みその日

3月30日は例の語呂合わせで「みその日」だそうです。味噌は手前味噌という言葉があるように昔は家庭でも作られていました。そして始まりは飛鳥時代からだそうですから、歴史も長くそれだけに地域による違いも生まれました。日本は発酵食品が豊富な文化ですが、味噌と醤油はその中でも代表的な存在です。日本料理には欠かせない調味料です。

味噌は大きく分けて赤味噌系と白味噌系に分けられますが、麴味噌があり、麦味噌もあり、実にバラエティが豊かで、その分個人や地域による好みもさまざまです。名古屋は味噌煮込みうどんが有名ですが、それは八丁味噌で作ります。この八丁味噌を巡って一騒動があります。

八丁味噌は現在、商標登録されていません。有名な「カクキュー」と「まるや八丁味噌」の2社は八丁味噌共同組合を設立し「八丁味噌」の商標登録を申請しましたが、愛知県味噌溜醤油工業協同組合は、2社のみが名称の独占使用するのはおかしいと主張し、その後二者による協議が行われましたが、物別れに終わったため、愛知県味噌溜醤油工業協同組合は『愛知八丁味噌』の名称を出願することとなりました。
そもそも八丁味噌の名前は、現在の岡崎市八帖町はかつて「八丁村」といい、岡崎城より西へ八町(約800m)離れていたことに由来します。この八丁村は矢作川の伏流水による湧き水が豊富で、東海道の水陸交通の要地であっただけでなく、舟運も同時に恵まれていました。そこで兵食として重要視されてきた味噌を軍需物資の兵站基地として形成された八丁村で製造することに着目した早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が当地で味噌醸造を創業したのが「八丁味噌」の始まりとされています。元祖なのです。
しかしこの揉め事から岡崎の2社は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を脱退しました。さらにややこしいのが2015年から始まった「地理的表示保護制度」(GI)で、岡崎の2社がGIから外されたことです。農林水産省は「岡崎市八帖町以外でも『八丁味噌』は製造されている」「昭和初期には『八丁味噌』の文字を含む商標が県組合会員の企業により登録されていた」などの理由により、岡崎2社に対し、「岡崎市八帖町」と限定している生産地を「愛知県」に変更できないかと打診したのですが拒否されました。
農水省は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を八丁味噌の生産者団体としてGIに登録しました。「八丁味噌は、いわゆる『名古屋めし』の代表的な調味料として定着し、愛知県の特産品として広く認知されているものである」との県組合の主張を認定したのです。生産量の半分超を占めるとされる岡崎2社は「県内に生産地域を広げ製法の基準を緩くすれば、品質を保てず顧客をだますことになる」と主張。これに対し農水省は「不幸な結果となったが、海外の偽物から守るため登録を優先した」と説明しました。2019年2月GI法が改正され「先使用権」が制限され、GI対象の組合製品でないと、岡崎2社の製品は2026年には八丁味噌と名乗れないことになりました。言い換えれば、2026年以降に八丁味噌という名称を商品に使用したい場合は「GI認定を受けていない」という表示をつければ販売できるということになったのです。この件は現在も両者の間で決着がついておらず裁判中です。こうした地域ブランドを巡る争いは味噌だけでなくいろいろな農産物にもあり、海外進出を目指して制度化されたGIが地域産業を圧迫しているのは皮肉なことです。

味噌という言葉は本来の味噌以外に「蟹のみそ」や「脳みそ」にも比喩的に使われますし、「そこがミソ」のような表現もあります。ことわざもたくさんありますが今では使われない「味噌を買う家には蔵は立たない」というのがあります。味噌まで金を払って買うような家はお金がたまらない、ということだそうで、昔は各家で作っていたことのなごりです。今はほとんどの家が味噌を買っていますから、蔵が立たないのも道理です。実際、蔵ももうなくなりつつありますから、このことわざも死語になったのです。「味噌の医者殺し」というくらいに健康食品として役立っているのですが、現在は減塩が当たり前になってきたのも時代を感じさせます。

八丁味噌