教育基本法

3月31日は旧暦2月29日で晦日です。明暦の大火があった日でやはり春には災害が多いですね。

明暦の大火は通称振袖火事ともいい、事実を元にした伝説があります。江戸・麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃は、本郷の本妙寺に母と墓参りに行ったその帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に一目惚れ。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、恋の病で食欲もなくし寝込んでしまいます。病を案じる両親に彼が着ていたのと同じ模様の振袖を作ってもらい、その振袖をかき抱いては彼の面影を思い焦がれる毎日でした。病は悪化、梅乃は若くして死んでしまいます。供養にと娘の棺に生前愛した形見の振袖をかけてやりました。当時棺にかけられた遺品などは寺男たちがもらっていいことになっていたので、この振袖も本妙寺の寺男によって転売され、上野の町娘・きののものになるのですが、この娘もしばらくして病で亡くなり、振袖は彼女の棺にかけられて、奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれました。寺男たちは再度それを売り、振袖は別の町娘・いく(16歳)の手に渡るのですがこの娘もほどなく病死、振袖はまたも棺にかけられ、本妙寺に運び込まれてきました。さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにし、住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は突風に煽られ、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となったので、この通称ができたとされています。
よく似た話に八百屋お七の伝説があり時々混同されます。天和の大火(1683年)で焼け出された、お七は親とともに正仙院に避難し、寺での避難生活のなかでお七は寺小姓と恋仲になります。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七の庄之介への想いは募るばかりで、そこでもう一度自宅が燃えれば、あの小姓に会いたい一心で自宅に放火し、火はすぐに消し止められ小火ましたが、お七は放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりにされました。これがあの有名な歌「夜桜お七」のモデルです。この話は井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられて有名になり歌舞伎や落語にもなっていて、近代では漫画「ガラスの仮面」にも出てきます。それにしても江戸は火事が多かったことがわかります。

この日、もう1つ忘れていけないのは1947年に教育基本法が施行された日だということです。平成18年に現行法に改正されたため、1947年のものは旧法と呼ばれています。施行当時は戦後すぐでもあり、いわゆるリベラルな思想が中心になっていたので、保守主義の人々から改正の要求も強く、いろいろなイデオロギーをもつ人々の間で激しい議論が行われて改正されましたが、現在でもその議論は続いています。教育の自由と平等をめぐる議論も現代社会の急速な改革の流れにより、いっそう複雑化しています。現在、義務教育における無償化は授業料・教科書に限られていますが、給食費、通学費、制服などはなぜ含まれないのか、という議論もあります。政治的中立の確保に関しても何をもって党派的な政治教育と判断するのかという議論もあります。また旧法第10条をめぐって「教育行政は、(略)教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」とあることから、国の関与は教育の内容などの内的事項は含まず外的事項に限るという見解と、内的事項への関与も含まれるという見解に分かれています。
そもそも、教育の目的や役割を法で規定することが果たして妥当なのかという観点から、旧法を批判的に検証する動きもあり、例えば、第1条の「人格の完成」が何を意味するのか不明であることを問題視する意見もあります。教育を巡る議論は背景となる思想が大きく関与し、政治的イデオロギーも関わってくることから、教育は国の根幹であるという点で共通していても、各論になるとまとまらない、のは教育論議の宿命かもしれません。

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