聖バルバラ祭

聖バルバラ祭

12月4日の聖バルバラ祭は日本ではなじみがないですが、東欧ではクリスマス前の楽しみです。ウクライナでは今年はどうなるかわからないですが、砲兵の守護神なのでしめやかにミサが行われるかもしれません。すっかり有名になったザポリージアの鉄鉱石坑の地下840mには聖バルバラ聖堂があるそうです。ウクライナの宗教は正教会信者が7割と最も多く、正教会は原則、各国ごとに教会を置くのですが、かつてはモスクワ総主教庁系であったのが、2018年のウクライナ紛争をきっかけにウクライナ正教に分離しました。ウクライナ紛争は2014年からたびたび起こっています。宗教関係はもう少し複雑ですが、聖バルバラは正教会系では広く信仰されています。

聖バルバラは美人の殉教者としての伝説があり、若い女性に人気だそうです。12月4日にスミミ桜や杏子の枝などを折って、花瓶の水に挿しておくという昔からの習慣があり、クリスマス期間の20日間で枝の花が咲くと良いことがあるそうです。クリスマスの日に美しく咲いた枝はイエス・キリストの光のシンボルで、冬至の意味も含まれているそうです。12月4日から枝の花が咲いた日までの日数により何月が幸福な時期になるか分かるという占いもあります。花が咲いたら来年中に結婚するともされ、もし何人も好きな人がいたなら、枝に恋した男の名前をつけておけば、誰の枝が一番先に咲いたかで結婚相手が決まるとか。(http://www.roboraion.cz/articles/122013/)この習慣はドイツにもあるそうで、この枝をバルバラの枝というそうです。

南仏プロヴァンスではノエル(クリスマス)の季節は12月4日の聖バルバラの日から翌年の2月2日の蝋燭祝別の日まで40日間続きます。プロヴァンス地方ではこの日に何皿か受け皿を用意し、水に浸したコケやガーゼなどに麦の種をまきます。12月25日に、このお皿の上で種が芽を出し緑一杯のお皿になっていれば、その年は豊作になるだろうという占いです。(https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/2138965/)この麦をバルバラの麦というそうです。

カトリックはバルバラを伝説に過ぎないとして聖人から削除していて、カトリックに近い正教会派や西方教会では12月4日は生神女進堂祭(しょうしんじょしんどうさい)または聖母進堂祭といい、聖母マリアが3歳の時、エルサレム神殿に入ったことを記念しています。

カリフォルニアのサンタ・バーバラという高級住宅街の地名は聖バルバラの英名です。

聖バルバラ

国際障害者デー

国際障害者デー

「障害者」と一括りにして対応することが当たり前になっていますが、多様化が叫ばれる今日、概念を変えるべきと思います。日本は昔、“めくら、おし、つんぼ、いざり、きちがい”などいろいろな語彙でいわゆる“かたわ”を区別して呼んでいました。ところが差別語としてマスコミが騒ぎ始めたのは1960年代のような記憶です。差別語とは何かという定義も曖昧なままですが、主に放送禁止用語が元になっているようです。その定義は「本人が不快に思う」ことが根拠のようですが、聴覚障害者に「つんぼ」と叫んでも本人には聞こえないので何も感じない、という皮肉があります。さらに問題なのは障害者と言い換えたり、「しょうがい者」と書き換えても、差別がなくなったかというと疑問が残ります。

1992年第47回国連総会はInternational Day of Persons with Disabilitiesを12月3日として制定しました。その10年前の1982年の同日「障害者に関する世界行動計画」が第37回国連総会で採択され、その目的は障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保です。日本では以前、12月9日を「障害者の日」としていました。1975年に「障害者の権利宣言」が国連総会で採択された日を記念してです。障害者基本法は1970年に成立しています。日本は一般に考えられているより早くから障害者福祉には熱心でした。その後、2004年に国際障害者デーの12月3日から「障害者の日」の12月9日までの一週間を障害者週間として制定しています。

海外での障害者福祉は主として傷痍軍人向けで、日本も戦前から軍人の戦没者、傷痍者には特別な制度があり、戦後も残っていました。軍制度がなくなって、一般の障害者福祉へと引き継がれたので、海外に比べて早かったという事情があります。軍制度の残る海外諸国は基本的に戦前の日本と同じままで、障害者は軍人としては採用されないので差別的に扱われています。軍務が国民の義務である国々では、義務を果たしていないという理由で差別されています。

英語ではPersons with Disabilitiesという表現が広がっていて、定義は国によって異なるとしながらもa person with disability is someone who has a physical, mental or emotional condition that keeps her from living a social/functional life which is deem to be normal for their peers(障害のある人とは、身体的、精神的、または感情的に、仲間にとって正常であると見なされる社会的/機能的生活を送ることができない条件にある人)となっています。一括りにせず複数形で具体的に分類している点が注目です。

障害

原子力の考察

原子力の考察

原子炉といえば原発つまり原子力発電所の発電装置のことですが、できた当初は「夢のエネルギー」として喧伝されたのが、東日本大震災以後、反原発運動が盛んになり悪者となってしまい、百八十度の転換になりました。

原子炉は1942年12月2日シカゴ大学の実験用小型原子炉でウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功したのが始まりですが、すっかり嫌われてしまい記念日もひっそりとしています。原子力は原子爆弾による被害の問題ともリンクして不要なもの扱いですが、世界では実際に原発が多く稼働しており、環境問題を重大視していたオバマ政権でもむしろ火力発電よりもクリーンだとして推奨していました。むろん原発反対運動は世界でもあります。
原子炉は原子力発電所だけでなく航空母艦、潜水艦、大型の軍用艦艇などに使われるのですが、日本は原発のみです。また核種変換による核物質生産や研究のための中性子源などにも使用されています。

原子力は英語ではnuclear energyといいます。原子はatomなので日本ではatomic powerと訳すことが多いようです。英語を直訳すると核エネルギーなので、そう呼ぶこともあり混乱がみられます。日本語では原と核は同義的に使われますが、原理的にはレベルが違います。核は原子核の略です。原子は正電荷を帯びた原子核と負電荷を帯びた電子から構成されています。原子核は原子の構成要素ですから別物です。原子核は陽子と電気的に中性な中性子から構成され、陽子と中性子の個数の合計を質量数といいます。陽子がプラス、電子がマイナスの電荷でバランスがとれていて、原子の重さや性質は原子核が決めているのです。まずこれが理解の基本です。
原子が結合して分子を構成します。元素という用語もでてきますが、元素とは原子の種類のことです。たとえば水の分子はH2Oつまり水素2個と酸素1個の元素が結合しています。二酸化炭素CO2と一酸化炭素COでは酸素1個の違いにすぎませんが、人間の身体への影響はまったく違います。これは分子の違いです。

原子力のしくみの詳細は検索してください。核エネルギーは原子核を別の原子核に変換すると出てくるエネルギーで核崩壊、核分裂、核融合があります。現在の原発では核分裂を人工的に起こして、そのエネルギーで高温の水蒸気を発生させ、タービンを回して発電しています。その元となる元素はウランとプルトニウムという質量数の高い特殊な元素のみです。核融合はまだ研究途上ですが、太陽のエネルギーは核融合であり、核エネルギーですので広い意味では太陽光発電も核エネルギー発電といえます。

原子力

Advent Calenderと待降節

Advent Calenderと待降節

12月になるとアドベントカレンダーというクリスマスまでの日めくりが始まります。日本でも最近は売り出しが増えてきました。正式にはクリスマスの4週間前の日曜日なので、今年は11月27日から始まるのですが、12月1日から始めることが多くなってきています。アドベント(Advent)とはイエス・キリストの誕生を待ち望む期間のことで、到来を意味するラテン語のAdventusからきており、日本語では「待降節」「降臨節」ともいいます。救世主の到来を待ち望むということです。冒険と言う意味で使われるadventureに似ていますが、こちらは古仏語のadventurerから来ており、本来は旅行とか偶然という意味です。

アドベントカレンダーには楽しい仕掛けがあり、日付のところが開けられるようになっていて、その中にチョコレートやキャンディー、レゴブロック、おもちゃ、コスメなどが入っていたり、聖書の御言葉が書いてあったりします。紙のタイプもありますが、箱がついている立体型もあるのです。毎日1つずつ窓を開け、全部開き終わるとクリスマスがやってくる、という子供にとって毎日が楽しみなわけです。毎日違うひとつひとつの中身も嬉しいのですが、毎日それを開ける行為が楽しいわけです。そこでアドベントカレンダーをプレゼントにする方もいます。サプライズを仕込んだ既製品のほか、自分で中身を入れられるタイプもあり、手作りする方もいます。日本でも売られ始めているので、だんだん広がるかもしれません。

日本でも昔は「もういくつ寝るとお正月」というのがありましたし、一年の最大イベントを待ち望む気持ちは同じでしょう。

キリスト教圏ではほかにもアドベントの風習があり、4週間のアドベント期間に毎週1本ずつアドベント・リースにろうそくを立てたり、ドイツのクリスマス菓子「シュトレン」を毎週切り分けて食べたりしながら、クリスマスを待ち望みます。感謝祭が過ぎて、アドベントがあり、クリスマスへとつながっていくので、holiday seasonが実感できる仕掛けです。

12月には北欧や南欧では聖ルチア祭とか、ユダヤ教のハヌカといった宗教行事があり、欧米は宗教色の強い祝日が連続します。こうした時期には世界中が争いを避けようとするので、世界の紛争も一時休戦となることが歴史上何度もありました。現在のウクライナ戦争なども停戦合意がなされる可能性があります。

アドベントカレンダー

感謝祭

感謝祭

感謝祭Thnaksgiving Dayは米国のものが日本では知られていて、最近では翌日のブラック・フライデー・セールが急に増えてきました。米国感謝祭は11月第4木曜日で、4連休になりクリスマスとこの日に七面鳥を食べる習慣があります。翌日の金曜日は本来だと買い物をしない日で、そのため商店では売れ残りを値引きして売るようになり、バーゲンセールの日として定着、逆にごった返すようになりました。この日にクリスマスプレゼントを安く買っておこう、というわけです。それが日本にも入ってきました。語源は諸説ありますが、発祥地フィラデルフィアでは当初警察が雑踏警備で大変なのでblack Fridayと呼んでいたのを新聞社が「黒字になる日」と解釈した広報を流してから、悪い意味のblackではないということになったとされています。この説、少し怪しいのは、英語では黒字を普通はsurplusないしfavorable, positiveというので black inkということは稀です。かなり強引な解釈だったと思います。

感謝祭は他の国にもあり、カナダの感謝祭は10月第2月曜日で、プリマス植民地での出来事を記念するもので、独立戦争後にアメリカから英領カナダに移住した王党派が持ち込んだ習慣とされています。オーストラリア領のノーフォーク島では11月の最後の水曜日に感謝祭がです。アメリカの捕鯨船によりもたらされ、ノーフォーク島民の先祖であるピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫や捕鯨船の先祖をもつ家族で祝います。ブラジルではアメリカ人の祖先をもつ家族によって祝われ、アメリカと同日です。西インド諸島のグレナダ島やカリブ海では10月25日に感謝祭の祝日がありますが、アメリカやカナダのどちらとも無関係で、1983年10月25日にアメリカ軍のグレナダ侵攻で共産主義からの解放を記念日しています。リベリアでは11月の最初の木曜日が感謝祭です。アメリカの黒人解放奴隷により建国されたためです。
フィリピンでは20世紀前半はアメリカの植民地だったためアメリカと同じ日に感謝祭を祝ったのですが、1986年にマルコスが追放され一旦は公式な祝日ではなくなったものの、商業的および文化的な休日として復活し特別セールの日になっています。オランダではプリマス植民地に移住した巡礼者の多くがライデン市に居住していて、これを記念して、アメリカ感謝祭の朝に非宗派の感謝祭の礼拝が行われています。どの国も総じていえばアメリカのプロテスタント(ピューリタン)の影響といえます。
米国感謝祭は通説では英国からプリマス植民地に移住したピューリタンが最初の収穫を記念し先住民を招待して神の恵みに感謝した食事会であったとされていますが、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強く、あくまでも神への感謝が中心でした。

ターキー

パレスチナ問題

パレスチナ問題

パレスチナ問題は日本ではすっかり忘れさられていて、時々イスラエルで爆発があってニュースに出る程度です。しかしこの問題は民族と宗教が絡んでいて未だに紛争が続いています。1947年(昭和22年)11月29日、国連総会でパレスチナ分割に関する決議が採択されました。イスラエルとパレスチナの二国間共存ということになりました。同一地域内の二国間併存問題というのは世界のあちこちで今でも紛争中です。国連での討議ではアメリカとソ連がアラブ人とユダヤ人の分割統治を推し、パレスチナ地域をアラブ人地域、ユダヤ人地域、国連統治地域(エルサレム周辺)に三分割するものでした。翌1948年5月にイスラエルは独立宣言を行い国となりましたが、いち早くアメリカが承認した一方で、アラブ諸国は承認せず第1次中東戦争になりました。
紛争のそもそもの背景は第一次世界大戦以降、パレスチナにおいては、パレスチナ人と入植してきたユダヤ人との間で嘆きの壁事件などの衝突が発生していました。第二次世界大戦中ユダヤ人はイギリスにドイツ攻撃のため協力していたものの、大戦終結後にパレスチナにおけるユダヤ人国家建設に前向きでないイギリスに対し、武力闘争を開始しました。紛争解決できなくなったイギリスが国連に持ち込んだわけです。
さらにその以前はオスマン帝国支配下でアラブが独立を目指して戦った戦争があり、有名な「アラビアのロレンス」の活躍もあって、イギリスの支援を受けたアラブの勝利となりました。このアラブ反乱に対して「イギリスの三枚舌外交」と呼ばれるフサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言を締結した事が、後にパレスチナ問題やクルド人問題などの原因となり今日も紛争が続いています。

国連決議にも関わらず長くパレスチナという国は存在できず、パレスチナの人々は民族自決の権利を求め続けて闘争を続けました。1977年(昭和52年)の国連総会は11月29日を国際デーInternational Day of Solidarity with the Palestinian Peopleとして制定しました。1988年パレスチナは独立宣言を行い、2012年国連はパレスチナを国家として承認し、領土はヨルダン川西岸地区およびガザ地区、東エルサレムを首都として定めていますが、国連には未加盟であり、2019年7月時点で138の国連加盟国が国家として承認しています。承認していない国連加盟国は55ヵ国で、安保理常任理事国であるアメリカ合衆国、イギリス、フランスの3か国に日本、カナダ、ドイツ、イタリアを加えたG7諸国はすべて承認していません。日本はパレスチナ、台湾、北朝鮮を国家として承認していません。背景にアメリカや中国への外交的思惑があります。遠い国ではありますが石油問題もありアラブ諸国との関係は日本にとって重要です。

パレスチナ

税関と関税

税関と関税

1952年(昭和27年)に当時の大蔵省が税関の日を制定しました。11月28日になった理由は、明治5年(1872)のこの日、長崎・神奈川・箱館(函館)に設けられていた運上所の呼称を税関に改めたことによります。
税関を英語ではcustomsといいます。複数形であることに注意してください。単数形のcustomは「習慣」という意味です。複数形で意味が変わる語はmean(意味)、means(手段)などかなりありますので、きちんと理解していないと誤解を生みます。
Customsの場合、語源的にはcustom-houseが縮小したものと言われています。日本語だと税関で支払う税金を関税というので、これも混同されやすいです。
関税は英語ではdutyといいます。免税店をDuty Free Shopというので、ご存じの方も多いと思います。明治時代初期はあらゆる日本の習慣や文化を変更していったのですが、関税の前の用語は運上金といいました。農業の場合は年貢ですが、農業以外の商業・工業・漁業などの産業従事者に対して一定の税率を定めて課税したものを運上といいました。また特定の免許を得てその代わりに一定の税率等を定めずに必要に応じて上納させたものを冥加(冥加金)といいました。冥加金とは本来、神社やお寺に収めるお金のことでしたが、それが領地の藩から認可をもらう代わりに納める税金のことを冥加というようになったものです。
税金は租庸調の昔から、あらゆる場面で徴収されるものです。政府は大小に関わらず民衆から金を集める知恵ばかり働かせているようです。一方で、免税という特権を出すことで利権構造になりやすい側面もあります。また税率の変更という政策が経済を大きく変えることもあります。
関税は外国との貿易の際の税金なので、輸入品に対して量的な制限を加える手段になります。西欧が植民地や敗戦国に対して不平等条約を押し付ける場合も関税権を与えないことが重要な要素の1つです。また国内産業を守るために関税をかけることも行われます。昔、日本は米が重要産品ということで、外国から安い米が入ってくることを高関税をかけることで制限していました。このように各国が関税をかけあうと、力のある国が有利になります。そこで国際的に調整するための機関としてWTOが設立されましたが、一方で各国同士の二国間協定もありました。世界をまとめるのは困難なので、ヨーロッパが1つになって欧州連合(EU)になったり、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)のようなブロック経済圏ができています。これはどちらも相互に関税をかけない協定です。これは輸出には好都合ですが、輸入制限には不利ですから、理想的のようでいて、必ずしもそうでないことを知っておきたいです。

税関

兵学校

兵学校

明治3年(1870)明治政府は東京海軍所を海軍兵学寮、大坂兵学寮を陸軍兵学寮と改称しました。当時はまだ旧暦でしたから、11月4日のことです。これが海軍兵学校、陸軍士官学校となり、現在は、それぞれ海上自衛隊幹部候補生学校、陸上自衛隊幹部候補生学校となっています。海軍は英国式、陸軍は仏国式が始まりでした。

諸外国を旅行すると、どこの国でも兵学校への尊敬と立派さに驚きます。同時に日本の異常さに複雑な思いをします。憲法のせいかもしれませんが、日本人は教育によって軍事は悪い事として刷り込まれていると感じます。そして軍人出身の政治家が稀有です。どこの国でも兵学校出身のエリート軍人は軍務だけでなく、政治にも関与しています。米国のように徴兵制がある国では、国民の三大義務に納税、軍務、国家への忠節があり、そして教育の義務があります。日本では誤解している人がいますが、教育の義務とは本人が教育を受けることが義務なのではなく、本人には教育を受ける権利があるので、親が教育を受けさせる義務があることを教育の義務というのです。
兵学校も教育機関の1つであり、一般が想像する軍事訓練の他に、語学などの一般教養を教育しています。兵学校はいわゆる士官学校であり、現在では防衛大学校などの大学卒業生が入学する上級の教育課程です。大学院がアカデミックな教育なのに対し、実用的な教育になっていると解釈するのが正しい認識だと思います。米国のNASAなどは高度な研究機関であり、博士課程修了が前提となっていますが、軍事の一部であることは日本では意外と忘れられています。

明治時代、富国強兵が国策でしたが、その基盤となったのが国民の教育でした。江戸時代は藩校があり武家では文武両道として教養教育が盛んで、実際に藩の経済や政治を行ったのは武士ですから、今風の見方をすればどこも軍事政権であったわけです。一般庶民の多くは寺子屋などで読み書きを習い、丁稚奉公して技術と算術を教育されていたので、当時、日本を訪れた外国人は日本国民の教育程度の高さに驚いていました。現在はあまり使われませんが、識字率が非常に高い国でした。この識字力を英語ではliteracyリテラシーといいますが、現在では情報リテラシーのように理解力として意味を拡大しています。その意味でいうと、日本国民は軍事リテラシーが異様に低い国です。戦前までは兵学校が多くあり、徴兵制でしたから、軍事リテラシーは高かったのですが、現在は兵学校が特殊化され富国弱兵の国になりました。軍事政権を否定することは武家政権も否定し、日本の歴史をも全否定することになってしまいます。

兵学校

崇峻天皇暗殺

崇峻天皇暗殺

推古元年霜月三日、崇峻天皇は蘇我馬子によって暗殺されました。実際に手を下したのは東漢 駒(やまとのあや の こま)です。日本の歴史上、天皇が暗殺されたのはこの事件だけです。事件は用明天皇2年(587)に用明天皇が崩御すると大臣であった蘇我馬子は大連の物部守屋を攻め滅ぼし朝廷の実権を握って崇峻天皇を擁立しました。やがて崇峻天皇と馬子は対立関係になり、馬子に命ぜられた駒は、崇峻天皇5年(592)崇峻天皇を暗殺しました。その後、駒は馬子の娘である河上娘(崇峻天皇の嬪)を奪って自らの妻としますが、河上娘を穢されたことを知った馬子に殺害されてしまいます。一説には崇峻天皇暗殺の口封じであったともいわれています。
崇峻天皇は欽明天皇の第12皇子で、異母兄弟は敏達天皇(第30代)、用明天皇(第31代)に次いで第32代天皇になりますが、暗殺により姉の推古天皇が第33代となります。崇峻天皇は蘇我馬子によって推薦され即位したのですが、有力豪族の一方である大連の物部守屋は、同母兄の穴穂部皇子を即位させようとします。しかし穴穂部皇子は蘇我馬子によって殺害されてしまいました。崇峻天皇は倉梯(現在の桜井市)という山の中に宮を建て、蘇我氏とも距離をおきました。蘇我馬子が権力を奮う一方で、天皇の権力基盤は弱く、后妃問題や仏教による宗教政策、飛鳥寺の建立、東山道・東海道・北陸道に使者を派遣して蝦夷国境、海浜国境、越国境を視察させた地方政策、任那復興軍の派遣という外交政策など、政策を巡る政権内の対立の中で、権力者によって暗殺されるという結果になってしまいました。後に起こる将軍暗殺や下剋上、お家騒動などと同様な騒動であったといえます。
蘇我馬子は物部氏を滅ぼして、皇太后であった炊屋姫を即位させ、初の女帝である推古天皇を推したてました。そして厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に立てられ摂政となりました。馬子は聖徳太子と合議して政治をし、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入していきます。推古天皇4年(596)には蘇我氏の氏寺である飛鳥寺を建立しました。馬子は推古30年(622)に聖徳太子が死去した後も権力の座にあり、推古天皇とも領地争いをするほどでしたが、推古34年に死去しました。
有名な憲法十七条や冠位十二階などは歴史の時間に聖徳太子の業績として習いますが、本当は太子一人の力ではなく、背後に蘇我馬子の力があったわけです。無論、太子の力量に追うところが多いのですが、あまりに伝説化されているのは、馬子が天皇暗殺の張本人であり、皇室を操ったということが戦前の皇国史観により悪人扱いされたことも否めないと思われます。

飛鳥寺

Viral Marketing

Viral Marketing

2005年(平成17年)11月25日、株式会社タイトーがPSPゲームタイトル「EXIT」が開始され、そのキャンペーンを手がけたロカリサーチ株式会社が制定したのが、バイラル・マーケティングの日です。バイラル・マーケティングとはいわゆる口コミを利用し、低コストで顧客の獲得を図るものです。口コミは、語源としては人の口から口へと情報が伝播していくことですが、インターネットやSNSが発達した現在では対面に拠らない口コミの情報伝達の方がむしろ盛んです。いわゆるbuzzるです。

Viralとは「virus(ウイルス)のような」という意味で、コロナ・ウイルスは人から人へと爆発的に感染しましたが、SNSでは人から人という点は同じですが、情報の「感染力」は桁違いです。情報発信力のある人をインフルエンサーといっていますが、正にインフルエンザと同じように、情報の局所的流行があっと言う間に世界へと広がっていきます。この「ウイルス的感染性」を販売戦略に活かそうというのがバイラル・マーケティングviral marketing(以下VMを省略)です。訳語はまだないようですが、意訳すると伝染販売、口コミ商法といったところでしょうか。

VMに必要な要素はmessenger, message, environment(JULIA KAGAN, March 28, 2022)だそうですが、この概念はシャノンの情報理論の媒体を環境に変えた程度の改定なので、現代的に書き直すと、P2P, 情報, メディアが三要素ということになります。情報をさらに広報戦略として考えるなら、コンテンツということになります。実際、viral contentという用語が広がってきています。

VMに限らず、新技法の解説者は利点や長所にのみ焦点を充てがちですが、欠点もあります。口コミの欠点は流言飛語や誹謗愁傷が多いことです。社会心理として人を褒めたりpositiveな発言よりも、人を中傷するnegativeな発言が興味を引き拡散する傾向が顕著です。それを悪用した、いわゆる炎上商法もあります。VMを推進する前提として、透明性や正直、事実といった基本的なルールを守った運用をしないと、せっかくの技術も普及しません。長期的には淘汰されていくのですが、初期段階でつまづくと発展しません。現状のいろいろなSNSはこうした欠点が見え始め少しずつ改正への方向が出始めています。利用者の倫理観の熟成が大きな課題ですが、そのためにVMを活用することも1つの可能性といえます。

ウイルスは一般に悪いイメージですが、医療では役に立つウイルスもあります。

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