朝鮮戦争終結と日本の敗戦状況

1953年7月27日に朝鮮戦争が終結しました。朝鮮戦争の頃の日本は戦後のドサクサがまだ続いており、国民は生活に必死であまり関心がなかったように思います。しかし朝鮮半島においては国家が分断され今日までそれが続いている悲劇的な戦争です。要するにソ連と当時のアメリカの都合だったことは明白です。
Widipediaの記述を中心にざっくりとまとめます。第二次世界大戦中の連合国会談により降伏後の日本が朝鮮半島を含む海外領土の統治権を放棄することは既定方針として1945年7月26日のポツダム宣言にも盛り込まれていました。ポツダムはドイツのベルリン近郊の町名でドイツ降伏後、米・英・ソ連の首脳が集まり戦後処理について話し合いを持ちました。そして日本と戦争状態にあった米・英・中華民国の共同声明として発表されました。8月14日、日本政府はポツダム宣言受諾を決定、翌15日に国民に発表しました。それ以前の8月6日と8月9日にアメリカは原爆を投下、ソ連は日本と満州国と朝鮮半島を侵略します。この事態に驚いたアメリカは急いでソ連に38度線での分割占領案を提示したのが現在の南北国境線の起源です。ソ連は朝鮮半島分割占領案に8月16日に合意、38度線以北の日本軍はソ連軍に以南は米軍に降伏させることが決まりました。9月2日に日本は降伏文書に署名、正式に降伏しました。
朝鮮半島の突然の解放は連合国軍によるものでした。アメリカとソ連は独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置しました。海外で活動していた李承晩は反共・反ソを主張し、ソ連はアメリカに李承晩らの排斥を訴えたましたが、アメリカは反共を重視して聞き入れず、お互いの姿勢を非難して対立、委員会は決裂し、信託統治案は頓挫しました。1947年6月李承晩を中心とした南朝鮮過渡政府ができ、7月には左右合作を目指していた呂運亨が暗殺され、左右が決裂。1948年8月15日李承晩が大韓民国の成立を宣言。金日成はこれに対抗し、9月9日にソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させ、38度線が国境となりました。建国後、李承晩は「北進統一」、金日成は「国土完整」と政治体制の異なる相手国を屈服させることによる朝鮮半島統一を訴え、今日まで続いています。金日成は李承晩打倒のためソ連のスターリンに南部への武力侵攻の許可を求ますが、アメリカとの直接戦争を望まないスターリンは許可せず12月にソ連軍は朝鮮半島から撤退しました。
一方、中国大陸ではソ連の支援を受けて毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し1949年10月1日に中華人民共和国が建国され、敗北した蔣介石総統の中華民国は台湾に脱出しました。そうした中、1950年6月25日38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始されました。6月27日の安保理は北朝鮮を侵略者と認定、非難決議の賛成は9で反対国はなし棄権は1でソ連は欠席しました。韓国軍は苦戦しましたが、国連軍と米軍の支援で辛うじて反転、そこに独立間もない中国が参戦、激しい攻防線の結果、戦闘が中国国内にまで拡大してソ連を刺激し第三次世界大戦に発展することを恐れたトルーマンはマッカーサーを解任。1953年7月27日38度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、現在も停戦中です。

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