地券

明治5年7月4日大蔵省は全国に地券を交付しました。地券とは今日の土地登記簿のことですが、日本では古くから税金のための検地が行われてきました。有名なのは太閤検地で天正10年(1582)から秀吉が死ぬ慶長3年(1598)まで続けられた全国規模の土地調査です。それ以前は平安時代の荘園公領制でした。太閤検地の目的は効率のよい収税で、複雑な土地所有関係を整理して、農民と土地をしっかり結びつけることでした。そして当時の税は米でした。
ところが明治4年(1872)に東京府下の市街地に対して地券を発行し、発行にあたって従来無税であった都市の市街地に対しても地価100分の1の税が課せられることになりました。つまり農地以外の土地から、税金をとることが決まったわけです。そして東京以外の都市部でも徐々に地券が発行され、明治5年田畑永代売買禁止令が廃止になり、租税の対象とされていた農村の土地を売買譲渡する際にも地券が交付されることとなりました。当初、地券は取引の都度に発行するという方式でしたが、この方法では全国の土地の状況を短期間に把握することは不可能であったため、同年7月4日に大蔵省達第83号を発し、売買の都度の地券発行を改め、人民が所有するすべての土地に対して地券を発行することにしました。この時の地券を壬申地券(じんしんちけん)といいます。全国一律に発行するといっても、現実の土地は持ち主が一人とは限らず、村の共有地いわゆる入会(いりあい)地もあり、山野など境界が曖昧な土地もあります。それらの土地を強引に国家の土地にするケースもあり、相当揉め事もあったようです。
地券は2通作成され、1通は所有者本人に、1通は大蔵省に保管、それが土地台帳になっていきます。翌年(明治6年)には地租改正条例が発布され、1筆ごとに地券が交付される制度になり、これを改正地券と呼びます。そして地価税は地価の100分の3と三倍になりました。
この考え方は税率を除いて今日でもそのまま継承されています。そして「誰の土地でもない土地」というのはほぼなくなりました。ある意味、これは凄いことで、諸外国では今でも土地の所有権が曖昧な国がたくさんあります。米国では国土の3分の1は国有地で、それは砂漠などで土地利用ができない土地がたくさんあり、また環境保護のため公園などに利用しているためでもあります。軍用地も国有地です。中国のように国家がすべての土地を所有し、使用権だけを認めている国もあります。日本は天平15年(743)の墾田永世私財法以来、土地の私有が認められていて、それが荘園制度へと変化していくわけですが、昔から公有と私有が存在したわけで世界的には珍しいといえます。諸外国では王や教皇、貴族などの公有が当たり前でした。
戦争の結果、それらの土地の収奪が行われるわけですが、日本と外国との戦争において、敗戦によって収奪されたのは先の大戦の結果が初めてなので、日本人に国家の領土という意識があまり強くないのは長く私有が続いたからかもしれません。もしすべて米国領になっていたら、現在の領土問題意識も変わったかもしれません。

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