洋服記念日

11月12日は全日本洋服協同組合連合会が1972年(昭和47年)に制定した洋服の日だそうです。1872年(明治5年)のこの日、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止されました。役人は大礼服・通常礼服を着用することとなりました。今では洋服というのは服の代名詞であり、日本式の服装は和服または着物というようになりました。和服の方が何か行事の時に着る特別な服装ということになっています。今は法律で服装を規制されるのは文化勲章の授賞式くらいのもので、あとは習慣的にTPOが決まっています。民間にドレスコードというのがありますが、かなり緩くなってきていて、ビーチウエアなどの特別な服装以外は基本的にOKとなっています。
和装の中でも武家風の服装は時代劇の中でしか見ることはなく、公卿風の装束は皇室や神社の行事でしか見ることのない「伝統的な装束」という特別なものになっています。男子の羽織袴姿は武家とは異なっていて、帯刀することはありえません。明治の和装廃止によって、それまでは男子も女子も身分によって服装が決まっていましたから、ある意味、変装は簡単でお忍びも簡単にできたわけです。職業によっても服装が異なっていて、一目でどういう職業なのかわかるようになっていました。これは欧米のような差別ではなく、日本独自の文化であったといえます。洋装になって階級がなくなったかというとそうではなく、華族と士族と平民という区別は残りましたから、士農工商がなくなったにすぎません。実際、公家が貴族、武士が士族となり、新たに軍人という職業が生まれ、それらの階級に応じた服装が定められていたので、服装と身分の区別は維持され、形が変わっただけにすぎなかったのです。そして明治の服装は今ではほぼ見ることがありません。大正、昭和と庶民も洋服を着るようになったとはいえ、和服は残っていましたが、日米戦争の敗戦後、次第に和服は減り続けました。今、若者の間で流行っている浴衣は字の通り、風呂の服装でしたが、いつの間にか外歩き用になってしまいました。映画の影響でしょうが、欧米人は忍者の恰好が大好きで、日本観光の目玉になっていますが、普通の日本人には違和感があります。同じ黒ばかりの装束でも僧形には関心がいきません。柔道着や空手着は国際競技化する中でカラフルになっていきました。それは和服というよりは洋服と同じです。
明治の洋装令は、最初は礼服だけでした。そして断髪令が同時に実施されたのはどうしても江戸文化を廃止したかったからだったと思われ、これが日本のグローバリズムの出発点だったといえそうです。そしてそれから戦争ばかりが続くという歴史の出発点だったともいえそうです。戦争と服装は大いに関係があります。

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