延喜式

現代の日本史教育では延喜式について学習することは少ないです。古事記や日本書記については誰でも名前くらいは知っているが、延喜式については宗教が絡むせいか、詳細を習う機会がほとんどないようです。延喜式は平安時代中期に編纂された三代格式の一つで、律令の施行細則をまとめた法典です。現代風に考えるなら、憲法の下にある六法のようなものです。三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけで、細目まで規定されているため、古代の実態を知るうえで重視なものです。醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、次の藤原忠平が編纂に当たり、弘仁式および貞観式とその後の式を取捨編集し、延長5年に完成し、その後も改訂を重ね、康保四年(967)文月九日より施行されました。
全50巻、約3300条から構成され、巻1 – 巻10は神祇官関係の式で神祇式といいます。
巻1と巻2 – 定例祭 (通称:四時祭、四時祭式など)巻3 – 臨時祭 (通称:四角祭・四角祭式、四境祭・四境祭式、四角四堺祭など)巻4 – 大神宮巻5 – 斎宮巻6 – 斎院巻7 – 踐祚大嘗祭巻8 – 祝詞
巻9と巻10 – 神名帳 (通称:延喜式神名帳)巻11 – 巻40太政官八省関係の式巻41 – 巻49その他の官司関係の式巻50雑式、となっています。巻9・10の神名帳(神社の一覧表)には祈年祭で奉幣を受ける2861社の神社が記載されています。延喜式神名帳に記載があるのは当時朝廷から重要視された神社で、一般に「式内社」と言って社格の一つとされています。現在でも社格の高い神社の入り口の高札には「式内社」と書かれています。詳しい説明書きがないので、多くの人はその意味を知らないのですが、平安時代に神社として認められていて、今日まで続いているという意味です。延喜式以降もしくか当時に認められていなかった神社は式外社といいます。現在では消滅したり不明となっている神社も多いので、それだけ貴重な存在といえます。
巻21は治部省関係であり、山陵(天皇陵)について記する諸陵式が含まれています。巻22の民部省上の中に全国の地名が確定されています。巻24の主計寮上には、全国から集める税金の一種である庸(労役)、調(繊維製品や特産物など)、中男や作物の割り当て等が書かれており、当時の全国の農産物、漁獲物、特産物を伝えています。中男というのは、労役の対象が正丁・次丁・中男と分かれていて、そのうち17歳から20歳の男性のことで、いわば働き盛りの労力ということです。正丁が21歳から60歳の男性でいわゆる成人、次丁は61歳以上の男性で高齢者なので労役には向いていません。そこで中男の配分が細かく決められていたわけです。巻28は兵部省関連で、諸国駅伝馬条には五畿七道の402ヶ所の宿駅の名称と備えるべき駅馬や伝馬の数が記載されていて、当時の交通の要所の施柵ですが、同時に軍事的な意味をもっています。
現在の官僚組織は何度も改訂があり管轄も変わったのですが法令によって運営されることは昔も今も変わりません。当時は祭祀が政治の中心でしたから、多くがそこに割り当てられていましたが租庸調という税制とそれに付随する情報とシステムが完成されていたことに注目したいです。

鹿島神宮