李自成の乱

中国暦崇禎17年(1612)3月17日李自成の乱が起こり明は滅亡します。東洋史を勉強する際には必ず出てくるのですが、最近は学校であまり東洋史を習わないせいか、日本ではそれほど知られていないかもしれません。日本と明の関係は室町時代から勘合貿易としてありましたが、これは朝貢貿易で日本は一歩下の関係でした。当時は密貿易や倭寇などの海賊もいたので、正式な遣明船である証拠として勘合を用いたことから勘合貿易と呼ばれています。そして豊臣秀吉は明を目標として朝鮮半島へと出兵したことで知られています。そして明朝体は今でも頻繁に使われる自体です。
明は漢民族による最後の王朝です。王朝の最後は清ですが、清は女真族なので漢民族最後の王朝ということになります。チャイナのシージンピンは明時代への憧れがあるそうなので、李自成についても知っているはずですが、現代中国はあまりコメントしませんが、明の歴史を見ると、現代の中華人民共和国は似ていることがわかります。
明は朱元璋(洪武帝)によって1368年に建国され、永楽帝・洪熙帝・宣徳帝の時には栄華を極めますが、崇禎帝の時代に李自成の乱が起きて滅亡します。明の時代は経済、文化、思想、芸術などが発展し、日本にも多大な影響を与えました。一方で、北虜南倭といい、北にはモンゴルやオイラト、南には倭寇(海賊)がいて万里の長城という長い壁を作っても時々破られたり、南からも攻撃を受け、戦闘が多く、軍事費の増大にかなり悩んでいました。明の特徴を一言でいうなら、皇帝独裁政治、脆弱な国家体制、商業の発展です。洪武帝が独裁政治を進めたのは皇帝独裁政治を進めたのは、全権力を集中させれば反乱やクーデターも起きないだろうと思ったからなのでした。独裁者の思想はどこも同じようなものです。脆弱な国家体制というのはしばしば内乱や外敵の侵入があったからです。内乱としては皇帝位を巡る争いである靖難の役、外敵としては土木の変があります。この変では皇帝が捕虜になるという屈辱的な事件で、その後、あの万里の長城が防衛目的で建設されたのです。それでもアルタン・ハーンが16世紀中ごろに頻繁に侵入し1550年には北京を攻囲する(庚戌の変)などがおきました。秀吉による文禄・慶長の役にも悩まされ出費が嵩んだことも事実です。崇禎帝が即位したときには既に明は末期的症状をきたしており、即位後まもなく飢饉が起こり、反乱が相次ぎ、さらに北からの清軍の侵攻も激しさを増すようになりました。ホンタイジの策略により崇禎帝がそれまで清を抑えていた袁崇煥を疑い惨殺してからは清軍を抑えられなくなり、流賊から台頭した李自成は北京に迫りました。李自成軍の包囲の前に崇禎帝は自殺し明が滅亡しました。これが李自成の乱です。
現在の中華人民共和国は万里の長城を完全に含んでいますが、明時代はここが国境だったわけです。有名な観光地である北京郊外の長城はかなり大きなものですが、西の方に行くにつれ低くなります。英語でGreat Wallという通り城ではなく塀なのです。

コラムの付け足しみたいで恐縮ですが、4月19日は語呂合わせで「しいく(飼育)の日」で多摩動物公園の飼育係が発案し、日本動物園水族館協会が正式に定め、動物園・水族館の役割を伝えることを目的として全国に広めています。飼育係の仕事への理解、ひいては動物園・水族館への関心を高めることを目的としており、各家庭のペットも含めて飼育について理解を深めてはいかがでしょうか。ちなみに動物愛護デーは3月20日、世界動物の日は10月4日です。ペットの日は4月11日です。

万里の長城