戸籍

5月4日は旧暦卯月4月4日で明治4年に日本最初の戸籍法が発布されました。当時は太政官布告という形で実際の施行は翌年2月1日です。壬申の歳に編製され、その後の幾度もの改定によりすべてが旧戸籍法となるため、壬申戸籍と呼ぶ習慣になっています。戸籍という政府が管理するという方式は現代でも世界的には珍しく、多くの国では今でも宗教組織の会員登録のような形になっています。キリスト教国では生まれた時に洗礼を受け、教会で結婚すると登録され、死ねば教会で葬儀が行われますから人生の節目はすべて教会に記録されています。日本でもこの壬申戸籍が編製される前の江戸時代は宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)が各藩によって作成されていました。幕府はキリスト教禁止令を発布し寺請制度を確立させ、民衆がどのような宗教宗派を信仰しているかを定期的に調査しました。これを宗門改と呼び、これによって作成された台帳を宗門改帳と呼んでいました。しかし切支丹の数が減るにつれ、宗門人別改帳は現在の戸籍原簿や租税台帳の機能が強くなっていきました。
現在、ナンバーカードによる住民台帳の管理とやがて税務申告が紐づけられるようになると正に江戸時代と同じようなシステムになるわけです。違いは宗教の登録がないことです。また宗門による登録が檀家制度にもつながっていました。壬申戸籍により檀家制度は大きな影響を受けたといえます。
壬申戸籍によると明治5年の日本の人口は3,311万人だったそうです。壬申戸籍が作られた当時は戸籍の管理は役場ではなく戸長(こちょう)と呼ばれる地元の有力者である庄屋や名主が管理していたため、地域による差がありました。壬申戸籍の一部には職業と業種、氏神や菩提寺の他に妾、使用人や家来等も附籍として登載されていたそうで、江戸時代の職業・身分に関する情報が記載されました。明治4年には賎民解放令により江戸時代の穢多非人等の身分は廃止され平民として編入されたにもかかわらず、一部地域では戸籍に新平民や元穢多、元非人等と記載されていたようです。このため壬申戸籍は現在では非公開になっていますが、明治31年(1898年)までは現役で利用されていましたから、当時流布したものがどこかに眠っていて、その情報が流れていて、今の差別につながっている可能性は否定できません。一方で自分のルーツを探るにはこうした資料に当たるしかないので、完全非公開にすることも問題があります。現在では戸籍は高度な個人情報ですから、原則非公開であることが当然のように思えますが、実は戸籍は平成20年の法改正までは何人にでも公開が原則とされていました。個人情報の保護より戸籍の持つ公証機能を優先させていたということなのです。婚姻や親子関係など他人が勝手に書き換えることができる現在、保護と自由の調整が難しくなってきたともいえます。現在でも戸籍は地方自治体の管理であって国家管理になっていませんが、その分、地域差による管理の揺れがあります。一方で完全に国家管理となるとまた別の問題が発生します。
現代の戸籍の問題は国籍や市民権の問題とも直結しています。国籍に対する思想は国ごとに異なるため、二重国籍や無国籍の問題も未解決のままです。納税、選挙権、徴兵がほぼどの国にも義務としてありますが、日本では徴兵義務はありません。現在の日本は戸籍と住民基本台帳は別になっていて、戸籍が婚姻関係、親子関係、生死などの情報を記載しています。運転免許やパスポートなどは住民票で取得できます。

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