国際母語デー

2月21日は国際母語デーInternational Mother Language Dayです。言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてあらゆる母語の尊重の推進を目的として、UNESCO(ユネスコ)が1999年11月17日に制定したものです。

ユネスコと聞くと日本では世界文化遺産のことしか報道されませんが、マスコミもこういう重要な日は報道と解説をしてほしいものです。1952年2月21日、当時はパキスタンの一部だったバングラデシュの首都ダッカで、ベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、死者が出たことで、バングラデシュでは独立運動の一環として「言語運動記念日」として休日になっており、それに因んで、世界の言語運動の日として国連が制定したものです。

日本人は母語(ぼご)と聞いてもピンと来ない人が多く言語感覚が世界とかけ離れています。母語と母国語を混同している人も多いです。母語は自分が自然に獲得した言語、母国語は自分が生まれた国の国語です。日本は日常的に自分の言語と国の関係を意識することがなく世界でも稀な恵まれた国です。実は日本にも母語と国語が異なる人が少なからずいますが、ほぼ認識されていません。ほとんどの国は母語と国語が異なる人が多数住んでいる複合言語国家で日常的に顕在化した差別があります。日本も戦後一時期米軍の占領下におかれてましたが、この時に国語を英語にされていたら、今のように素直に英語を勉強する気にはなれなかったと思います。

1947年英国植民地は宗教を基準にインドとパキスタンに分けられました。イスラム教のパキスタンはインドを挟んで西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)に分けられました。政治の中枢は西パキスタンで、東パキスタンは多く人がベンガル語を母語とし、西パキスタンではパンジャーブ語、パシュトー語、シンド語などが話され政府中枢ではインド・イスラム王朝の中心地デリーの言語であるウルドゥー語が用いられていました。これだけでもややこしいことがわかります。イスラム教徒の言語による団結を掲げたパキスタン政府はウルドゥー語を全パキスタンの唯一の国語として掲げメディアや学校などではウルドゥー語のみを用いさせようとしました。これに対しダッカ大学の学生が抵抗を開始し1952年2月21日学生たちは抗議活動を宣言し、対する中央政府は集会を反政府行動とみなし射殺すると宣言、学生たちは命より言語(ベンガル語)を選び死んでいきました。彼らの倒れたダッカ大学構内にショヒド・ミナール(言語に殉じた若者たちの碑)が建てられ碑は母語を死守しようして倒れた息子たちを思う母たちの悲しみの象徴でした。人が命に代えて言語を守ったのは歴史で初めてのことで、日本にも池袋西口公園にショヒド・ミナールのレプリカがあるそうですが、関心は持たれていません。

バングラディッシュ