結城合戦と鎌倉府滅亡

本日は旧暦卯月16日望月です。月に一度の望月を眺めるという習慣もよいものです。もっともお天気次第なので、望月の日に満月がきれいに見えるとはかぎらないところに風情があります。それで十三夜とか十六夜という満月前後の月を楽しんだ昔の日本人は精神的な余裕がありました。月は昔も今も同じですから、昔を懐かしむには月を見るのが適しています。外国で見る月も形は同じですが、黒いウサギの部分は違います。外国旅行中に月を見る余裕のある人は少ないのですが、ディナーの後に見た空がたまたま満月だったりすると特別な想いになります。黒い部分だけでなく、大きさも色も違いがあります。空気が違うせいです。実際に月との距離が違うこともあるので、違いがより鮮明になります。英語ではrosy moon, blue moon, silvery moonなどの呼び名があり歌詞によく出てきます。日本でも月に関する歌がたくさんあります。

旧暦卯月16日にはあまり有名ではありませんが、結城合戦(ゆうきかっせん)がありました。永享12年(1440)に室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間で起きた戦いです。永享7年(1435)に始まった鎌倉公方足利持氏と補佐役の関東管領・上杉憲実の対立から永享10年(1438)に永享の乱が発生、持氏は敗れて自殺、鎌倉府は滅亡しました。鎌倉府というのは鎌倉幕府ではなく、室町幕府が鎌倉地方を治めるために設置した役所です。この乱の後に6代将軍足利義教が実子を鎌倉公方として下向させようとしたのですが、永享12年(1440)3月持氏の残党や下総の結城氏朝・持朝父子が永享の乱で自殺した持氏の遺児を擁立し室町幕府に対して反乱を起こします。幕府方は総大将上杉清方や今川範忠・小笠原政康などの諸将や関東の国人などを派遣して永享12年7月29日氏朝らの立てこもった結城城を包囲しました。翌嘉吉元年(1441年)4月16日結城氏朝・持朝は敗北し討死し城は落城しました。持氏の遺児のうち春王丸、安王丸は義教の命を受けた長尾実景によって美濃で殺され、永寿王丸(後の足利成氏)は京都に送られました。結城合戦は永享の乱の延長線上の出来事ですが、合戦の規模は永享の乱よりも大きかったのです。
講談や映画で有名になった『南総里見八犬伝』は父親と一緒に結城側で戦った里見義実が、死を決意した父親と別れて落ち延びるところから始まります。『南総里見八犬伝』は江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた日本文学史上最大の長編小説です。室町時代後期を舞台に安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者を主人公とし共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち牡丹の形の痣が身体のどこかにあります。関八州の各地で生まれた彼らはそれぞれに辛酸を嘗めながら因縁に導かれて互いを知り里見家の下に結集します。八犬士は関東管領・公方連合軍との戦さ(関東大戦)を戦い、朝廷から停戦の勅使が訪れて和議が結び、里見家は占領した諸城を返還します。八犬士の一人犬塚信乃は捕虜となっていた成氏に村雨丸を献上し父子三代の宿願を遂げます。八犬士は里見義成の八人の姫と結婚し、城を与えられ重臣となります。やがて犬士たちの痣や珠の文字は消え瑞相も失われます。里見家第三代当主の義通も亡くなり高齢になった犬士たちは子供に家督を譲り富山に籠り仙人となります。里見家もやがて戦乱に明け暮れるようになり十代で滅ぶという物語です。ここに出てくる妖刀村雨丸は架空のものですが「ひとたび鞘から抜けば刀が露を帯び、人を斬れば村雨のごとく水が滴たたり、刃に血のりがつくことはなし」というセリフが有名になりました。八犬伝は古典歌舞伎からスーパー歌舞伎、小説や映画、テレビドラマにもなっています。漫画も数多くあり、コンピュータゲームにもなっていますから、日本の文芸に大きな影響を与えた長編物語といえます。

望月