処暑

文月二十六日は二十四節気の1つ処暑です。先日、立秋が過ぎたのにまた夏ですか、と思われる人も多いと思いますが、昔の人の季節感は秋だから涼しい、という感じではなかったのです。処暑とは「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」つまり暑さもここらが峠で、これから徐々に退いていきます、という意味です。処というのは「お休み処」という看板を今でも見るようにトコロと読みますが、場所ということではなく、そこに居る、留まっている、という意味の漢字です。今ではあまり重要視されなくなってきていますが、処女というのは「家に居る=嫁に行っていない」というのが原義で、嫁入り前と同義です。しかし処暑というのはずっとそこにいるということではなく、ずっと登りだった暑さもここらがピークです、ということなのです。
処暑は七十二侯として5日毎に分類され、初候は綿柎開(めんぷ ひらく):綿を包む咢(がく)が開く、次候は天地始粛(てんち はじめて しじむ(しゅくす):ようやく暑さが鎮まる、末候は
禾乃登(か すなわち みのる): 稲が実る、となります。次候は処暑の5日後すなわち葉月二日からなので、2022年だと8月28日です。これだと納得できますね。今では綿花を見る機会はなかなかないですが、新暦8月下旬に見られると予想できます。また稲が実るのは新暦9月2日過ぎから、ということなので、今の9月に入れば早生(わせ)の新米が出てくると予想できます。
処暑に昔の感覚では暑い夏も終わるので、盂蘭盆会(お盆)も終わり、送り火や精霊流しで亡くなった人への慰霊も済んで、花火などをして、行く夏を惜しむ行事がありました。今では花火大会は人々が帰省するお盆に行うことが多いのですが、帰省というのは昔の藪入りであり、町に奉公に出ていた人々が実家に帰り、正月以来、半年ぶりに会う家族と過ごす期間です。処暑にはそれも終わり、また日常に戻るのですが、何となく寂しい、祭りの後のような寂寥感が残ります。盆踊りで出会った男女はしばしの別れです。そんな時期に花火大会があったのです。
しばらくすると果物が熟れるようになり、梨や桃、葡萄や無花果(いちじく)などが出回り、スダチなども出てきます。今は農家も早出し競争になって初夏や季節はずれに出荷して付加価値を付けるのが当たり前ですから、だんだん季節感が薄れていきました。しかし花の方は商品として出回るのは洋花中心なので、野の草花はほぼ季節通りに咲きます。今は少なくなった撫子(なでしこ)や桔梗(ききょう)、鳳仙花(ほうせんか)などが見られます。コンクリート舗装の都会では見つけることが難しいですが、田舎の庭や里山のふもとで見ることができます。また空の雲も入道雲がなくなり、流れるような筋雲になって、何となく空が高くなったような感じになります。年によって多少の違いはありますが、処暑になると秋になったという実感をえることができるようになるわけです。二十四侯は元が古代中国なので、日本よりも季節が早かったため立秋はまだ暑い最中にきてしまいますが、七十二侯は日本の現実にほぼ合わせているので実感と同じになります。夏バテした身体を休めて秋の収穫の労働に向けて、ひと時の休憩もまた格別です。

処暑