睦月の異名

睦月の異名

2月28日は旧暦1月28日。今年はたまたま新暦2月1日が旧暦1月1日朔日なので、今月はぴったり1月遅れでしたが、その一致も今日までです。旧暦では1月30日まであるので、あと2日分が翌3月になり、新暦3月3日が旧暦の2月1日朔日となり新月になります。

1月は別名睦月であることは知られています。ではなぜ睦月というかというのは諸説あるようですが、私の好みでいえば、睦は「仲睦まじい」の睦なので、仲が良いという意味に解釈し、正月には家族みんなが集まって仲良く過ごすという月なのだと理解しています。睦まじいというと現代では夫婦や恋人のような男女間のことに限定して解釈されることが多いのですが、本来はみんなで仲良くという意味です。

今はもうほとんど歌われないのですが、昔の卒業式の定番「仰げば尊し」の二番に「互いに睦みし日頃の恩、別るる後にもやよ忘るな、身を立て名を上げやよ励めよ、今こそ別れめ、いざさらば」という個所があり、「お互いに親しくしたことの日頃の恩は別れた後も忘れないでおこうね」という意味であり、睦むは仲良くすることだとわかります。この歌は文語なので意味がわかりにくいという理由からでしょうか、だんだん歌われなくなり、代わりに世代ごとに卒業ソングが出るようになりました。ついでに解説すると「やよ」は古語で「やあ、さあ」という呼びかけの意味の間投詞。「別れめ」は「別れむ」が「こそ」の係り結びで已然形になっています。こういう古文に親しんでおくことで日本の長い伝統を学ぶことができる絶好の機会でしたが、捨ててしまったのは残念なことです。「どういう意味だろう?」という疑問が学問的好奇心の始まりです。一方で蛍の光は今でも歌われます。こちらも古語なのですが、なぜなのか不思議でなりません。我が師の恩ということがよくなかったのでしょうか。

睦月の語源解釈には稲の実を水に浸すという「実月」が転じたというのもあり農業に暦が直結していた時代を思わせます。日本にはさらに異称があり、初春月とか早緑月(さみどりづき)というのもあるそうで、日本人の敏感な季節感が反映されています。

英語のJanuaryの語源はローマ神話のJanus(ヤヌス)という両面神で門の守護神だそうです。両面神とは頭の前と後ろに顔がある奇妙な形をしている神です。門の守護神なので始まり(入口)つまり新年と終わり(出口)つまり旧年を意味しているとされ、1月に配置されたのだそうです。ローマ神話はギリシア神話と関係が深く、神のほとんどは対応していますが、このヤヌスに対応する神がギリシア神話には見当たらないのだそうですから、ローマ神話オリジナルといえます。

ヤヌス神についてはローマ神話に興味のある方以外はあまりごぞんじがなく、「ヤヌスの鏡」という漫画とそのテレビドラマ化でごぞんじの方が多いと思います。そのせいかヤヌスは二重人格のことという誤解もあるようですが、本来は二面性それも門が入口でもあり出口でもあることからきています。

物理学の世界にはヤヌス粒子というのもあるそうで説明を読んだのですがさっぱり理解できませんでした。薬学にはヤヌスキナーゼというのもあるそうで説明は理解できませんでしたが、発毛剤とか関節リウマチ、潰瘍性大腸炎の薬がそうで、ヤヌスもあちこち役に立っているのですね。

睦月

日干支

日干支

干支といえば年干支がよく知られています。実は月や日にも干支が当てはめられています。鰻を食べるのに丑の日とか、安産のお守りをいただくのは戌(いぬ)の日がいい、などという言い伝えがありますが、これは十二支を当てはめた日のことです。旧暦カレンダーには月の干支と日の干支もあり、それぞれが十干十二支の60種類が当てはめられているのですから、その組み合わせは60x60x60=216,000通りもあるわけですから、歴史的にある日を特定するには十分すぎるわけです。現在は西暦年号に月日を当てるしくみなので無限大に組み合わせがあり、数字だけなのでシンプルに特定しやすいため、こちらが使われています。干支による特定は直観的にとらえにくい欠点はありますが、昔の人は十干も十二支も覚えていたので、それほど困難はなかったのかもしれません。

現在でもこの日干支を使った占いもあります。年干支による言い伝えは有名で、その動物の性格をそのまま応用したり、ある特定の歳、たとえば丙午の出産を避けたりという習慣が昔はありました。今日では迷信として片付けられています。それでも鰻を食べたり、安産守りを授けてもらったりという行事は続いています。

2022年2月27日の日干支は辛亥(かのとい)です。辛亥といえば辛亥革命が有名ですが、十干十二支を知っていると、ちょっと面倒ですが今から数えて111年前ということがわかります。ほとんどの人は1911年という西暦で覚えていると思いますが、こういう歴史上の年号は忘れると再構成できないのですが、干支を知れば逆算可能なわけです。日本史でも同じことですから、乱や戦争のことを干支で表現してきたのは明治にグレゴリオ暦を導入するまでは当たり前のことだったわけです。明治維新の戊辰戦争が1868年に起きたことは語呂合わせで覚えるしかないので、歴史という科目が暗記科目になってしまった原因の一つがここにあると思われます。日本史では保元や平治のように元号を使う場合もあるので、さらにややこしくなります。これで日本史が嫌いになった人もいるかもしれません。

辛亥革命は中国で長年続いた王朝支配が終わったことで画期的な出来事でした。10月に武昌と漢陽(漢口)が孫文配下の革命軍により制圧し中華民国政府が樹立されました。この武昌と漢口が1つになったのが現在の武漢です。武漢が再び新型コロナウイルスで有名になったのが2019年で年干支は己亥(つちのとい)と同じ亥年なのを偶然とみるかどうかはあなた次第です。ちなみに月干支と日干支は亥ではありません。

干支は十干の10種類と十二支の12の組み合わせですから120通りあり、占いとして考えるなら人間の性格とか物事の事象の数はほぼその範囲内にあるでしょう。そんなにないかもしれません。血液型の4種類でさえ当たるような感覚がありますから、これだけ精緻に分類されると当たるような感覚はさらに増えます。迷信深い昔の人がこれを指針として日々生きてきたことを全面的に否定しても意味はないと思われます。むしろ昔の生活上の経験の積み重ねを分類し、当てはめてきた知恵のようなものに現代的に敬意を表してもいいと思います。占いが科学ではないことは明白ですが、非科学的なものにもそれなりの根拠があると肯定的にとらえてみてはどうでしょうか。是か非かという二項対立ではなく、もっとグレーゾーンに注目するという態度がより科学的に学問することだと思われます。

干支

226事件

226事件

2月26日はあの226事件の日です。この日になるとなぜか五代目柳家小さん師匠のことを思いだします。たぶんインタビュー番組か高座のマクラなのかだったという曖昧な記憶ですが、師匠はまだ前座だった頃、徴兵になり入隊後1か月で配属された歩兵連隊が226事件の出動で反乱軍になってしまったという話をされていました。夜明けに叩き起こされて出兵になり、訳も分からないうちに反乱軍にされてしまい、挙句に満州に転属になって、その後苦労された、という話です。1兵卒というのはそういうものなのだ、と妙に納得した反面そうした若いうちの苦労があって、あの飄々とした語り口ができたのだという理解もできました。

226事件については解説がいろいろ出ていますから、そちらを読んでいただくとして、これは現在から見ると最後のクーデターと位置付けることができると思います。クーデターと似たような表現に革命がありますが、違いは行動の背景に思想があるかどうかのようです。その意味だと226事件を起こした青年将校には思想もあったので革命といえなくもないのですが、どうもここでいう思想とは共産主義のような思想のことを指すようです。クーデターはフランス語のCoup d’Etatからきた外来語で英語でもそう呼んでいますが発音は若干違います。意味はcoupが一撃、d’=deでofに相当する前置詞、etatはstateと同じ意味で国家です。直訳すると国家(へ)の一撃となり、武力的な反乱を意味します。英語で革命はrevolution 反乱はrebellionといい、はっきり区別されています。Wikipediaによれば「革命はイデオロギーの抜本的な改革を行い、政治権力や社会制度などの体制そのものの変革を目的とする。反乱は政治的な暴力の行使であり、より保守的な政治性を持ち政治的支配の変更を達成するために行われる。対してクーデターでは支配階級内部での権力移動の中で、既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと」となっています。要するに武力で体制を変更しようとする点は同じですが、変えようとする体制の規模の違いのようです。Revolveはあの回転式拳銃のリボルバーからわかるようにひっくり返すこと、rebelは謀反とか戦争のことです。そのどちらでもないので英語でも政治用語としてクーデターを借用しています。ちなみに226事件は英語では226 incidentsと訳されているようで、単なる事件扱いです。説明としてattempted coup, military revoltとなっているので、クーデター未遂または軍事暴動となっています。

つまり日本的には大事件ですが、外国の視点からすると小さなよくある事件という扱いです。外国はこの程度のことは日常茶飯事ということでもあります。日本では歴史上、いくつかの反乱事件があり、古くは壬申の乱、承久の乱、本能寺の変、などそれなりにあるのですが、完全に政権が交替したのは承久の乱による幕府政権と戊辰戦争による明治維新くらいです。2千年もある歴史の中でこれだけしか武力による目立った政権交代がない、というのも世界的に珍しいといえます。日本人はこうした感覚に慣れているため、外国で頻繁に闘争があり戦争があることがよく理解できず、平和が当たり前で、話し合えば戦争はないと考える人がかなりいます。日本人的感覚だと平和と平和の間に戦争がある、という感覚ですが、外国では逆で戦争と戦争の間にあるのが平和と考えます。つまり戦争は必ず起こるもので、それを外交努力でできるだけ阻止し、起こるにしても自国に有利になるような展開を考えます。「争いは常にあるもの」という想定で危機管理をします。小さい諍いのうちに終息させ大きな闘争にならないように尽力することになります。そのため言語による闘争や情報戦が重要な訳です。こういう諸外国と外交する場合の日本人は心構えをそれなりにして相手の考えを正確にとらえるようにしないとうまくいきません。

雪

初天神

初天神

毎月25日は天神祭です。現在は新暦1月25日を祭礼にしている天満宮が多いと思いますが、旧暦の方が昔の習慣がよくわかります。天神様は言わずと知れた菅原道真公ですが、天の神という意味ではなく、道真公の神号である天満大自在天神の略称なのです。それゆえ道真公を祭る神社は天満宮と呼ばれます。それにしてもすごい神号で平安時代の人はよほど恐れたと見えます。道真公(菅公ともいう)はいわゆる怨霊で、日本では古来、怨霊を崇める信仰があります。人の恨みをかうようなことをしてはいけないという教訓なのでしょう。天神様は神様であると同時にいくつもの仏に変身され人々を救いに現れるとされています。天神様に関する物語は実に多いので、ご興味のある方は調べてみてください。
天神様と梅の関係は有名な和歌だけではなく、梅は金剛界における天神で、天神は胎蔵界における梅であり梅を胸に抱く天神こそ、それら二つの宇宙の象徴であるという言い伝えもあります。たんなる梅の花ではなく天神様そのものでもあるのです。飛梅伝説もそれを知っていると真実味が増すかもしれません。
京都仏光寺通りに菅大臣神社がありますが、ここが菅公の屋敷跡とされ、飛梅の元の梅の木があります。あの和歌の元になった梅です。ここから太宰府まで飛んでいったのですね。
  東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花、主なきとて春な忘れそ
東風(こち)は今でいう春一番。旧暦の今頃だと春を告げる東風が吹いてきます。梅の花も盛りになっている地域が増えてきています。梅祭りは全国的にありますが、京都では北野天満宮が有名です。しかし菅大臣神社は訪れる人は多くはないようですから、菅公を偲ぶにはこちらの方がオススメです。この和歌、「な~そ」という禁止命令セットの文法の例として受験生の古文学習では昔はよく知られていたのですが、今は古文という科目もほぼなくなり古典を学ぶ機会が減ったのは残念なことです。せめて大人になったらじっくり古典を味わう余裕がほしいものです。

梅干しの種を割ると中に仁があります。これを天神様と呼びます。菅公は梅干しが好きだったという伝説かららしいですが、仁はほのかな塩味で好む人もいます。杏子の仁が杏仁で、これを集めて粉にしたものを杏仁霜といい漢方薬です。この粉から作るのが本来の杏仁豆腐で薬膳料理でした。今流行りのアーモンドミルクも梅や杏子と同じバラ科の実の種ですから、いずれも健康によいのでしょう。

初天神という落語も有名です。元は上方落語でしたが、今では東西両方で演じられます。子煩悩の父親と生意気な息子との会話が楽しいのですが、演者により子供の性格や父親の性格の違いが表現されます。団子の蜜の二度付け禁止はもしかすると串カツの二度付け禁止につながっているかもしれません。無論本当の理由は違うと思います。場所は大阪だと大阪天満宮、東京だと湯島天神か亀戸天神ということになるのでしょうが、今は賑わい方が違っています。この時期は受験生の親子で一杯です。学業の神様ということなのですが、天神様は豊穣の神様でもあり、また鷽(うそ)替えといい、前年の厄を嘘だとして取り換えて今年の幸を願う神事もあります。

天神社は全国に数多くありますが、中には天津神(あまつかみ)を祭る神社もあり、菅公とは別なのでご注意を。天満宮あるいは菅原神社が菅公をお祭りしています。関東の谷保天満宮は関東最古の天満宮ですが、野暮(やぼ)の語源になったとされています。諸説ありますが、野暮は野夫が訛ったとか。色里で粋でない田舎者をそう呼んだとされています。神社もいい迷惑です。

天満宮

大喪の礼

大喪の礼

平成元年(1989)2月24日は昭和天皇の大喪の礼があった日です。崩御されたのは1月7日でした。昭和天皇はご在位が63年と長く、その前の大正天皇の大喪の礼は昭和2年(1927)でしたから、当時10歳以上だった人はこの時73歳以上ということです。2度見た方は少なかったでしょう。当時テレビなどありませんから、葬列を見た人はほとんどないと思われます。ネット情報では「大喪儀は2月7日夜に天皇の霊柩を乗せた牛車を中心として組まれた葬列が、宮城(現・皇居)正門を出発することに始まった。宮中の伝統に従って夜間に執り行われたため、葬列はたいまつやかがり火等が照らす中を進行した。」とありますから、平安時代さながらの行事であったことと思われます。
平成の大喪の礼は一部テレビ報道がありましたし、解説もあったので覚えておられる方も多いと思います。この解説の中で八瀬の童子という特殊な集団があることを知りました。比叡山に行く時、叡山電鉄で終点の八瀬比叡山口まで行き、そこからロープウエイに乗り換えるので、なんとなく記憶がある地名でしたが、そこの人々の中に八瀬童子という集団があり、代々天皇の輿丁として奉仕することを仕事とする人々であることを始めて知ったわけです。伝説では比叡山開祖の最澄が鬼を使役として使い、その鬼の子孫ということになっています。鬼の子孫伝説は全国的にありますが、ここの人々は比叡山天台座主の輿を担ぐ役目で、天皇の輿も担ぐという役割もあるという特別な人々です。八瀬童子についてはいろいろ民俗学的研究もあるので、詳しくはそちらを調べていただくとして、昭和天皇の大喪の礼では、明治・大正の時のように八瀬童子が天皇の棺(葱華輦そうかれん)を担ぐかどうかで揉めたそうです。そもそも牛車ではなく自動車とサイドカー付オートバイの車列ですから、近代的に変えようとする意見と伝統を守るという意見が対立するのは当然です。結局は八瀬童子の代表が輿丁に参加するという妥協案になったそうです。
資料によると「建武3(1336)年、後醍醐天皇が実際に八瀬童子に対して功績を認めて課役免除の特権を保障した綸旨(りんじ)(=天皇の公文書)に始まり、明治天皇に至る25通もの歴代天皇の綸旨が現存しています。神社仏閣や大名家でもないただの村落に、これだけ代々の天皇の公文書が残されているなど、他所にはありえません。そして、実際600年以上の間、八瀬童子は天皇家に鮎、栗、栢(かしわ)を献上し、時に御所の輿丁(よちょう)(輿を担ぐ雑役)を務めてきた。八瀬は天皇との特別なつながりを認められ、租税免除の特権を有していました。それは、なんと昭和20年の敗戦時まで続いていたのです」とのこと。労役に対しても昔はきちんと上の人々が待遇していたことがわかります。外国の奴隷とは考え方が全く違います。労役を提供する側も名誉と考えていたわけです。現在でも皇室への献上は贈る側の名誉であって、ただのプレゼントではないことを知っておきたいですね。

天皇が乗る輿は葱華輦と鳳輦(ほうれん)の2種類があり、屋根の上に葱坊主がついているのが葱華輦で鳳凰がついているのが鳳輦です。この2つは神社の神輿の上にもついており、葱坊主の方は武道館や伊勢の斎宮の神輿、京都下鴨神社の神輿、北野天満宮の神輿にもついています。葱坊主にしろ、鳳凰にしろ、天皇の輿との関連が深いのです。大喪の礼では棺は葱華輦で運ばれました。自衛隊の弔砲は軍事だと騒いだ人もいましたが、弔砲や半旗は欧米の儀礼習慣であり当然のことでした。雅楽の吹奏、鈍色(にびいろ)の衣冠単という古式の装束が平安時代を思わせ諸外国に日本の伝統文化が強く印象づけられた日でもありました。いわゆる歌舞音曲の自粛もありましたから、天皇に反対する人々の批判もありました。TVCMもACジャパン(旧公共広告機構)に差し替えられました。今またACジャパンCMが増えたのは全く別の理由です。

御紋

天皇誕生日

天皇誕生日

2月23日は天皇誕生日です。天皇についてあれこれ議論するのは畏れ多いので、外国人がどう考えるのかを考えてみたいと思います。英語ではEmperorといいますが、陛下を英語でどう呼ぶかというと、ちょっとややこしくて、面と向かっての場合(まず滅多にないですが映画などでは出てきます)Your Majestyです。それ以外は三人称でHis Majestyです。なので今上陛下はHis Majescty the Emperorとなります。皇后陛下はHer Majesty the Empressです。天皇皇后両陛下はTheir Majesties the Emperor and the Empressとなります。英文法の人称と複数がきっちりでてきます。殿下は(Imperial)Highnessですが、英国だとRoyal Highnessです。英国皇太子は正式にはHis Royal Highness, the Prince of Walesですが通常Prince of Walesのみです。他国の皇太子はthe Crown Princeと呼んでいます。現在の天皇陛下が皇太子だった頃はHis Imperial Highness, the Crown Prince Naruhitoでした。秋篠宮様は皇太子ではなく皇嗣という名称を選択されているので、the Imperial Heirという変則的な名称にされておられると推測します。Heirは継承者という意味なので候補者が何人もいることになります。現状順位一位なので本来ですと皇太子であるthe Crown Princeなのですが、海外でどのように呼称されているのか興味深いです。

皇帝emperorと王kingの違いは日本では曖昧に理解されています。ちなみに英国の正式名称はUnited Kingdom of the Britain and the Northern Irelandという世界一長い国名で、通称はUKであり日本では連合王国と訳していますが英国の方に馴染みがあります。従って英国王はthe Kingで現在は女王なのでthe Queenです。このqueenは女王の場合もあり王妃の場合もありますので、ややこしいです。皇帝と王の違いは支配圏の違いで、王が1国を支配しているだけに対し、皇帝は他国も支配していることを意味します。従って英国がかつて大英帝国だった時代はBritish Empireと呼ばれていました。支配者はemperorだったのですが、植民地が独立したため王国になったわけです。連合となっているのはイングランドの他にスコットランド、ウエールズ、北アイルランドという昔は国だったものを併合したことを象徴し皇太子をウエールズの支配者(duke)にしたことを名称に残しています。西洋で皇帝というのはローマとスペインくらいです。中国も皇帝がいました。このように他国を支配することを帝国主義imperialismといいます。現在、世界で皇帝と呼べる人は日本だけになっています。しかし日本は現在他国を支配していませんから定義上は皇帝とは呼べませんが古代からの天皇という名称を持続しているので、翻訳上は皇からemperorと訳すのが恒例になっています。Royalという形容詞はフランス語のroi(王)が語源なので日本の皇室に関しては帝国ホテルImperial Hotelのようにimperialが正しいのですが、現在はロイヤルという表現も増えてきてごちゃごちゃになっています。よく支配的な人を〇〇天皇と揶揄することがありますが、これも語義上は間違いです。一方でホームラン王のように表現します。王は本来血統なので、これはアメリカ英語の影響です。

天皇誕生日

猫の日

猫の日

2月22日は例の語呂合わせで、ニャンニャンの日、猫の日です。ちなみに犬の日も当然ありますが、今日は猫の話題のみにします。猫に関する話題は非常に多いので選択に困るのですが、まずは猫目石(キャッツアイ)について。キャッツアイというと漫画の方が有名かもしれませんが、本来は宝石の名前です。正確には猫目石とキャッツアイは別物でクリソベリルという種類だそうです。猫の目の瞳孔のような縦筋模様がでる宝石のことだそうです。クリソベリルというのも余り聞いたことのない希少な石だそうですが、その中でもクリソベリル・キャッツアイはとくに希少で高価なのだそうです。

猫でも黒猫は西洋では不吉な意味が広がっており、魔女の使いという伝説もあります。エドガー・アラン・ポーの「黒猫」は有名でその影響か日本のミステリーにもよく登場します。「不思議の国のアリス」にはチェシャ猫という意地悪な猫が登場します。日本ではそれほど不吉ではないらしく運送会社の社名や「黒猫のタンゴ」などの童謡にも登場します。三色の毛をもつのが三毛猫でほぼメスばかりでオスは非常に貴重なため日本の船頭が船の護り神としました。三毛猫は英語ではcalico catという普段使わない単語がでてきます。生地のキャラコと同じ単語です。三毛に限らず昔は猫を船に乗せることが普通でそれはネズミ対策でした。ネズミは食料やロープを齧るので船の大敵でした。また猫の仕草を天気予報の参考にもしました。霊感が強いという迷信もあり嵐の予感などに役立ったそうです。ペストが流行った時にはネズミ退治として利用されたそうです。

日本では怪談によく猫が登場し行燈の油を舐めるなど恐ろしい存在でしたが、最近の猫娘はかわいらしいキャラクターになっています。怪談だけでなく、落語の中にも猫がいろいろでてきますが「金明竹」という有名な落語の中では与太郎に髭を抜かれたり、話の中で骨と皮がばらばらにされたり、とさんざんな目にあっています。この話の中には有名な骨董品が出てきて滑稽だけでなく教養としても参考になります。落語の中に「ねこまた」という表現が時々出てきます。猫又と漢字で書くと妖怪の1つになりますが、ネコマタは「猫もまたいで通る」ほどまずい魚もしくは骨だけの魚の意味です。本来は魚だけですが、時折まずい料理にも使われます。また「猫にまたたび」の略としても使われることがあるので文脈が重要です。

英語でcats and dogsは土砂降りのことです。日本だと犬猿の仲といいますが、英語圏では犬と猫の仲が悪いことになっています。このように猫はいろいろな例えに使われ「猫の目」といえばくるくる変わることですし、「猫をかぶる」「借りてきた猫」「猫の手も借りたい」「猫撫で声」など数多くの慣用句があります。「猫飯」といえばご飯に鰹節をかけたものですが、桂枝雀の出囃子が「ねこまんま」という陽気な曲であったのを思い出します。

黒猫

国際母語デー

国際母語デー

2月21日は国際母語デーInternational Mother Language Dayです。言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてあらゆる母語の尊重の推進を目的として、UNESCO(ユネスコ)が1999年11月17日に制定したものです。

ユネスコと聞くと日本では世界文化遺産のことしか報道されませんが、マスコミもこういう重要な日は報道と解説をしてほしいものです。1952年2月21日、当時はパキスタンの一部だったバングラデシュの首都ダッカで、ベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、死者が出たことで、バングラデシュでは独立運動の一環として「言語運動記念日」として休日になっており、それに因んで、世界の言語運動の日として国連が制定したものです。

日本人は母語(ぼご)と聞いてもピンと来ない人が多く言語感覚が世界とかけ離れています。母語と母国語を混同している人も多いです。母語は自分が自然に獲得した言語、母国語は自分が生まれた国の国語です。日本は日常的に自分の言語と国の関係を意識することがなく世界でも稀な恵まれた国です。実は日本にも母語と国語が異なる人が少なからずいますが、ほぼ認識されていません。ほとんどの国は母語と国語が異なる人が多数住んでいる複合言語国家で日常的に顕在化した差別があります。日本も戦後一時期米軍の占領下におかれてましたが、この時に国語を英語にされていたら、今のように素直に英語を勉強する気にはなれなかったと思います。

1947年英国植民地は宗教を基準にインドとパキスタンに分けられました。イスラム教のパキスタンはインドを挟んで西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)に分けられました。政治の中枢は西パキスタンで、東パキスタンは多く人がベンガル語を母語とし、西パキスタンではパンジャーブ語、パシュトー語、シンド語などが話され政府中枢ではインド・イスラム王朝の中心地デリーの言語であるウルドゥー語が用いられていました。これだけでもややこしいことがわかります。イスラム教徒の言語による団結を掲げたパキスタン政府はウルドゥー語を全パキスタンの唯一の国語として掲げメディアや学校などではウルドゥー語のみを用いさせようとしました。これに対しダッカ大学の学生が抵抗を開始し1952年2月21日学生たちは抗議活動を宣言し、対する中央政府は集会を反政府行動とみなし射殺すると宣言、学生たちは命より言語(ベンガル語)を選び死んでいきました。彼らの倒れたダッカ大学構内にショヒド・ミナール(言語に殉じた若者たちの碑)が建てられ碑は母語を死守しようして倒れた息子たちを思う母たちの悲しみの象徴でした。人が命に代えて言語を守ったのは歴史で初めてのことで、日本にも池袋西口公園にショヒド・ミナールのレプリカがあるそうですが、関心は持たれていません。

バングラディッシュ

寒椿

寒椿

この季節の花の中で目立つのは梅と椿ですね。椿は日本人好みなのか、いろいろな種類があります。中でもよく文芸作品や俳句に出てくるのが「侘助」という種類です。小ぶりの一重咲で、名前の由来について諸説があります。千利休が好んだということもあり、茶の湯のわびさびに通じることから、多くの文人の好みとなったようです。普通の椿のようにたくさん一度に咲くのではなく、寒中にぼつぼつと寂しげにうつむき加減の下向きに花が咲き、地味なところが日本人好みのようです。花言葉も「ひかえめ、質素、静かな趣」となっています。赤だけでなく、白や混じったものもあります。

侘助を始め、椿は桜のように花びらがはらはらと散るのではなく、花ごとポロっと落ちるので、武士が首を切られることを連想し嫌う人もいたようです。侘助の原産地は中国とも朝鮮半島ともいわれ、また茶ノ木との掛け合わせという説もあるようです。椿は漢音でチンとも読むので、古い中国との関わりは多いと思われます。海石榴と書いてツバキとも読みますが、これは隋の時代の皇帝煬帝の詩の中にこの表記が見られるそうで、意味は海外から渡ってきた石榴(ざくろ)ということなので、椿はもしかすると中国原産でないかもしれません。中国では椿のことを山茶というらしいので、椿と茶の花は別物である可能性もあります。ちなみに日本では山茶花と書いてサザンカと読みますが、これはサンサカが転化したものとされています。サザンカと椿は見るからに違うのですが、椿と茶と山茶花は同系統だそうです。茶の花は小さい白い花です。

椿を英語でCamelliaといいますが、起源はイエズス会修道士であったカメルがフィリピンから種をヨーロッパに持ち込んだものが広がり植物学者リンネがカメルにちなんでカメリアと命名したのだそうです。ちなみに資生堂のCIである花椿は島根の八重垣神社の夫婦椿をモチーフとしてデザインされたとか。2本が1つになった連理で夫婦仲を示します。

椿は寒中に咲くので寒椿という名もあり、こちらも文学や俳句によく出てきます。山口百恵の曲に「寒椿」という余り知られていない名曲があります。18歳の女性が歌ったにしては何とも妖艶な感じの曲で個人的に好きな曲です。

「椿姫」はヴェルディ作曲の有名なオペラで、ヴィオレッタという高級娼婦とジェルモンという青年貴族の恋物語です。「乾杯の歌」はどこかで聞かれたことがあると思います。なぜ椿姫というかというと、娼婦なので生理中は赤い椿、それ以外の日は白い椿を身に着けたからだそうです。椿姫は映画も何本もあり日本の舞台でも何度も再現されています。椿姫の物語をベースとした男性心理をカメリアンコンプレックスといい、不幸な女性を見るとつい救いたくなる男性心理だそうですが、昨今は逆もありそうですね。

寒椿

雨水

雨水

2月19日、旧暦1月19日は二十四節季の雨水(うすい)です。同じ漢字ですがアマミズではありません。1月4日から立春となり、15日間が過ぎて次の節季に入ります。意味は雪が解けて雨になる、それだけ春が進むということだそうです。実際にはまだ雪も降る地域が多いのですが、確かに春の訪れを感じさせる自然現象が見られます。昔の人はこうした小さな変化にも敏感に反応して楽しんでいたのですね。

冬は乾燥が進みますが、この時期に降る雨は養花雨(ようかう)といい、草花が育つ恵みの雨となります。天気予報では花粉情報などが出てくるように、植物は活動を始めます。この時期に咲く花としては、梅はすでに咲いており、椿、猫柳、木瓜(ぼけ)、雛菊が知られています。普段あまり気にしていなくても椿は目立つので気が付く人も多いでしょう。実は油分が多いので、昔は鬢付け油として重用されていましたが、今ではお相撲さんくらいです。食用にもなるので地方名産として売られています。猫柳や木瓜なども時々民家の庭に咲いているのを見かけます。やや地味な花なのですが、花言葉は猫柳が「自由、親切」と優しい感じですし、木瓜は「先駆者、指導者」という力強い意味があり、見かけによらずいい意味になっています。木瓜は小さな実がなるのでジャムなどにして食用にすることがあります。木瓜は家紋としても知られており木瓜紋(もっこうもん)といいます。ボケモンではないので恥をかかないようにしてください。木瓜紋は祇園社の神紋であり、この紋の形がキュウリに似ていること、また木瓜はキウリとも読めるため、祇園祭にはキュウリを食べてはいけない、という風習が残っています。木瓜紋はいろいろ変化形があります。家紋は今日ではあまり重要視されませんが、優れたデザイン性が海外では評価されていますから、改めて我が家の紋を調べてみてはいかがでしょうか。とくに和装の場合、紋付というように紋が家を示します。家長制度の名残りだとして、世間では家という概念も捨てられてしまった感がありますが、自分が初代と思えば自由に紋が選べばよいのです。

こんなことを考えながら、民家の木瓜を眺めるだけの余裕がもてれば、もうすぐ来る春を心待ちしつつ、季節の移り変わりを楽しめればボケが来るのは遅くなるかもしれません。

雨水の頃になると雛菊も咲くようになる、という情報もありました。英語ではdaisyといい、欧州では比較的よく見る花ですが、日本ではあまり見なくなったような気がします。元々日本原産ではなく明治時代に輸入された洋花なので流行らなくなっただけかもしれません。

雨水にはとくに行事はないようです。旬の食べ物としては春の野菜で、独活(うど)や菜の花など、最近では明日葉などが好まれているようです。もっとも最近はビニールハウス栽培で旬という感覚がなくなってきましたから、拘る必要もなくなりました。

椿