信でなく迷信ということになってしまいます。

節分の飾りとして、柊の枝に鰯を指して戸口に飾るという風習がある地域があります。ここから「鰯の頭も信心から」という諺ができたとされていますが、こうした魔除けは迷信なのでしょうか。この諺の意味は、鰯の頭のようなつまらないものでも信じる人には大切なものであるから、信仰とは不思議なことだ、というものですが、実際に飾っている地域では信仰心とは限らず、単なる風習であることが多いと思います。これを迷信だというならば、正月のお飾り、鏡餅、お節料理など、まためでたい時に鯛を食べる、紅白はめでたくて黒白は不祝儀、お雛様など全部が迷信ないし俗信になってしまいます。これらの習慣や行事に科学的根拠や実利を考える人の方が少ないと思います。

一方で、おばあさんの知恵とか、昔からいわれていることに後付けの科学的根拠をつけて有難がる傾向もあります。科学的根拠よりは生活上の便利さが強調されています。食べ物の食べ合わせなど、根拠がないとか、昔の知恵だとか、ご都合主義的に選択されているような気がします。その証拠に良い悪いの判断が変わることがよくあります。

迷信について厳しくなったのは明治以降のようです。江戸時代までは科学信仰は弱く、むしろ習慣や伝統が重視されていたのを、明治時代に文明開化という西欧化によって、こうした俗信をすべて迷信として排除したのです。太平洋戦争後は唯物論的思想がより強くなり、辞書のように合理性を重視する傾向はさらに強くなりました。その西欧には今でも多くの俗信や迷信が残っていますが、それらは文化であるとしています。この判断基準のゆがみはそろそろ直した方がよい、と思います。明日は西洋の迷信をいくつかご紹介いたします。最近の傾向は合理性だけでなく、エビデンスの過剰重視も目立ちます。エビデンスとは何かについても解説していきます。

迷信

建国記念日

建国記念日

2月11日は建国記念の日で休日です。今年は金曜日で次が土曜日なので連休の人もあるかもしれませんが、昨今の状況ではお出かけも難しいですね。雪が降る所も多いので雪見酒というのもオツなものです。

建国記念の日は昔は紀元節といいましたが、戦後GHQのお達しで名前が変わったそうです。いくら戦勝国とはいえ他国の文化にまで踏み込むのは横暴だったのですが、日本人は素直に受け入れ今日に至っています。紀元節とは日本の国の起源は日本武尊が神武天皇として初めて天皇に即位したのが、日本書紀によれば「辛酉年春正月、辛酉朔」(かのととりの年の春正月のかのえたつの日でさくじつ)とあるそうなので、1月1日であることがわかります。問題は辛酉が何年のことか、ですが、元日が辛酉であることから、推定ができます。紀元節を定めたのは明治政府で、それまでは日本書紀の記述はあっても誰も気にしていなかったようです。明治政府はそれまでの太陽太陰暦を廃止して西洋のグレゴリオ歴を採用したように、西洋の暦法である西暦を採り入れようとし、同時にある時点から起算する方法を採用しようとしました。それまでの干支による暦法は通して歴史を考えるには不便だったからです。それで明治5年、日本の紀元を神武天皇即位の日と定め、新暦の1873年1月29日を紀元節と定めました。なぜかというと、その日が旧暦換算だと明治6年1月1日に相当するからです。これは以前のコラムに書いた暦法の改定で、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることになったので、換算すると新暦1月19日なるということであった。ところが、暦法改定の混乱から、国民はこの日が正月になるという理解になると考えた政府は、改めて換算をし直し2月11日が紀元と定めた。その根拠がよくわからないのですが、日本書紀の辛酉(かのえたつ)の日を推定すると立春から最初の庚辰の日が2月11日になるそうである。年号としてはグレゴリオ暦だと紀元前660年だそうです。朔は月齢なので、コンピュータのなかった当時は無視されたらしい。

現在では西暦が当たり前で、日本史も西暦で覚えることに慣れています。歴史を語呂合わせで覚えた人がほとんどでしょう。西暦0年はキリストの生まれた年ということから始まったのですが、今ではキリストの誕生はAD4年になっています。BCはbefore ChristですがADがanno domini(支配の年)の略であることは案外知られていません。西暦はキリスト誕生を紀元としているのですから、当然それに従わない暦法もあります。イスラム暦はヒジュラ暦といい、ムハンマドが遷都(ヒジュラ)したことを紀元としています。今年(2022年)はヒジュラ暦1443年だそうです。日付も違い暦の内容も違っています。ユダヤでは神が世界を支配した日を紀元としており紀元前3761年ということになっているそうです。日付も西暦とは違うため、ユダヤ暦は換算には高度な計算が必要です。紀元にはいろいろあるので改めて西暦とは欧米の習慣を採り入れたことを知っておきたいです。

建国記念日

初午

初午

立春後の初めての午の日に初午詣りが行われます。初午は初〇の中で最も有名で「明烏」の初めの方に、真面目一方の大店の若旦那が初午のお稲荷さん詣りでおこわをたくさんいただく、という下りがでてきます。吉原へもお稲荷さんのお籠りということで連れていかれる筋になっています。江戸では重要な祭日の1つでした。

この話からもわかるように初午は稲荷神社の祭礼で、馬なのになぜ狐かというと、稲荷が「稲成り」に通じるという例の語呂合わせで、農業や延いては商売繁盛の神様ということになりました。稲荷神社では宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神で別名を御饌津神(みけつかみ)といいます。この“みけつかみ”とキツネの古名で、現在も大阪でいう「けつね」という呼び方の“けつ”の部分が相通じるものとして、お稲荷さん=キツネという強引な語呂合わせの結果のようです。

初午では稲荷神社にいなり寿司を奉納するのが習わしで、それでおいなりさんの名前があります。狐は油揚げが好物とされていますが、本来は肉食動物で野ネズミなどを食べるのですが、祭りに殺生もできないので、代わりに大豆の揚げ物の代用品というわけです。現代も大豆ミートなどが流行りですから、発想は今も昔も同じなのかもしれません。稲荷神社の総本社は伏見稲荷ですが、分社が全国にあります。この稲荷神社の狐は正一位大明神という位の高い神様です。

いなり寿司には地方性があり、おおまかに関東が俵型、関西が三角型です。俵は米俵、三角は狐の耳の象徴だそうです。また裏返しのタイプや、中に具を入れるタイプもあります。おこわを入れる地域もあります。

東京には志乃田寿司といういなり寿司の有名店がありますが、元々は大阪の店だったそうで、歌舞伎の信太の狐から取ったそうです。この女狐は「葛の葉」といい、歌舞伎や浄瑠璃の人気演目「蘆屋道満大内鑑」に出てきます。安倍晴明の母という伝説もあるそうです。葛の葉はある物語(詳しくは歌舞伎か浄瑠璃をご覧ください)の最後に「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という一首を残して信太の森へ帰るのです。この舞台が和泉国なので阿倍野区の元になっており阿倍野区に晴明神社があります。かなり話を端折っているのですが、長い説明なので詳しくはご自分でお調べになってください。JR西日本の北信田駅は昔葛野稲荷停留場だったそうです。この神社には古歌の歌碑もあるそうです。ちなみに初午は新暦の3月だそうですのでお間違いなく。
初午のお詣りができない方はせめておいなりさんでも召し上がって五穀豊穣祈願なさってください。

いなり

初巳

初巳

旧暦1月9日は初巳です。初辰に続く祭日です。初巳は弁財天(弁天様)の祭日で、日本三大弁天である竹生島神社(滋賀県)、江島神社(神奈川県)、厳島神社(広島県)を始め、全国の弁天様で初巳の例祭が行われます。例祭というのは、その神社の由来に関わる祭日のことです。例大祭と呼ばれることもあります。

弁財天は七福神の1つで女性の神様で琵琶を持っていますから、芸事の神様です。また同時に金運、財運の神様なので、銭洗い弁天というザルにお金を入れて洗うと増えるという信心もあります。巳は蛇のことで、蛇は弁天様の使いまたは弁天様の化身とされているところから、蛇が金運につながる、として、蛇の脱皮を財布に入れておく、という迷信も生まれました。財布を新しいものと交換するのも巳の日がいいとされています。

蛇の古代語は「みずち」で水神なので、蛇は同じ水神である龍に変身するとされています。水は古来、日本では重要なものでしたから、水は宝であり、そこから金や財宝へと意味が変化していったのだと推測されます。

昨日の初辰で住吉大社の浅澤社(べんてんさん)にお詣りされた方は二日続けてという欲の深いことを考えない方がよいと思います。

巳によく似た字が己(つちのと)でこれが重なる己巳(つちのとみ、きし)の日はとくに吉日とされていて、よく深い人はこの日の参拝がお勧めです。旧暦カレンダーだと今年は最初が1月16日で次が3月17日です。60日おきに巡ってくるので、だいたい2か月に一度はあります。この日に米と銭を紙に包んで財布に入れておくと、その1年間はお金に困らないそうです。ただし1年たったら弁天様に奉納し新調しましょう。

銭洗い弁天で洗ったお金は大切に財布に入れておきます。それが新しい仲間を呼んでくれるそうです。なので1万円札がベストです。全部水に浸すとしわになりますから、隅を少し濡らす程度でいいです。

巳の日は金運だけでなく、新しい事を始める吉日ともされています。反対に結婚や婚約は禁忌です。弁天様は女性なので嫉妬されるとか。神様も嫉妬されるのですね。そして貸借も禁忌です。貸借は争いごとの種。金儲けにはつながらない、という教えです。「金がない」という言葉も禁忌です。またお金はきれいなところが好き、なのだそうです。お財布を掃除する、レシートやカードを整理する、などお金にまつわる場所は常に整理整頓することが金運につながるとのこと。納得ですね。

銭洗い弁天