年の瀬

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思ふ
これは崇徳院の和歌(小倉百人一首)で有名で、落語でこの歌の意味を知った人も多いかと思います。むろん百人一首で覚えている人も多いと思います。
この歌と落語の意味は後日にするとして、この歌を取り上げたのは「瀬」という意味が明快に説明されているからです。瀬というのは川の流れが浅くて急流になっている所のことで、転じて慌ただしく駆け回っている様子を表している日本独特の表現です。師走というのは普段はおっとりしている師匠でさえ金策に走り回っていることがイメージされて、これもおもしろい表現だと思いませんか。実は師走の師は先生ではなく本来は僧侶のことだそうで、仏名会(ぶつみょうえ)という行事でお経をあちこちで上げるのに忙しく走り回っている、ということだという説があります。仏名会は今でもしているお寺もあり、三千体あるとされる仏の1体ごとにお経を上げ一年の懺悔と感謝をする行事だそうです。確かに時間がかかりますから、30日までに終えようとするとそれは大変だったでしょう。
世間も今月中に一年分の借金(ツケ)を清算しないといけませんので、金策に走り回ることになります。昔の生活では物品の購入はツケ払いでした。普通は毎月末(晦日)に払うのですが、つい先延ばしして、年末(大晦日)にまとめて払わねばならない破目になるということになっていました。そのドタバタ(瀬)が面白く描かれている落語がたくさんあります。有名な「芝浜」とか「文七元結」「富久」など長い人情話の大ネタ他にも「尻餅」のような滑稽話もあります。確かに落語の師匠連もあちらこちらの寄席を掛け持ちで走り回ったでしょうから、忙しかったことでしょう。昔は寄席で噺を聞いたのですから、暮れの忙しい時に、のんびり長い噺を聞きに行くだけの余裕があったのか不思議でなりません。
今の日本はベートーベンの「第九」を聞きに行くという日本独特の習慣があります。なぜ第九なのかよくわかりませんが、ベートーベンの最後の交響曲だから、という説を聞いたことがあります。とくに合唱部分が人気で、合唱好きの人が大勢で演じることができるので普段の練習の成果を示す機会ということで楽しみにしている人も大勢います。市民マラソンみたいな感覚なのでしょうか。しかしこちらも暮れの忙しい時に練習に精を出し、あるいは高いチケットを買って見に行く人が多いというのも不思議です。
師走にはいろいろ異名(いみょう、別名)も多く、黄冬、弟月、親子月と掲載できないほどたくさんあります。私の好みは春待月、晩冬、氷月などです。臘月、臨月などというのもあるそうですが、別の意味の方が知られているので、月名としてはイマイチという感じです。それにしても日本文化は凄いですね。英語のDecemberは起源としては10の月という単純な命名ですから。なぜ12月が10番目なのかは別の機会に説明します。

師走