平城遷都

語呂合わせだと4月10日でヨットの日とか、良い図書の日(教科書の日)などがあり、女性の日でもあるそうです。1946年、戦後初の男女普通選挙制度による総選挙が行われ、初めて女性の参政権が行使されたことを記念して労働省(厚生労働省)が「婦人の日大会」を開催したことから「婦人の日」が始まり、それを現在女性の日ということになりました。しかし国際女性デーが3月8日なので、そちらに合わせることの方が多いようです。国際男性デーもあり11月19日で男女平等を推進する日だそうです。ジェンダーフリーが叫ばれる今日、どちらも廃止した方がよいような気もしますが、いかがでしょうか。

旧暦3月10日、和同3年(710)に元明天皇は藤原京を奈良に遷都しました。平城京は唐の長安を模して造られ、南北に長い長方形の形状をしていて、天皇の住む住居は藤原京では全体の真ん中にありましたが平城京では北端に位置していて、以後はこの様式になります。平城京の南端には羅城門(羅生門)があり、南北に朱雀大路という道が通っています。この様式も踏襲されます。現在は歴史公園として一部づつ復元されていますから、往年を偲ぶことができます。遷都した元明天皇は女帝で、この辺りの歴史はなかなか複雑です。夫である草壁皇子(くさかべのみこ)が皇位につかぬまま死去し、息子の珂瑠皇子(かるのみこ)は西暦697年に文武天皇に即位しましたが、25歳で崩御してしまい、孫の首皇子(おびとのみこ)がまだ幼かったので、阿閇皇女が707年に元明天皇として即位しました。715年に老いを理由に8年の在位を終え、娘に天皇の地位を譲ります。これが初の女性同士の皇位継承となり、元正天皇が即位しました。元明天皇は708年には藤原京から平城京への遷都の詔を出し710年に平城京への遷都がおこなわれたのです。712年には天武天皇からの勅令だった歴史書である「古事記」を完成させ、713年には地方の文化風土を記録した「風土記」を編集する詔を出しました。遷都の理由は諸説ありますが、皇室内の乱れや疫病が流行ったことも理由の1つだったようです。藤原京は山に囲まれていて水が溜まるなど不衛生で疫病の原因となったこと、宮殿が北端でなかったこと、当時権力を奮った藤原不比等の意向が強かったなどが理由として挙げられています。
遷都には様々な要因がありますが、この時代、藤原京、平城京、長岡京、平安京と約100年の間に4回も遷都が行われたというのも何か異常な時代であったことが伺われます。西暦538年仏教の伝来から聖徳太子と推古天皇の飛鳥時代、大化の改新を経て天皇制の権威の確立し、隋や唐との外交もあり、大仏の造営が続き、壬申の乱など皇位継承を巡る争いも絶えず、そして女帝である元明天皇の遷都という、日本においては画期的な変革の時代といえます。701年の大宝律令による法制の整備、708年には和同開珎という日本最初の通貨が発行されるに至ります。歴史の勉強は年号を覚えてテストの成績を取るためのものではなく、どういう経過でどのように変わっていったのかを勉強すると現代にも通じる何かがわかってきます。あまり有名ではありませんが、700年に元興寺(がんごうじ)の開祖である道昭(どうしょう)が遺言により火葬にされ、これが記録に残る日本最初の火葬ということになっています。元興寺は法相宗の始まりで、元は飛鳥に蘇我馬子が建立した法興寺を平城京遷都に伴い移したものです。当時は東大寺、興福寺に並ぶ三大寺院でした。火葬は今では当たり前ですが当時は画期的な出来事でした。

平城京