Patriot Day

In the United States, Patriot Day occurs on September 11 of each year in memory of the people killed in the September 11 attacks of the year 2001. (Wikipedia)

米国では9.11を愛国者の日としています。テロの犠牲者を愛国者と呼ぶあたりが米国的で、9.11は本土攻撃を受けた戦争であり、その戦争の犠牲者という考え方です。米国にはもう1つ愛国者の日(Patriots’ Day)があり、マサチューセッツ州、メイン州、ウィスコンシン州の3州において制定されている祝日で、アメリカ独立戦争の緒戦となる1775年4月19日のレキシントン・コンコードの戦いを記念したものをいい、4月の第3月曜日になっています。この日はボストンマラソンの日でもあり、2013年4月15日に起きた爆弾テロ事件をテーマとした映画が「パトリオット・デイ」なので、映画で知っている人も多いかもしれません。レキシントン・コンコードの戦いは200年以上も前のことであり、伝説化された部分も多く、全米に拡散しているわけではないので、現代では愛国者の日といえば、9.11を連想する人がほとんどです。
パトリオットというと最近では迎撃ミサイルの方が日本ではなじみがあるかもしれません。愛国者という日本語は戦前と戦後では意味が大きく変わってしまったので、英和辞書でも志士とか国士、憂国の士という訳が出ています。愛国と憂国ではニュアンスが相当違いますが、現代日本では愛国というと否定的なニュアンスが伴うようになったのは教育とマスコミによるところが大きいのかもしれません。愛国主義者というと極右というレッテルを貼られたりしますが、これは日本独特の文化です。世界中どこの国でも愛国は当然のことで、愛国者でなければ反逆者ということになってしまいます。移民者が米国籍を取る際には愛国的であることを誓わされます。愛国的ということは必然的にナショナリズムになりやすいので、グローバリストはそれを避けようとします。米国大統領選挙でもトランプのような保守党は愛国を訴えますが、バイデンの民主党は団結を訴えていました。日本の保守と民主とは違っています。
愛国への概念の違いは戦死者への姿勢も違っており、現代日本では戦死者を愛国者と考える人は少ないのではないでしょうか。これも世界の常識、日本の非常識につながります。こういう話はすぐに右翼的として批判されることが多いのですが、この前提である右翼的であることがなぜ悪なのか、という議論はでてきません。日本がそれだけ左翼を善とする国になったということなのかもしれません。日本には日本独自の文化があっていいと思いますが、世界が共有している文化を日本だけ持たないということは孤立化にもつながりますから、自覚しておく必要はあります。I am patriotic.と言うと日本では奇異に思われますが、海外だと当然のことを何をいまさらとなります。

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