色(しき)

色と書いてシキと読むと仏教用語になります。有名な空即是色の色です。色というのは「名に見えるもの」という意味だそうです。この語句が出てくる般若心経では「無眼耳鼻舌身意、無色声香味蝕法」とあります。これらはいわゆる感覚器官と感覚です。普通は五感であり、最後の意は心でその感覚は心の対象、ということになります。ここの説明は難しいので、とりあえず除外しておいて、実際に身体がある語感について考えたいと思います。

現代で色(しき)は視覚、声は聴覚、香は嗅覚、味は味覚、触は触覚と考えられていて、仏教用語とは考え方が違います。何千年も前の思想と現代思想を単純に比べても意味がないのですが、違いが目立つのは、身は今では皮膚、心は身体の一部ではない、ということになっています。また意は脳という器官であることがわかっています。

この感覚器官と感覚には優位性があり一般にはこの順です。視覚、聴覚、嗅覚など、どの感覚がなくなると生活に一番不便ですか?と聞かれると、人により差はありますが、視覚と答える人が多いのではないでしょうか。人間は2つの目で立体視できますが、耳は2つあっても1度に1つの音しか認識できません。空間認知はかなり難しくなります。動物によりどの感覚が優位なのかは異なりますが、人間は視覚優先のようです。ただ言語は聴覚利用が圧倒的なため、コミュニケーションにおいては聴覚の占める割合は大きいです。

最近のVRは装着器具が眼鏡であることから、視覚優先の技術だといえます。イヤフォンもついている器具がありますが、イヤフォンだけのVRは見たことがありません。最先端のメタバース機材では身体に着用して触覚を刺激するタイプもあるようです。遊戯施設のVRでは視聴覚と振動などで刺激するものもあります。そうしてみると触覚の優位性は3番目なのかもしれません。実際、嗅覚と味覚を再現する通信手段はまだないと思います。もし重要な感覚であれば人間は何があっても技術開発したでしょう。テレビ番組では食レポと称する言語つまり音声による説明をしています。またインスタ映えというように画像提示をする方法も広がっています。その結果、刺激を受けた人は「おいしそう」という想像による反応を示すことになります。VRを見た人が「~そう」という表現することはまずないと思いますから、VRは実感覚に近いのだと思われます。

仏教用語の色(しき)は目に映るものなのですが、無であり空である、と説明しています。この解説は難しいので別の機会に譲ります。この五感は英語では名詞でなく動詞で表現します。It looks, it sounds, it smells, it tastesのように自動詞で表現できますが、触覚の自動詞はありません。他動詞だとsee, hear, smell, taste, touchなどで表現できます。感覚は人間共通ですが、そこにも言語と文化が関わってきます。

五感