松の廊下

4月14日は旧暦3月14日で、元禄14年(1701)江戸城松の廊下で、播州赤穂藩主浅野内匠頭(たくみのかみ)が高家(こうけ)吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしひさ、よしなかとも)に斬りつけました。
これは実際にあった事件で松の廊下の刃傷(刃傷)沙汰として知られています。ほとんどの方は人形浄瑠璃や歌舞伎の仮名手本忠臣蔵あるいはそれを映画化したものやテレビ映画化したものでご存じになったと思います。「おのおの方、お出合いそうらえ、浅野殿、刃傷にござるぞ」という掛け声の後、なおも吉良に斬りかかる内匠頭を、背後から取り押さえた梶川与惣兵衛(かじかわよそうべえ)に、「御放しくだされ、梶川殿。五万三千石、所領も捨て、家臣も捨てての刃傷にござる」と懇願する内匠頭というシーンとセリフをご存じの方も多いでしょう。実際に人形浄瑠璃や歌舞伎をご覧になると名前が違っていたり、物語が違っていることにすぐに気がつきます。それほど映画やテレビドラマに刷り込まれているのです。実際の事件の翌々年には芝居が上演されているのですが、当時は幕府の禁止もあり、実名と実話で芝居することは憚られたため、昔の仇討ち物語(曽我兄弟)などにすり替えたり、いろいろな創作を加えています。映画やテレビドラマはさらに脚色していますから、おもしろいのです。もうフィクションに近いです。
仮名手本とは赤穂四十七士をいろは四十七文字の仮名になぞらえたからです。忠臣蔵とは忠臣であった内蔵助の意味という説と赤穂事件を題材とする『豊年永代蔵』が上演され、その蔵を採ったという説があります。最近では上方落語家の月亭八方がAKO47というAKB48をパロディにした落語をやっていて、今でも元の物語が通用していることを窺わせます。仮名手本忠臣蔵では浅野内匠頭が塩冶判官高定(えんやはんがんたかさだ)、吉良上野介が高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)となって、時は暦応元年(1338年)二月という室町時代の話という設定になっています。そして師直が高貞の正室に横恋慕して、意地悪をするという設定です。大石内蔵助は大星由良助義金(おおぼしゆらのすけよしかね)です。義太夫や歌舞伎ではおかる勘平とか定九郎とかスピンアウトの物語が出てきます。それを題材にした落語などもありある意味日本の古典芸能の根幹になっている面があります。塩冶判官高定と高武蔵守師直は軍記物である「太平記」に出てくる実在の人物です。あくまでも赤穂事件の話ではないですよ、という幕府へのアピールでしょう。大星由良助義金は架空の人物です。原作は寛延元年(1748)8月、大坂竹本座にて義太夫として初演され、全十一段あり、浄瑠璃作者の二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作とされています。その後、改作が頻繁に行われ、現代でも続いていますから、どれを見たかによって人の記憶が異なります。
浅野内匠頭は即決裁判で午前の刃傷沙汰のその日の夕方に預かり先の田村邸の庭先で切腹させられます。幕府がいかに怒っていたかがわかります。浅野内匠頭の切腹場所が不適切であったことや装束や使用する刀も武士として尊重された扱いをされませんでした。後にこれが問題となり切腹の宣告をした大目付庄田下総守安利は大目付を罷免され年寄りに降格されました。管理職の役人が忖度しすぎた結果です。
田村邸があった場所には、現在和菓子店「新正堂」があります。ここの名物は「切腹最中」です。営業マンがお詫びの印に持参する定番ですが、あんこがたっぷり入っていて、おいしいと評判です。

忠臣蔵